時間が経ってしまいましたが、続きです。
夜は、余震があり地震があるたびに皆で悲鳴を上げていました。
外は真っ暗で何も見えない状況でした。とても寒くて一つの毛布を四人で使っていました。
ジェットスキーで助けにきてくれたみたいで、トラックの上にいた人や、信号機の上にいた人、車のなかにいた人が助かったようでした。
とにかく時間が経つのが遅く感じて、とても長い夜でした
安否を気遣う友達からメールが届いていて、こちらからメールをしても全然送信ができませんでした。
一緒にいた女性から飴をもらいました。とてもありがたかったです。
マンションの一階は水没していたので、水が引くのか心配でした。
朝になり、明るくなって外にでてみると水が引かない中、肩をつかんで歩いて避難していく人がたくさんいました。なかなか救助がきてくれないので自力で歩いて行く方が多かったです。
佐川急便の二人も歩いて帰って行き、別な方も歩いて帰りました。気をつけてくださいといって別れました。私も昼前には出ようと思い、同じ方面のおじさんや女性と住人の大学生も市役所に避難するということでみんなで出ることにしました。
少しずつ水が引いていたけど、膝上まで水がありました。そして片足を入れたら、とても冷たかったです。油など浮いていたりしていて、掛け声をかけながらみんで歩きました。ところどころ深くなっていて手をつなぎながら帰りました。
国道に出ると水が引いていました。途中で大学生と女性と別れてまた歩きました。
マンションに避難していたときにも想像はしていたけど、いろんなものが流れていて知っているまちが悲惨な状況を目の当たりにして言葉が出ませんでした
でも歩いてる途中に何台もの長野県の消防車が停まっていたり、他県の消防車をみて励まされました。
やっとの思いで、自宅について足を洗ったら急に力が抜けてドッと疲れが。
両親も出掛けてたみたいで帰ってきました。地震で冊子の窓が壊れていてシートをかぶせました。
クロスなどにも亀裂が入っていました。自宅の電話から友達の携帯に繋がって声を聞いたらお互い涙が。友達はおお泣きで。でも無事だということ確認できました。
横になったらいつしか寝てしまいました。
一時間くらい寝た頃チャイムがなり母が対応していました。会社の社長や部長が来てくれていました。
社長達も水に浸かりながら歩いて帰ってきたようでした。
無事でよかったと。でも会社一階は水没でした。二メートルくらい入って、2階に逃げたようで無事でした。
三日目あたりで電気が点いて感動しました。水道は半月くらいでませんでした。避難所などで並んでもらいました。食料も三時間待ちで1人10点までと限られていました。インスタントラーメンやお菓子など買えました。コンビニも何もないという現状は、びっくりでした。そのあとにも地震があり電気と水がとまりましま。
初めての事態に、今まで当たり前に生活していたことが出来なくなって改めてどれだけ便利な生活をしていたのか感じさせられました。便利な世の中に、暮らす上でそこに生まれるリスクを認識し行動していく必要性を痛感しています。
私自身も他の友人の連絡を取り、無事でよかったと。無事じゃない人たちがたくさんいるのに・・・笑えなくなった。
でも、会ったことがないブロ友さんに温かい言葉をもらってとても嬉しかったです。とても励みになりました。ありがとうこざいます。
私は、本当にみなさんに助けられて今ここにいると思っています。
私のところは電車が再開して少しずつ元の生活に戻っていってます
夜は、余震があり地震があるたびに皆で悲鳴を上げていました。
外は真っ暗で何も見えない状況でした。とても寒くて一つの毛布を四人で使っていました。
ジェットスキーで助けにきてくれたみたいで、トラックの上にいた人や、信号機の上にいた人、車のなかにいた人が助かったようでした。
とにかく時間が経つのが遅く感じて、とても長い夜でした
安否を気遣う友達からメールが届いていて、こちらからメールをしても全然送信ができませんでした。一緒にいた女性から飴をもらいました。とてもありがたかったです。
マンションの一階は水没していたので、水が引くのか心配でした。
朝になり、明るくなって外にでてみると水が引かない中、肩をつかんで歩いて避難していく人がたくさんいました。なかなか救助がきてくれないので自力で歩いて行く方が多かったです。
佐川急便の二人も歩いて帰って行き、別な方も歩いて帰りました。気をつけてくださいといって別れました。私も昼前には出ようと思い、同じ方面のおじさんや女性と住人の大学生も市役所に避難するということでみんなで出ることにしました。
少しずつ水が引いていたけど、膝上まで水がありました。そして片足を入れたら、とても冷たかったです。油など浮いていたりしていて、掛け声をかけながらみんで歩きました。ところどころ深くなっていて手をつなぎながら帰りました。
国道に出ると水が引いていました。途中で大学生と女性と別れてまた歩きました。
マンションに避難していたときにも想像はしていたけど、いろんなものが流れていて知っているまちが悲惨な状況を目の当たりにして言葉が出ませんでした

でも歩いてる途中に何台もの長野県の消防車が停まっていたり、他県の消防車をみて励まされました。
やっとの思いで、自宅について足を洗ったら急に力が抜けてドッと疲れが。
両親も出掛けてたみたいで帰ってきました。地震で冊子の窓が壊れていてシートをかぶせました。
クロスなどにも亀裂が入っていました。自宅の電話から友達の携帯に繋がって声を聞いたらお互い涙が。友達はおお泣きで。でも無事だということ確認できました。
横になったらいつしか寝てしまいました。
一時間くらい寝た頃チャイムがなり母が対応していました。会社の社長や部長が来てくれていました。
社長達も水に浸かりながら歩いて帰ってきたようでした。
無事でよかったと。でも会社一階は水没でした。二メートルくらい入って、2階に逃げたようで無事でした。
三日目あたりで電気が点いて感動しました。水道は半月くらいでませんでした。避難所などで並んでもらいました。食料も三時間待ちで1人10点までと限られていました。インスタントラーメンやお菓子など買えました。コンビニも何もないという現状は、びっくりでした。そのあとにも地震があり電気と水がとまりましま。
初めての事態に、今まで当たり前に生活していたことが出来なくなって改めてどれだけ便利な生活をしていたのか感じさせられました。便利な世の中に、暮らす上でそこに生まれるリスクを認識し行動していく必要性を痛感しています。
私自身も他の友人の連絡を取り、無事でよかったと。無事じゃない人たちがたくさんいるのに・・・笑えなくなった。
でも、会ったことがないブロ友さんに温かい言葉をもらってとても嬉しかったです。とても励みになりました。ありがとうこざいます。
私は、本当にみなさんに助けられて今ここにいると思っています。
私のところは電車が再開して少しずつ元の生活に戻っていってます


と言ってる時には船酔いみたいな感覚で気持ち悪くなりました。
は津波の被害がなかったためわからなかったみたいでした。ラジオを聴いて相当な被害だということを知りました。


