ドラマの時間 「嚥香がいいお茶」 イザベラバードの日本紀行  | パパンズdeアトリエ

パパンズdeアトリエ

アトリエ絵画スケッチデッサンなどの個展
芸術、宗教、思想、科学、宇宙、夢のことなどを筆が勝手に紡ぎ出すがごとく綴ります。

富士山
 

 

 

秦の始皇帝は徐福に、東の海にあるという蓬莱山(ほうらいさん)から不老不死の薬を持ち帰るよう命じられたのです。
世に萬金丹のように、すべての病に利くような万能薬など無いので、手ぶらで帰っても制裁が待っているだけなので、徐福は始皇帝から貰った旅銀で遊戯三昧したあげく、二度と帰ることはなかったという。
この故事にならい、その蓬莱山を「不死山」富士山と呼ぶようになったという。
 

嚥香(えんか)
 

久々、山口に帰郷したとき、「えんかがええお茶でも淹れようのう」と母親は、立ち上がり水屋箪笥から茶筒を取り出した。
その後、「えんか?」とは、どんな漢字を充てるのかがずっと気になっていた。
IMEの漢字変換に任せると、演歌、煙火、嚥下などが候補に上がるが、どれも違う気がする。
どうやら、これは山口方面の方言らしい。
ネットのQ&Aコーナーで、ある人が「嚥香ではないだろうか?」との回答があった。
「なるほど、嚥香か…」 嚥+香は、喉越しと香りの意味合いがあるので、これがえんかもしれない。

イザベラ・バードと日本茶の出会い

イザベラ・バード(1831年~1904年 大英帝国の旅行家、探検家、紀行作家 )
明治期、まだ維新も明けやらぬ古き風情が残り香のように漂う横浜港に彼女は降り立った。
 

 

『江戸湾の空は、やや淡いブルーに霞んでいた。
甲板では、しきりに富士山を感嘆する声がするので、富士山はどこかと長い間探して見たが、どこにも見えなかった。
地上ではなく、ふと天上を見上げると、思いもかけぬ遠くの空高く、巨大な円錐形の山を見た。
海抜13,080フィート、白雪をいただき、素晴らしい曲線を描いて聳えていた。』
 

十八日間に及ぶ航海を経て、日本の陸地をはじめて眺望したのだった。

1878(明治11)年5月20日の早朝のことである。
この時、彼女は、通訳兼従者として、数えで十八歳の伊藤鶴吉を12ドル/月で雇った
しかし、初見の印象が彼女には、あまり芳しいものではなかったようだが、旅を続けるに連れ、その彼の誠実さが伝わってきたようだ。


 イザベラバード wikipedia

 

 

伊藤鶴吉 wikipedia

 

イザベラバードの通訳として12ドルの月給で雇われたのだった 

初見は、彼女にはお気に召さない様子だったが、旅を続けるうちに、彼の誠実さが理解できたようだった。

 

1874(明治七)年は、100円は101.583ドルなので、大体、1円=1ドルだった。
当時の1円≒現代の貨幣価値で2万円だという。
アメリカ製自転車が200円だったというので、現代では400万円にもなり、当時は超高級品だった。
ざっくり当時のドル(D)から現代円値(E)に変換すると、E = D*20,000 となる。
従って、伊藤君の月給は、E=12×2万円 ざっと24万円となる。十八歳にしては、結構いい給与だとも思うが、それ以上にイザベラが大金持だったことに驚く。

自分が幼い頃も自転車は高級品だった。
我が家には、大人用の男乗りで三角フレームの自転車があり、その三角形の中に足を無理やり突っ込み、向うのペタルを踏み、まるで競技ヨットの操縦のように、巧みな姿勢で漕ぎ進むのである。
当然、自転車は大きく右に傾き、急ブレーキなどには対応できない危険な乗り方だった。


