モハメド・アリ「キンシャサの奇跡」
モハメド・アリ、僕が知る限り・・世界で最も偉大なプロボクサーで有り偉大な男です。
本人もグレーテストと言っているので、間違いありません。(笑)(^∇^)
彼がどんな人かと言うと、ローマオリンピックの金メダリストで有鳴り物入りでプロへ、
ヘビー級世界チャンピオンであっただけでなく、アメリカン・ドリームの象徴でも
ありました。(^O^)/

アリのもつスピードやしなやかさが、ヘビー級のボクシング・スタイルを革命的に変えて
しまったのです。その全盛期の迫力はあまりに他と違いすぎました。(゚Ω゚;)
名声も人気もお金も手にしたはずの 黒人青年は1966年、ベトナム戦争いよいよ
泥沼化の様相を呈している中、徴兵を拒否しました。( ̄□ ̄;)!!
現役の世界チャンピオンなので前線に送られるはずもないのですが、彼の信ずる
ブラック・ムスリムの教えのせいでは?と言う人もいます、がブラック・ムスリムでは
ボクシングという娯楽スポーツを認めておらず、モハメド・アリの信念によるもので、
新しい黒い思想を持つ存在だったようです。ヽ((◎д◎ ))ゝ
徴兵拒否は、ほとんど世論の支持を得ることができませんでした。それどころか、戦争
への協力によってその権利を勝ち取ってきた黒人解放運動の指導者たちからさえも
非難されることになりました。
彼は、逆風の中での闘い続けました。先ずは国内の会場運営者から
タイトル・マッチでの使用を拒否する通告がありました。そのため、彼は試合の場所を
海外へと移さざるを得なくなります。それでも彼は、ドイツ、カナダ、イギリスで次々に
世界選手権をこなし、なんと一年間で7回もチャンピオンを防衛したのです。
圧倒的な強さだったのです。
しかし、軍への入隊を拒否し続けたことに対し、裁判が行われ有罪・・・。
世界チャンピオンのベルトとともにプロ・ボクサーのライセンス、それにパスポートまで
も没収されてしまったのです。
モハメド・アリの絶頂期の3年半が失われたのです。
初めは孤軍奮闘状態だったアリですが、しだいに時代の流れが変わり始めます。ベトナム
の戦況がしだいに悪化してゆくにつれて、反戦運動が盛り上がりを見せ始めたのです。
再びリングへ
黒人解放運動の指導者たちもしだいに政府に対する批判を強め、反戦運動に参加する
ようになって行きます。その先陣を切ったのは、キング牧師でした。
キング牧師の地元でもあり、1974年には南部初の黒人市長が誕生したブラック・パワー
の中心地アトランタ。この街は、まわりの街や州の反対を無視し、あえてアリの試合を開催
したのです。
後にアトランタ・オリンピック開会式でアリが病に冒された肉体をあえてさらしたのは、
この時の恩返しでもあったようです。
彼は無罪を勝ち取る前の年、ジョー・フレイジャーと世界タイトルマッチを行い、破れて
しまいました。3年半のブランクは大きかったのです。とこの敗戦により、アリの時代は
終わったとボクシング評論家の多くが論じました。
そのジョー・フレイジャーは当時、世界最強のハード・パンチャーと呼ばれた
ジョージ・フォアマンに叩きつぶされ、アリにとってはまた
新たな脅威が生まれました。
ザイール、当時の軍事政権(モブツ)がザイールは安全な国になったと世界にアピール
