高橋と話してたせいで、約束の時間から少し遅れて図書館に着いた。

佐原はもう来ていて、自分の宿題らしきものを広げている。


「遅かったじゃん」


「あ・・・・・・うん、ごめん」


「もしかして、市原と揉めてた?」


さり気なく訊かれて、そうじゃないけど、と口籠る。


「なぁ、もう直ぐ一学期終わりじゃん。夏休み中はどうする?」


彼は直ぐに話題を切り替えた。


「夏休みかァ。どうしようかな。俺はいいけど、佐原は?忙しいんじゃないの?」


「全然忙しくないよ。じゃあ、時間決めてここで会おうか。ホントは試験休みがあれば、今だってもっと時間取れるんだけどな」


自習室にパラパラといる私服姿の連中を眺めて、彼は言った。

彼らは試験休み中らしく、早い時間からここに来ているらしい。


ウチの高校には、試験休みがないのだ。

以前はあったらしいが、テストが終わった解放感から羽目を外す生徒が目立った年があり、そのせいで試験休みは廃止されてしまった。


「先輩、二十日って暇?」


その問い掛けに、俺は曖昧に肩を竦める。


二十日は春樹の誕生日だ。

特別な約束はしてないけれど、好きな人の誕生日は祝いたい。

それに、恋人同士ならその日は一緒にいるべきだろう。


「その日、終業式で午前中には終わるだろ?前に話した、従姉妹の志織がウチに来るんだ。悪いんだけど、ちょっと付き合って貰えるかな」


「あ―――・・・・・・そっか、・・・うん、分かった。そんなに時間はかからないよな?」


「多分、それ程は・・・」


分かんないけど、と彼は付け加える。


どっちにしろ、夜まではかからないだろう。

せめて誕生日の夜くらい、春樹と二人で過ごしたい。


(付き合って最初の誕生日だし)


春樹もそう思っていてくれるだろうか。

どっちにしろ、一度ちゃんと話した方がいいという気になっていた。

どこまで打ち明けられるかどうかは兎も角。


「じゃあ、いいかな。当日は、志織がいる時間に合わせて・・・」


「いいよ、約束だもんな」


自分にも言い聞かせるように口にした。

佐原は何だか複雑そうな顔つきで頷くと、「じゃあ始めようか」 とテキストを広げる。


二年なのに三年の問題も分かるらしく、彼の教え方は的確で分かりやすい。

勿論、春樹ならもっといいかも、と思わない事もないのだけれど、彼だと落ち着いて勉強に専念出来ないかもしれないし、家庭教師としては佐原の方が適任な気がする。


春樹と過ごす時間が短いのは寂しいけれど、目先の楽しさよりも未来の幸せのためだ。目標があるんだから、いくらだって頑張れる。


☆   ☆   ☆


「梓」


怒ったような声に顔を上げると、俺の家の前に春樹が立っていた。


「遅かったな」


辺りはもう薄暗くて、春樹の表情がはっきりと見えない。


「上がっていいだろ?」


有無を言わせぬ口調で、彼は続ける。


何となく嫌な予感がして、本当はこのまま自宅に逃げ込んでしまいたかったけれど、そうもいかないから覚悟を決める。


「・・・いいよ」


俺は玄関のドアを開け、春樹を中に通す。


靴を脱ぐながら、ちらりと盗み見た彼の表情から、感情はあまり読みとれない。さほど不機嫌な感じはしないけれど、勿論機嫌がいいというのでもない。


よく分からない。


きりりと引き締まった唇が視界を掠め、そういえば暫くキスもしてなかったなあと思った。


あれきり春樹は、俺を抱きたいとは言わなくなったし、何となく気まずかった事もあって二人きりにならないようにしてたんだった。


自室に入って鞄を机の上に置いて、ベッドに腰を下ろす。

瞬間、ベッドはマズいかなと思ったのだが、意識しすぎるのも変な話だ。


春樹はドアを閉め、真っ直ぐに俺の隣までやって来た。

そのまま触れそうなほど近くに、腰を下ろす。


ギョッとして、思わず身が強張った。

ベッドはこんなに広いのに、わざわざ近い位置に座るなんて―――ちょっと反則だ。いや、そんな風に考える俺が意識しすぎてるのかな、やっぱり。


春樹が間近で、俺をじっと見てる。

何もかも見透かすような、痛いくらいの視線だ。


「・・・・・・春樹、何?」


「―――二十日の俺の誕生日・・・一緒に過ごしてくれないか?」


二十日、という言葉にドキッとして顔を伏せる。


(佐原との約束は夜までかからないだろうし・・・)


