今日も昨日も気候の所為か
かなり体調が悪かったけど
起きて、ガンバってお祭りしました。

まぁ食べてただけなんだけどねぇ。

だけど、我が家の両親も姉も
人の話をあまり聞かないし広げない。
自分の話をするのは得意みたいなのに。

だから、従姉妹夫婦が出した話題は
私が『へぇー』とか『ほんで?』とか相槌うち
話をなるべく広げて聞き出すように。。

でも聞き取りだけでも
疲れちゃうのに脳内で話題の広げ方
次の話題の持って行き方。。考えて。。
なんか少し疲れました。。(汗)

疲れたと言えば、父の宴会中のぼやき
これにはどっと疲労感とかでてしまった(汗)
それでも笑って、流れに任せてたけど。。

でも今更、まだ言ってるんだねぇ。。。

20年くらい前も親戚沢山いる前で言ってたね。
言われた姉は否定しないから
聞いてた親戚の顔は、同情色に変わって。。

私的には本当に傷ついた一言でした。。
でも、笑って『そうだったんだぁーっ』と冗談っぽく。

そして、それがアメリカに行って生活すること決心した
私にとっては大きなとても大きな理由のひとつでした。。

アメリカで一生、誰にも迷惑をかけずに自立し
一人で生活して行こう。。家族から離れよう。。

そうすれば、父の心配も解消される。。
本気でそう思って生活を決めました。。

でも、、、
十数年後に私が身体を壊し戻って来た今も
父はそういう風に考えて、姉を哀れんでたなんて。。

正直ショックでした。。哀しかったです。。

事件で罪を犯し、人の人生を変えた人でも
時効があるのに、私にはやっぱないんだね。。
一生、そう思われ続けなきゃイケナイんだね。。

だって本当に私の所為なんだものね。

『こいつ(私のこと)が、こんな(障害者)だから
 (姉の顏を見て)嫁に行くことが出来なかった。
 もし行ってたら孫が沢山出来たのになぁ。。』

ごめんね、否定もせずに相槌打ったねーちゃん。
ごめんね、大好きな長女の孫が見たかったお父さん。

だけど今更、
そんなコト言われてもどうしたらいいん?
私いなくなるコト出来ないし。いなくなりたくないし。

どうせ、もう何も出来ないなら
せめて親戚に哀れそうに言うの止めて欲しい。。

だって、私は産まれたときからなんだよ。
私が皆に申し訳なくても何も出来ないんだよ。。

。。ってこれを逆切れというんですかね?あせる

だけど、その時に何くわぬ顔で笑って一通り聞いてから
私ってば話を変えた、ぼこぼこ別の話をしたった(ノ∀`)

でも、その反動がベットに入ってから来ちゃったみたいで
二段ベットの上段に寝てる姉に気付かれないように
声を出さずに、携帯いじってる振りしながら泣いちゃった。

涙がねぇ、あとからあとから。。流れるながれる。。
なんか申し訳ない涙とどうも出来ない悔し涙。。
そんな感じの涙だったのかなぁ。。止まらんくて(汗)

その後、1時間、 涙を流してしまったから
顔がねぇ、もうパンパンに浮腫んでしまって
今もしも大きな鏡でもあったら笑えるよっ(ノ∀`)

もーう、ホントお馬鹿だねぇーっあせる