送らせてと懇願した割に、俺達の間に会話はなく、ただ駅までの道を黙々と歩く。
佐原とこんな事になっちゃって、俺、これからどうすればいい訳?
おそらく佐原は指輪の事を吹聴したりしないだろうけれど、もう無料の家庭教師は失ってしまった。
こんな気分を抱えて、この後何食わぬ顔して春樹に会えるだろうか。
こっそりと溜息をついた。
と、隣を歩く佐原がピタリと足を止める。
「佐原?」
どうしたんだろうと、顔を上げかけて―――俺もまた足が硬直するのを感じた。
目の前に、春樹がいる。
見間違いだろうかと何度か瞬きしたが、それは幻覚でも何でもなく、本当に本物の春樹本人が立っているのだ。
唖然と口を開けている佐原をちらりと一瞥し、春樹は黙って腕を伸ばした。その指が俺の手首を捉え、引き寄せるのを、俺も他人事みたいに眺めていた。
春樹はむっつりと黙りこくっている。
いつも以上に仏頂面で、彼の身体から青白い炎が立ち上っているみたいだ。
その炎は―――嫉妬だろうか。
「春・・・」
佐原との仲を誤解されてしまったのではないかと、それだけは言い訳しようとして慌てて口を開きかけたが、それより先に彼は佐原に向かって低く呟いた。
「お前が俺をどう思っていようと勝手だけどな。・・・・・・梓を巻き込むな。こいつに手を出して傷付けるような真似をするなら、俺は黙っていないからな」
春樹の声は、ゾッとするような響きを持っていた。
こんな春樹も知らない、と思った。
今まで見た事もないくらい、彼は深く静かに怒っているのだ。
それは嫉妬なんてものじゃなく、何か―――もっと根が深いような・・・・・・。
「・・・・・・春樹、佐原と知り合い?」
ふと思い付いた事を訊いてみると、答えたのは春樹ではなく佐原だった。
「そりゃあ知ってるよな?いつも市原の下にいるんだから」
人の好きそうな普段の顔はどこへいってしまったのか、佐原は妙に荒んだ物言いをした。
「俺が必死にやってもさ、どういう訳か市原は俺より一歩だけ先にいるんだよな。本当に、いつも一歩だけ。たった一歩が、俺は追い越せない。その悔しさがお前に分かる?」
佐原の言葉は、ある程度予測出来たものだったんだと思う。
心のどこかで、やっぱり、と納得してる自分がいる。
それは、さっき佐原の部屋にいた時にも感じたものだ。
言葉の端々に、やけに春樹を意識してるみたいな印象を受けた。
彼はさり気なさを装っていたけれど、ライバル意識のようなものはビシビシ伝わってきていた。
「最初から意識してた訳じゃねーよ。・・・・・・市原に負けたくねーと思い始めたのは、今年の春の親善試合ん時からだ」
「親善試合?」
何の?と春樹と視線を交わす。
「覚えてねーんだろうな。市原は色んなクラブの助っ人気取りで、颯爽と現れては消えて行く英雄(ヒーロー)みたいなもんだったんだから」
それって、以前よく頼まれるままに引き受けていた―――というよりは、俺が春樹に引き受けさせていた―――運動部の助っ人の事か?
「バレーだ」
ぼそり、と春樹が言った。
「バレー・・・・・・、もしかして、佐原ってバレー部?」
春樹が入ったために、レギュラーから外されて恨んでたとかそういう事だろうか?でも、部活動はしてないみいだったけど、俺との勉強会のために休んでたのか?
「覚えてたのか?」
佐原は、春樹を睨みつけた。春樹は答えずに、肩を竦める。
俺は黙って、二人を比べた。
春樹の態度に業を煮やしたのか、佐原は今度は俺に向かって口を開く。
「退部したんだよ、親善試合の後に」
「それって・・・・・・春樹の所為な訳?」
その質問には、佐原は首を横に振った。
「切っ掛けはそうだったのかもしれないけどな。・・・・・・俺、親善試合直前に、膝痛めてさ。試合に出られなかったんだよ」
「もしかして、佐原の代わりに春樹が出たんだ?」
「そう。他にも部員はいるのに、何だって部外者を引っ張り出すんだって正直ムカついた。けど、結果は圧勝。
・・・・・・やってらんねーよな。俺はレギュラーになるまでに一年近くかかった。そんで、なった途端、張り切り過ぎて自滅だよ。ところが、いきなり部員でも何でもないヤツが現れて、ちゃっかり試合だけ出て大活躍。・・・・・・俺が出るより良かったんじゃないかって、陰口言うヤツまで現れる始末で・・・」
「佐原・・・ごめん。ごめん、俺・・・」
咄嗟に謝った俺を、彼は不思議そうに見る。
「何で先輩が謝る訳?」
「多分それ、俺の所為だ。春樹は元々助っ人なんてやる気は全然なくて・・・・・・でも、俺がやれって言ったから。それで・・・」
関係ねーよ、と佐原は言った。
「俺が出ても勝てなかったかもしれない。結果的に、市原の方が実力が上だった。それは事実だ。俺だってちゃんとそれくらい認めてる。分かってるけど―――負けたくねーって思ってもしょうがないだろ?それで、何度も何度も思い知らされるんだ。あと一歩のとこで、俺は市原に勝てない」
「だから、梓にちょっかい出したのか」
決めつけるように、春樹が口を挟んだ。
「春樹」
慌てて窘めたが、間に合わなかった。
佐原は、ギラギラした目で春樹を睨みつけている。
「・・・・・・そうかもな」
吐き捨てながら、彼は俺に視線を戻し申し訳なさそうな表情を作る。
「いいよ。何となく・・・・・・そうじゃないかなって気がしてた。・・・・・・気が付いたのは、さっき部屋でだったけど、本当は俺の事好きとかそんなんじゃなくて・・・」
「それは違う」
俺の言葉を遮って、彼は否定した。
「市原を意識するようになって、いつも一緒にいる羽柴先輩も視界に入るようになった。市原にとっての羽柴先輩みたいな存在が、羨ましかった。市原はきっと、羽柴先輩がいるから頑張れるんだろうなって思えたからさ。羽柴先輩が俺を好きになってくれたらいいのにって・・・・・・思ってたのは本当」
「佐原・・・」
「羽柴先輩が俺のもんになっちまったら、市原に一泡吹かせられるなって思ったりもしたけどさ。・・・・・・先輩の事は、マジで好きだったんだって」
それだけは嘘じゃないよと、彼は言う。
この場合何て言えばいいんだろう、と考えていたら―――掴まれたままだった手首を、さらに強く引かれた。
「あ・・・?」
春樹はもう佐原を見ようともせず、真っ直ぐ駅に向かって歩き出す。
俺を引き摺ったまま。
「春樹、春樹っ!ちょっと待ってよ、まだ佐原が・・・」
「もう話す事なんかない」
キッパリと彼は言った。
「それとも、梓はあいつの方がいいのか?」
「そんな事・・・」
ないよ、と口にして、でもやっぱり気になって佐原を振り返る。
彼は道の真ん中に立ち尽くして、俺達を見送っていた。
そうして、小さく手を振った。
俺は手を振り返す事も出来ずに、そんな佐原を黙って見ていた。
彼はどんどん小さくなって、やがて見えなくなった。