「夜ならいいよ。一緒にいよう」


パッと顔を上げて明るく言ったのに、春樹は眉間にスウッと皺を寄せた。


「 “夜なら” ?昼は、何か予定があるのか?」


こういうところ、春樹は鋭い―――っつーか、今のは俺がマズったのか?


「え、えーと・・・」


「梓」


言い訳しようとするのを、低い声が遮る。


「アンタ、俺に隠れて何してる?」


「隠れてなんか・・・!」


人聞きが悪いな、と苦笑して誤魔化そうとした。

が、これくらいで誤魔化されるようなチョロイ男じゃない事は、俺が一番よく知っているのだ。


「ずっとアンタの事見てきたんだ。アンタが何か隠そうとしてるのなんか、とっくに分かってる」


責めるように、春樹が言う。


なまじ後ろ暗いところがあるものだから、その言い方がカチンときた。

確かに俺は春樹に隠し事をしてる。だけど、じゃあ春樹は何だよ?


春樹だって―――。


「お前はどうなんだよ」


「え?」


まさかの反撃だったのか、彼はキョトンと目を丸くした。


「デートしたんだろっ。昨日の帰り、高橋と “和み” で!」


間髪入れずに 「あれはデートなんかじゃない」 と、春樹は反論する。


「・・・・・・フーン、どうだかね。じゃあ、何で俺に何も言わなかったんだよ。ちょっとした浮気気分だったんじゃないの?フッた女と、今更何考えて仲良くしてんだよ!あいつはまだお前の事諦めてないんだし、変な気を持たせるような真似してんじゃねーよっ」


「言うほどの事じゃないから、言わなかっただけだ。梓が誤解するような事は、何もない」


気まずさから、つい声を荒らげてしまった俺と引き換え、彼の口調はあくまでも冷静沈着だ。


「何もない?・・・・・・嘘ばっか。高橋からの伝言を、俺に伝えないのは何で?何か思惑があるんだろ!」


春樹の顔がちょっと揺れた。


図星なのかも、と彼を責めた言葉が、反対に俺自身を傷つけたのが分かった。


俺ってば―――バカみたい。

今のは、何だか自虐的だった。春樹が高橋の事を憎からず思っているんだとしたら、それは俺にとって歓迎すべき事じゃない。


分かっていながら、何で自分で聞き出そうとしたりすんの?