するためにドンキング(爆発ヘアーのおっさん)の計画にのり「キンシャサの戦い」が
実現しました。
このキンシャサの戦いが何故奇跡と呼ばれるか・・・・・
ボクシング関係者やその道のプロが診ても 衰えをみせる
アリが勝てる相手ではなかったのです。
アリは、身近な人達にも言わず作戦を立てました・・常識を大きく外れた作戦・・・
マスコミやみんなの前では【蝶のように舞い蜂のように刺す!足を使ってノロマな
ジョージ・フォアマンを翻弄してやる!】と繰り返し発言しましたが、
実際は違ったのです。
作戦は足を使わず、リードパンチ(ジャブのように繰り出すストレート)での
ノックアウト・・・第一ラウンド、予想とちがったいきなりのリードパンチに
ひるむフォアマンを一気にノックアウト・・のはずだったが・・
しかし、意外とスピードの有るジョージ・フォアマンには通用しなかったのです。。。
僕も初めてみた。第一ラウンド終了時にみせたアリの恐怖にひきつる表情。
2ラウンドから8ラウンド残り30秒まで、彼はロープを背にして徹底的に守り
続けました。というより、撃たれ続けたと言うべきか。
「ロープ・ア・ドープ Rope A Dope」と後に名付けられたこの戦法は、
今や「間抜けのふりをする」という意味で辞書にまで載るようになったそうです。
ラウンドが進むにつれ、しだいにフォアマンは打ち疲れてゆきました。さらに彼は
アリに対するもの凄い声援(アリ、ボンマイエ!)や
アリ自身の不気味なまでの余裕と笑顔に精神的にも追い込まれて行きました。
8ラウンドにアリが反撃に転じた時、、すでに勝敗は決していたのかもしれません。
フォアマンの巨体は、あっという間にマットに沈んでいました。
長い時を経て再びアリは栄光を手に入れたわけですが、その時アリの肉体はすでに
ボロボロの状態になっていました。
そのうえアリには、パーキンソン病という不治の病との闘いが待っていました。
神は、最後まで彼にヒーローとして闘い続けることを望んでいたのかもしれません。
そして、彼は病と闘う姿をあのアトランタオリンピックの開会式で見せてくれた
わけです。
おそらく史上もっとも偉大なボクサー。それに加えて、自らの信念を貫いた
自由なボクサーであった。
黒人にとって、自由であることが歴史的にみても非常に困難だった時代に・・
アリだけは、その信念にしたがい・・自由だった。。
現在も、パーキンソン病と闘い続けているモハメド・アリ様、
貴方がご自分でおっしゃるとおり、貴方は
グレーテストです。
当時、子供の宇宙人 ムーム
モハメド・アリ、僕が知る限り・・世界で最も偉大なプロボクサーで有り偉大な男です。
本人もグレーテストと言っているので、間違いありません。(笑)(^∇^)
彼がどんな人かと言うと、ローマオリンピックの金メダリストで有鳴り物入りでプロへ、
ヘビー級世界チャンピオンであっただけでなく、アメリカン・ドリームの象徴でも
ありました。(^O^)/

アリのもつスピードやしなやかさが、ヘビー級のボクシング・スタイルを革命的に変えて
しまったのです。その全盛期の迫力はあまりに他と違いすぎました。(゚Ω゚;)
名声も人気もお金も手にしたはずの 黒人青年は1966年、ベトナム戦争いよいよ
泥沼化の様相を呈している中、徴兵を拒否しました。( ̄□ ̄;)!!
