てんかん発作の経緯 | free space

free space

ワーママ♡二児ママ♡龍神カード公式リーダーも始めました(*^^*)
自分自身の想いをアウトプットするために始めたblogです。


3/8  
夜、いつも通り子供達と一緒に寝ている時に発作が起こった。強直発作、呼吸は止まり、眼球は上方に固定されて焦点が合わない状態だったらしい。
旦那が119コールし、かけつけた救急隊と会話した辺りから、自分でも何となく記憶に残っている。
家の前に停まっていた救急車まで、支えられながら歩いて移動した。
救急車には私一人が乗り込み、旦那は子供二人を連れて後から病院へ到着。旦那が私の両親にも連絡してくれていたので、その後私の両親も到着した。病院ではCT検査を受けた。


3/9
発作は治まり、明け方自宅へと帰る。
改めて神経内科を受診するよう指示されていたため、午前中に再び病院へ向かった。今度はMRIと脳波の検査。どうやら、睡眠時にてんかん発作の特徴的な脳波が出ているらしい。もしかしたら、これまでにも小さい発作が起こっていたのかもしれないと言われた。
今後は発作を防ぐため内服薬を服用すること、最後の発作から2年は車の運転も控えること、お風呂に一人で入らないことと指導を受けた。
昼過ぎに帰宅すると母が昼食を用意してくれていた。食事を食べて少し寝ようと布団に横になった…そこで2回目の発作。
再度、救急搬送され病院へ逆戻り。
かなりボーッとした状態だったせいか、一旦入院して様子をみてもらうことになった。昼食を食べた直後に倒れたためか、胸がムカムカして気分が悪く嘔吐してしまった。

いつの間にか個室の病室へ移り、時刻は夜になっていた。私のベッドの隣には、夫が椅子に座った状態で寝ていた。私は病衣に着替えていた。
次第に頭もハッキリしてくる。
看護師さんが時々様子を見に来るのにも笑顔で答えた。
トイレへ移動すると、頭がガンガン痛くなる。左手は点滴に繋がれていて、移動するにも一苦労だった。

寝たり起きたりしていたから、正直あまり覚えていない。
気づいたら朝になっていた。

3/10
この頃にはだいぶスッキリして、会話もできれば、出された食事は全部食べられるくらいになっていた。
それでもどうやら、一週間くらいは入院になるらしい。週明け月曜日にはなにやら髄液の検査もするんだとか。

入院先の病院が自分の職場なもんで、時々知り合いの看護師さんが来てくれたりして恥ずかしいけれど、お世話になるしかないなと腹をくくった。

冷静になるにつれて、色々なことを考えた。
4月から長女は幼稚園に入る予定で、車で送迎するつもりだったけれど、スクールバスをお願いしなきゃいけない。
育休はあと一年の予定だけど、一年たっても車に乗れるようにはならない。もう一年伸ばしてもらうか、病気を理由に休職するか、思いきって仕事を辞めるか。
このまま発作が治まってくれたらいいけど、うまくいくかどうかも正直まだ分からないし。
今年は自動車免許の更新の年だけど、更新できないだろうから、どんな手続きをすればいいのかな。免許センターに問い合わせしなきゃ。


私はこの先どうなるんだろう…
どんな生活が待っているんだろう…
仕事を辞めたら後悔するだろうか
辞めない方が後悔するだろうか


なんにせよ
今は、私は、何にもするなってことだよなぁ…


家で過ごしているときは
いつも子供達と一緒にいて
可愛いんだけど頼むから一人にしてくれと思っていたのに
今は
一人の時間が有り余ってしまう。


この先のことが不安なはずなのに
不思議とゆったりした気分で

私一人では辿れない運命の道筋を
誰かに手を引かれて歩いているような

運命って私の意思だけで決まるんじゃないってことを
思い知らされるような

不思議な感覚

私はどこへ行くのかな