もうやめようと思うのに、春樹が反対に訊き返してくる。


「伝言・・・・・・高橋から、聞いたのか?」


「内容は聞いてない。高橋は、春樹に伝えたから春樹に聞けって言った」


所がそこで彼が黙ってしまったので、折角抑えようとした気分がまたイライラと騒ぎ出してしまう。


「で?何だよ、芳久さんからの伝言って。何でちゃんと伝えない訳?」


「別にたいした事じゃない」


ボソリと春樹は吐き捨てた。


「・・・・・・ちょっと待てよ。それはお前が判断する事じゃないだろ!俺に伝えもしないで、勝手に握り潰していい訳ないじゃん!」


「じゃあ、言うけど」


むすっと苦虫を噛み潰したような表情を崩さずに、彼は渋々口にする。

その手が不意に俺の手首を摑んで、咄嗟に振り払おうとしたが適わなかった。


「春樹?」


ぐっと、手に力が籠る。


「お前・・・・・・痛いよ、離せ」


だが、力は緩まない。

それどころか、強引に引き寄せられそうになって、内心酷く焦った。


「春樹!」


「言うけど、それは梓が俺の質問にちゃんと答えてくれてからだ」


引き換え条件を出されて、ドキンと心臓が一つ跳ねた。


「な・・・に・・・?」


「前に訊いた時にも、結局はぐらかされたんだよな。・・・・・・アンタ、高橋の兄貴とは何だったんだ?」


「・・・・・・何って―――」


何でもねーよ、と小さく呟く。


実際、何でもなかった。

芳久とは何度か出掛けただけで、ちょうど春樹の事で悩んでいた時だったけど、具体的に何か相談に乗ってもらったりはしなかったと思う。勿論彼の存在が、春樹への気持ちを認める切っ掛けにはなったけど―――それは、この際関係ないだろう。


大体、そんな何ヵ月前の話を、何だって蒸し返すんだ?

っていうか、蒸し返さずにはいられないような伝言を伝えるように言われたのか?


芳久の伝言って、いったい何だよ!


「本当は、今でも連絡取ってるんじゃないのか?」


突拍子もない事を、春樹は言い出した。

これって嫉妬?だとしたら、勘違いも甚だしい。

嫉妬するだけ無駄じゃんか!


「お前、何バカな事言ってんの?俺と芳久さんが連絡取り合ってんなら、わざわざ高橋に伝言なんか頼む訳ねーだろ」


春樹はそんな事百も承知で、ただそれは芳久の事を引き合いに出しただけなのだと、次の言葉で分かった。


「じゃあ、今は誰と会ってるんだ?」


「誰と・・・って・・・?」


「毎日毎日、誰とどこに行ってる?二十日もそいつと会うのか?」


―――ある意味当たってる。でも、そんなんじゃない。


「春樹・・・・・・うわ・・・!」


いきなり体重をかけられて、受け止めきれずに後ろに倒れ込みそうになる。

いくらベッドの上でもある程度の衝撃を覚悟したのだが、素早く背中に回された腕が抱え込むように守ってくれる。


ぐるんと目の前が回って、次の瞬間には視界が変わっていた。

真上から覗きこんで来る春樹の肩越しに、白い天井が見える。


「・・・・・・は、春樹・・・?」


「ハッキリ言えよ。本当は、俺の事なんか嫌だって。男のくせに、アンタを抱きたいなんて―――変態じみてるって」


自嘲気味に吐き捨てられた台詞に、仰天した。


「そんな事、思ってない!俺、気持ちが変わったりしてない!」


「じゃあ、前と変わらず俺を好きだって言うのか?」


「好きだよ!」


決まってんだろ、と訴えた。


好きで好きで―――前と変わらずどころか、前よりももっと好きになってる。

だから困ってる。好きという気持ちだけじゃなく、知りたくなかった嫉妬とか不安までが育ってしまった。


「だったら、いいよな?」


何が、と訊く暇もなかった。


春樹の手が容赦なく伸びて、俺の股間を弄る。

ズボンの上から握り込まれて、軽く揺すられただけで、いっきに身体中の血が集まってどくどくと脈打ち始める。


「・・・や―――」


「梓」


囁いた唇が、激しく口づけてくる。

思わず上げかけた声を奪われ、息も下も絡め取られてしまった。


肩も腕も、胸も足も、思うように動かない。

まるで縫い止められてしまったみたいに、動けない。


「ん・・・・・・―――んっ、・・・あ・・・・・・」


ワイシャツの前をはだけられる。

直接触れてきた掌の熱さに、さあっと肌が粟立った。


「春樹・・・!」


上手く動かない腕を、彼の胸に突っぱねる。

押し退けようとしたが、固くて厚い胸板はびくともしない。


「春樹、待って!待っててば・・・!」


彼のシャツを指で握りしめ、ぐいぐいと引っ張って離そうと試みた。

でも、上手くいかない。


「春樹ィッ!!」


情けないけど、半分泣き声になった。

と、ピタリと春樹の動きが止まる。


ゆっくりと彼は力を抜いて、ほんの少し離れた位置で俺を見下ろした。

その顔は、なぜか酷く悲しげに見える。


「・・・・・・まだ嫌か?」


「だって―――」


嫌じゃない。嫌じゃない―――と思う。

ただ、ほんの少しだけ躊躇ってる。

頭の中ではもうとっくに、春樹としてもいいと思ってる。


春樹を俺のものだと思いたいように、春樹のものになっていい。

それなのに、何が俺を足踏みさせてるんだろう?


