まさかの東京に行く前日に今季最大の寒波。ふっっっざけんなぁああああああムキーびっくりマークあと数日ぐらい待ってくれたっていいだろびっくりマークびっくりマーク推しの最後見れないなんて死んでも死に切れん!!次の日、朝4時起きとかだったんですけど天候が心配で全然寝れなかった・・・。ですが無事に雪で欠航にならず東京行けましたにっこり空港に行くまでの高速道路の運転怖すぎた凝視泣ホワイトアウトで前が見えませんでした。本当に事故らずに帰ってこれて良かった。そして推しの卒業ライブ無事に大阪・東京ともに見れました。ここから死ぬほど長~~い自分語り、推し語りになるのでお時間のある方のみ読んでいただけたらと思います。

 

推しのアルスマグナを知ってから行ける現場はなるべく行った。地元でのライブは必ず行ったしリリイベも握手会も行った。私は接触が苦手だから握手会には参加しなかったけど・・・赤ちゃん泣きガーン遠征も数回ぐらいしか行ってないけど北海道に住んでてかつ車椅子なのに数回行っただけでも万々歳だと思う・・・えーん泣2018年の秋以降ツアーをやっていなくてその頃から移植の話があったり7年間付き合った彼氏と別れて絶望したりと心身ともにリアルが凄く大変だった。とても遠征に行けるような状況じゃなくてアルスからも離れていった。だがコロナ禍での唯一メリットだろうか有料のライブ配信をしてくれてまたアルスを見れて凄く嬉しかった。そんな中でのオリジナルメンバーの卒業。私が推している2人はオリジナルメンバーなのだ。ってことは2021年12月31日に私の推しが居なくなってしまう。

 

ネットラジオ「ノギツR」で坂本さんで言ってたことを抜粋すると「アルスマグナという偶像をファンのみんなと中の人たちで追いかけてきた」って表現がまさにアルスマグナをあらわしているな。と思いました。その偶像を追いかけるのが本当に楽しかった。アルスマグナってかなり特殊なグループなんで・・・。

 

・地獄の治療の中で見つけた癒し

前の記事でも書いたのですが私がアルスを好きになった時期ぐらいから本当に治療が人生で1番辛いときでした。カテーテルを何回も何回もして。私の場合手首からと首から両方からするので本当に地獄です。手首の麻酔って死ぬほど痛いんだぜ・・・絶望はてなマークそして首から管を機械と繋がられ何日も病室に監禁。トイレも行けなかったなぁ・・・。しかもその病室ICUみたいな感じで男女ともに部屋が一緒でジジイのうわ言で全然寝れなかった・・・。その後にヒックマンカテーテルを入れる手術をしてトレプロストを開始。そこから血液感染。何回も血液感染をした。40度近い熱が出た。菌を殺すために抗生剤の点滴をしたが私は点滴が本当に入らない。10回は失敗された。入ったと思っても長持ちしなくてすぐ腫れたり漏れたりした。未だにその点滴の跡は消えてない。それから皮下注射になったけどこれまたずーっと今でも続いてる痛い治療。肌もボロボロ。何回泣いて絶望しても彼らに会えると思ったら頑張れた。

 

点滴してたら病室でできることなんてそんなにない訳ですよ。しかも両方の手の甲に点滴してましたからね昇天笑そんな時にニコニコ動画で見つけたのがアルスマグナでした。最初は「うっわ、なんだこのトンチキ集団」って思ってましたがあら不思議。動画を見れば見るほどハマっている自分が居た。めちゃめちゃダンスがうまい。私が好きな動画を何個か貼りますね。昨今ダンスの技術だけが上手い人は最近増えてきているけど、アルスのように雰囲気や人から出るオーラのようなものまで含めた「表現」まで伴う人となるとかなり少なくなる。

↑私の推し2人

病室の壁に写真貼って点滴の針さしてる時とかにその写真見て頑張ってたなぁ・・・。

 

・大げさだけど「生きる意味を与えてくれた」

大げさだって言われるかもしれないんですけど推しの存在が私に生きる意味を与えてくれました。今までの私だったら遠征だって絶対に行くような性格じゃなかった。家に引きこもってずーっと自分の病気への不平不満を言い続けてたと思う。推しがいたから今まで辛い治療を頑張ってこれた。もちろん他にも応援している人達は居るけどこんなに心を動かされる人に出会えるかって言われたらもう出会えないと思う。こんな私にたくさんの景色を見せてくれた。

 

・ラスライ2つ行った感想

まずは大阪。「あぁーあとこれを入れて2回でライブおしまいかぁ。」と思って寂しかったのですが東京に比べまだまだ大丈夫でした。大好きな曲ばかりやってくれて嬉しかったです。そしてこんなに楽しいライブ何年振りだっただろう・・・。

 

私は↑で貼った動画LUVORATORRRRRY!が本当に大好きなんです。曲のイントロが流れた瞬間ペンライトを振る手が止まりジーッとステージで踊る推し2人を見て泣いてました。それからは涙腺がぶっ壊れて要所要所で泣いてました。でもライブが終わってからは「あぁー北海道から来たけど大阪もそこそこ寒いなぁ」なんて冷静に思いながらホテルに帰った。

 

そして本当のラスト東京。全然寝てなかったけどアドレナリンが出ているからか不思議と眠くなかった。会場が豊洲PITって場所だったんですけど海が近いからまぁーーー寒い。ダウン+下は2枚はいて、手袋、耳当て、ひざ掛けという北海道から来た恰好のままだったけど死ぬほど寒かった。しかも待機場所が外にしかないから開場時間までの1時間地獄だった・・・やっぱり車椅子だと他の人より寒さに弱いよなぁ。会場に入ってからは室内ってこともあって寒くはなかった。でも上着脱げるような温度でもなかった真顔スター

 

東京は大阪の時より席がよくてテンションアップアップただコロナの影響で全員着席してたから会場2か所とも見やすかったです。ペンライトを振るのに集中するよりなるべく推し2人の姿をこの目に焼き付けようって思った。そして始まったラストライブ。もうどこから泣いてたか分からないぐらいずーっと泣いてた。涙で目の前が霞むけど最後の最後までこの目に焼き付けたいから目をガッと見開いて見てた。「あぁ、最後まで私の推し2人は世界一最高だ」って何回も心の中で叫んだ。ラストぐらい会場みんなの声聞かせてあげたかった。本当にコロナ禍で発声禁止なのが憎い。

 

最後のあいさつで「出会ってくれて好きになってくれてありがとう。」「来世もこのメンバーで踊ってたい」って言葉を聞いて過呼吸になるぐらい泣いた。何より本人たちが「俺たちは間違ってなかった。楽しかった」って言ってくれて本当に嬉しかった。あぁー・・・書いてて泣けてきた笑

 

そして人生で初めてファンレターを出しました。会場にレターボックス設置されてたので。車椅子の場合一番最初に会場に入れるからレターボックスに一番最初に手紙入れれて嬉しかったなぁお願い花読んでくれてればいいんですが・・・よだれ

本当にラスラス倍率高かったんですけど2つとも現地で見れて良かった。オリジナルメンバーが居なくなった後もアルスマグナを応援する気はもちろんあります!でもその前に私は大きな手術が待っている。その手術が終わって元気だったらまた遠征して楽しめたらなと思います。私も頑張る決心がつきました。これで前に進める気がする。悔いはないよ。

 

この約7年間本当に、本当に幸せでした。推しのこれからに幸あれ!大好きな貴方の未来がずっと笑顔でつつまれますように。宝物のような日々をありがとう。