現役の世界チャンピオンなので前線に送られるはずもないのですが、彼の信ずる
ブラック・ムスリムの教えのせいでは?と言う人もいます、がブラック・ムスリムでは
ボクシングという娯楽スポーツを認めておらず、モハメド・アリの信念によるもので、
新しい黒い思想を持つ存在だったようです。ヽ((◎д◎ ))ゝ
徴兵拒否は、ほとんど世論の支持を得ることができませんでした。それどころか、戦争
への協力によってその権利を勝ち取ってきた黒人解放運動の指導者たちからさえも
非難されることになりました。
彼は、逆風の中での闘い続けました。先ずは国内の会場運営者から
タイトル・マッチでの使用を拒否する通告がありました。そのため、彼は試合の場所を
海外へと移さざるを得なくなります。それでも彼は、ドイツ、カナダ、イギリスで次々に
世界選手権をこなし、なんと一年間で7回もチャンピオンを防衛したのです。
圧倒的な強さだったのです。
しかし、軍への入隊を拒否し続けたことに対し、裁判が行われ有罪・・・。
世界チャンピオンのベルトとともにプロ・ボクサーのライセンス、それにパスポートまで
も没収されてしまったのです。
モハメド・アリの絶頂期の3年半が失われたのです。
初めは孤軍奮闘状態だったアリですが、しだいに時代の流れが変わり始めます。ベトナム
の戦況がしだいに悪化してゆくにつれて、反戦運動が盛り上がりを見せ始めたのです。
再びリングへ
黒人解放運動の指導者たちもしだいに政府に対する批判を強め、反戦運動に参加する
ようになって行きます。その先陣を切ったのは、キング牧師でした。
キング牧師の地元でもあり、1974年には南部初の黒人市長が誕生したブラック・パワー
の中心地アトランタ。この街は、まわりの街や州の反対を無視し、あえてアリの試合を開催
したのです。
後にアトランタ・オリンピック開会式でアリが病に冒された肉体をあえてさらしたのは、
この時の恩返しでもあったようです。
彼は無罪を勝ち取る前の年、ジョー・フレイジャーと世界タイトルマッチを行い、破れて
しまいました。3年半のブランクは大きかったのです。とこの敗戦により、アリの時代は
終わったとボクシング評論家の多くが論じました。
そのジョー・フレイジャーは当時、世界最強のハード・パンチャーと呼ばれた
ジョージ・フォアマンに叩きつぶされ、アリにとってはまた
新たな脅威が生まれました。
ザイール、当時の軍事政権(モブツ)がザイールは安全な国になったと世界にアピール
するためにドンキング(爆発ヘアーのおっさん)の計画にのり「キンシャサの戦い」が
実現しました。
このキンシャサの戦いが何故奇跡と呼ばれるか・・・・・
ボクシング関係者やその道のプロが診ても 衰えをみせる
アリが勝てる相手ではなかったのです。
アリは、身近な人達にも言わず作戦を立てました・・常識を大きく外れた作戦・・・
マスコミやみんなの前では【蝶のように舞い蜂のように刺す!足を使ってノロマな
ジョージ・フォアマンを翻弄してやる!】と繰り返し発言しましたが、
実際は違ったのです。
作戦は足を使わず、リードパンチ(ジャブのように繰り出すストレート)での
ノックアウト・・・第一ラウンド、予想とちがったいきなりのリードパンチに
ひるむフォアマンを一気にノックアウト・・のはずだったが・・
しかし、意外とスピードの有るジョージ・フォアマンには通用しなかったのです。。。
僕も初めてみた。第一ラウンド終了時にみせたアリの恐怖にひきつる表情。
2ラウンドから8ラウンド残り30秒まで、彼はロープを背にして徹底的に守り
続けました。というより、撃たれ続けたと言うべきか。
「ロープ・ア・ドープ Rope A Dope」と後に名付けられたこの戦法は、
今や「間抜けのふりをする」という意味で辞書にまで載るようになったそうです。
ラウンドが進むにつれ、しだいにフォアマンは打ち疲れてゆきました。さらに彼は
アリに対するもの凄い声援(アリ、ボンマイエ!)や
アリ自身の不気味なまでの余裕と笑顔に精神的にも追い込まれて行きました。
8ラウンドにアリが反撃に転じた時、、すでに勝敗は決していたのかもしれません。
フォアマンの巨体は、あっという間にマットに沈んでいました。
長い時を経て再びアリは栄光を手に入れたわけですが、その時アリの肉体はすでに
ボロボロの状態になっていました。
そのうえアリには、パーキンソン病という不治の病との闘いが待っていました。
神は、最後まで彼にヒーローとして闘い続けることを望んでいたのかもしれません。
そして、彼は病と闘う姿をあのアトランタオリンピックの開会式で見せてくれた
わけです。
おそらく史上もっとも偉大なボクサー。それに加えて、自らの信念を貫いた
自由なボクサーであった。
黒人にとって、自由であることが歴史的にみても非常に困難だった時代に・・
アリだけは、その信念にしたがい・・自由だった。。
現在も、パーキンソン病と闘い続けているモハメド・アリ様、
貴方がご自分でおっしゃるとおり、貴方は
グレーテストです。
当時、子供の宇宙人 ムーム



