起きたら12時でした。こんにちは。


最近、生活のリズムがバラエティに富んでいます。


決まった時間に何かをするって事がなくなった。これも大学生ならではなのでしょうか。


おかげで、最近は色々な事を考える時間が増えました。


大半はくだらない事で、たまに真面目な事を。


真面目な事を常に考えたところで、答えがでるかというと、それが微妙なのです。


むしろバランスが悪くなってしまう。


そういえば、去年の4月くらいに、mixiで知り合った人達の勉強会に2回程参加しました。


宗教系ではないのですが、生きる意味について、先人たちの考えを学ぼう、という趣旨でした。


ぼくは、ただただ興味心から参加しましたが、こういった大それた命題を、複数人で考えるというのは少し抵抗がある事に気づきました。


これはぼくの中では、少し大切な発見でした。


ぼくが人間を好きである事実はあれど、人間の本質、人生の本質について、自分以外の人間を介したくない。そんな思いが少々あったのです。


しかし、人間は何かと何かを比較する事で物事を究明していきます。


人間を究明するにあたって、他者を介さないというのは、何もしないと同じではなかろうか。


日常、感情はどこからくるのか、どうしてぼくは物を考えるのか、そんな事を知りたい知りたいと思いつつも、実際のところ、答えはでないままでいいと思っているのです。


これは、いわゆる不可知論というものですね。


ぼくは不可知論者でした。


ぼくがこの考えに至った理由はいくつか思いつくのですが、それはまたの機会にしましょう。


そう、生きる意味など我々にわかるはずもないのだ。


mixiの勉強会では、ヨーロッパの哲学は生きる意味を結局解明できなかったが、仏教のなんちゃらは解明した。みたいな話をしていたが、それは欺瞞である。


むしろ、生きる意味など、わからないからこそ人間は生きれるのである。たぶん。






と、ぼくは割りと真面目な類の事を考えてもいる。


しかし、こんなのを毎日考えるやつの気がしれない。



自分のペースでバランスよく。こうでなくっちゃ。




今日は日曜日。さざえさんでも見ましょうか。