昨日、ジブリの特集みたいな番組がやっていた。
宮崎さんらの言葉が何だか胸にしみた。



結局、人間なんて大した事ない生き物で、少しでもマシな人間になるために彼らは映画を撮っていた。子供時代のドキドキ感を表現しようとしていた。



俺もそうゆう生き方をしたい。




謙虚に謙虚に。


模索してこう
こんな事があったから


余計に、この重みを感じます。




自分の将来について。自分が出来る事について。そして一番に自分の幸せについて。



答えの出ない苦しさからか、気づけば何て事なく、日々のうのうと生きています。



今、僕はボケかかった祖母と暮らしています。


彼女は一日中、ソファーに座ってテレビを見ながら、その実、何も頭に入っていない様子で、僕がキッチンに行くためにソファーに近づくと、彼女は物音を察知して直ぐにこちらを見てきます。


彼女はたまに新聞も読んでいます。が、その実、何も頭に入っていない様子で、僕がソファーに近づくと、こちらを見てきます。


彼女はただ単に所在ないのでしょうか。




僕は、半世紀後の自分の姿を見ているようで、大変不愉快になります。



僕は、その状態の人を生きていると定義したくないのです。





人は簡単に死にます。


文明が発達した今でさえ、です。


今だから、精神的圧迫さえも、です。



そこに空しさを覚えるのではなく、只、自分の幸せを僕は追いたい。


高校時代に、「人は他者の為になっていると感じる時、最も幸せを感じる」と習いました。


その真偽は未だ僕は明らかにしたくないですが。



結局、ふりだしに戻ります。この永遠の思考のすごろくからいい加減抜け出したいと思うのですが。
おそらくこのブログは見る人が見れば、誰が書いているかおおよそわかるはずです。特に情報の規制はしていませんので。
私の知人がいたら、暖かい目で、知らんぷりしてほしいところです。



この場所は、僕の汚い部分を含みます。人間ですから。


醜い感情を規制せず吐き出す事で、人間は又、新しく思う事があるんじゃないかと。


僕は優しい人間ですから、汚い感情は、時間が経てばいつの間にか消え去っています。そうして今まで生きてきたのです。おそらく大半の人も。


それをいちいち記録してみる事も面白そうです。一つの試み。





何はともあれ、今日、ようやくToeflが終わりました。


先日ITPを、今日IBを受けました。


IBの出来なさっぷりには鳥肌物でした。


ITPで自信が持てたはずのreadingさえ出来なかったのは、ショックです。


画面が液晶になって、周りが多少騒がしくなったぐらいで、劇的に下がってしまった僕のリーディング能力は、非常に限られていて脆いものだったと痛感しました。








僕の未来は揺らいできています。




根拠なく持っていた自信も大分減ってしまった気がします。




幸い、今は春休みですので、出来るだけゆっくり、色々な事を考えていこうと思います。