「こんな・・・・・・急には・・・」


「急じゃねーだろ」


全然急なんかじゃない、と彼は言った。

その通りだと、俺は項垂れる。


「結局、嫌なんだ。そうだろ?」


「・・・・・・もうちょっと待って欲しい」


「もうちょっとって、いつまで?」


春樹はこんなにせっかちだったっけ、と意外な感じがした。

それとも、俺が待たせ過ぎてる?

別に勿体ぶってるつもりはないんだけど、結果的に俺ってばお高くとまってる女みたいかなあ?


「だから―――冬までとか?」


苦し紛れに口にすると、春樹はハーッと溜息をついて俺から離れた。


たった今まで押さえ付けられて密着していた身体の隙間に、すうっと風が入り込む。

なぜか物足りないような頼りなさが込み上げて、心の奥底に疼いていた不安がまた頭を擡げる。


「・・・・・・春樹」


「最近の梓は、凄く遠い感じがする」


ぽつりと、彼は呟いた。


「春樹」


「手を伸ばせば逃げるし、といって嫌いになったんじゃないって言うし。俺には、分かんねーよ」


「そんなの・・・」


自分にだって分からないのだから、春樹に分かるように説明するのは難しい。


好きなのに―――ううん、好きだからややこしくなっちゃったのか?


「両想いになったんだって浮かれてる場合じゃなかったな。最近の梓は隠し事ばかりだし、前にアンタが言ってた・・・・・・気持ちが変わる事で関係が壊れるって言うのは、こういう事だったんだな」


「何言ってんの、春樹」


彼の台詞に驚いて声を上げる。


「そんなんじゃないよ。違うじゃん!ただ俺は―――・・・何でもかんでも報告しなきゃなんないって事はないだろ!付き合う前の時でも、分かり合えてるつもりで本当は分かんなかった。分かったつもりになっただけだ。それが一歩進んで・・・・・・両想いになっても、恋人同士でも、分かんない事なんか山ほどあるじゃん!俺だって、高橋に聞かなきゃ、昨日お前が高橋と会ってた事も知らなかった」


「梓」


咎めるように、彼は俺を呼んだ。


「責めてないよ。・・・・・・それでいいんだって。お互いの世界があっていいんだ。分かんない事があってもしょうがないじゃん。だから、俺の事も責めるなよ。俺だって・・・」


春樹はやるせなく頭を振った。


「・・・・・・分かったよ。梓には梓の世界があるって事だろ」


勝手にしろと言わんばかりの口ぶりに、また一つ蟠りが増えてしまった事を知る。


何でこうなっちゃうんだろう。

こんな事が言いたかった訳じゃない。隠し事をしたい訳でもないのに。


「春樹、俺は・・・」


彼はベッドから降りると、ふいと背を向けた。


「・・・・・・元気でやってるか。悩んでたみたいだったのに、相談に乗ってやれなくて悪かった。上手くいく事を祈ってる―――・・・・・・高橋の兄貴からの伝言は、それだけだ」


振り向かずに、春樹は言った。

彼の背中から立ち上る拒絶のオーラに、俺は何も声をかける事が出来なかった。


それから春樹は、黙って俺の部屋から出て行った。


これは―――本当に恋愛だろうか。


俺は、春樹に恋をしているのか?


・・・分からない。


恋愛という名前が付いた途端、俺たちは上手くいかなくなった。

先輩後輩のままなら良かった。何の問題もなかった。


それなのに―――もう戻る事も出来ない。


「全然、上手くなんかいかねーよ。祈り方が足りねーんじゃないの・・・・・・芳久さん・・・」


胸の奥から、苦いものが込み上げてきた。