春日部の茶屋

イザベラと人力車や従者一行は、日光方面に向けて横浜を出発した。
 

『春日部に向かう人力車が道中の茶屋で一服の休憩をとると、女の子が、小さな膳に茶器を添えて運んできた。
注ぎ口に直角に中空の取っ手がついた急須から、取っ手も、受け皿も無いカップに液体を注ぎ始めた。
一分ほどで抽出した液体は、透明な淡い黄色で、良い香りと味わいがして、どんな時も気分がさっぱりとして有難いものです。
日本茶は淹れっぱなしにしておくと嫌な渋みが出てきますが、ミルクや砂糖は加えません。』


この時、初めて口にする日本茶の味わいを堪能するイザベラの感想が率直で端麗につづられている。

『当時の茶屋にはお櫃が置いてあり、冷たいご飯がいつでも食べられた。
車夫は、熱いお茶を注いでご飯を温めます。茶屋の女の子がこのお櫃を傍に置いて、向かい側の床に座り、
「もう、けっこう」というまで、茶碗にご飯をよそってくれます。』と記されている。


ある宿を出るとき、八十銭の宿賃を払った。当時の一円が現代の貨幣価値で二万円だとすると
E=0.8*20,000=\16,000の宿賃といったところだろうか。
 

散々、蚤に悩まされ、破れた障子から多数の目で覗き込まれ、深夜まで続く宴会のどんちゃん騒ぎに悩まされた彼女には、割に高いと思ったかも知れない。

奥地に旅が進み、地方農民の貧しく医療にも恵まれない貧しい人々と交流するにつれ、貧しいが礼儀正しく、むやみに善意でやった行為に対し、報酬を望まない姿勢に清々しい好感を抱いた彼女は、水と緑が豊富で英国には無い自然の情景に、旅を満喫することが楽しみになっていったのである。

ロンドンの緯度は北緯51.3度というから、北海道の宗谷岬のもっと北側、樺太(サハリン)あたりになる。
平均気温は真夏で18℃、真冬で5℃というから、緯度が示すほど寒くない。
北大西洋海流の暖流の上を流れる偏西風が、西ヨーロッパに流れるので、ノルウェーとか、スウェーデンといった更に北側でも人が住めるのだろう。

日光の金谷ホテル

 


当時、金谷カテッジインという、自宅の侍屋敷を改装して異国人向けに開業したホテルで、後の金谷ホテルの前進だった。
イザベラが宿泊した部屋の紹介などもある。


コーヒーブレーク

姉が「最近、美味しいお茶が無い」と不満を洩らしていた。
そういえば確かにそうかも知れない。
自分は、ある知り合いの奥様からご教授いただいた、はらだ製茶の三百円台の袋入り茶葉がコスパがいいので愛飲している。
九州地方の 知覧茶、屋久島茶など安くても味わいがある茶葉を好んで買っている。
英国で飲まれる紅茶は、中世時代、キャラック船でアフリカ喜望峰 東南アジア、インド辺りから仕入れた茶葉が長い航海で発酵が進み、それを淹れて飲んだところ「こりゃあいける!」と英国人に受け世界に流行ったという。
 

お茶こそ萬金丹 その効用


食物繊維、タンパク質、脂質、クロロフィル、ビタミンE、βカロテンなどの栄養分があり、
効能として、悪玉コレステロールの低下、体脂肪低下作用、ガン予防、抗酸化作用による老化防止、虫歯予防、抗菌作用などがある。
まさに、これぞ秦の始皇帝が求める萬金丹に匹敵するものだろう。
始皇帝にしても、猛毒である水銀など服用しないで、日本の緑茶を服用すべきだろう。

お茶を淹れた後の茶葉をそのまま捨てるのは勿体ない気がする。
ネットで調べると、佃煮から、チャーハン、果ては、入浴剤、シンク清掃、カーペット、畳の清掃、床磨きまで万能な使い道がある。
水虫の薬にもなるというから、萬金丹+万能素材ともなる。

 

「嚥下がええお茶でも淹れようかのう?」


長々、ご清聴ありがとうございます。