いつも一緒に帰っていた春樹に、何て言おうかと考える。
バイトでも始めた事にしようか。・・・・・・いや、嘘は良くない。
嘘をつくのと秘密を持つのとでは、嘘をつく方が罪深い気がする。
黙っていよう、と思った。
春樹の事だから、俺が言いたくなさそうにしたり適当に言葉を濁したりするだけで、雰囲気を察して、問い詰めたりせずに黙って見守ってくれるだろう。
春樹はきっと待っていてくれる。
今までだって、そうだった。
彼はいつも、俺を尊重してくれるんだ―――と思っていたのだが。
「最近、帰りにどこ寄ってるんだ?」
不機嫌のオーラをあからさまに撒き散らしつつ、春樹がそう訊いたのは、勉強会を始めてたった三日目の事だった。
毎日 「先に帰って」 と言うのも何なので、今日 「暫く一緒に帰れないから」 と告げたのだ。
「あ・・・・・・うん、ちょっとね」
「俺には言えないとこか?」
言葉を濁すと、珍しく春樹は尚も尋ねてくる。
「そんなんじゃないよ」
「じゃあどこ?」
畳みかけられ、ぐっと言葉を詰まらせた。
どうしよう、言ってしまおうか。
もしかして、隠すほどの事じゃないんじゃないか?
ああ、でも指輪の事を知られたら、嫌われるかもしれない。
それは絶対嫌だ。
逡巡している俺をどう思ったのか、彼は黙って踵を返した。
「・・・春樹・・・・・・?」
(怒らせた?)
慌てて呼び止めようとしたものの、伸ばしかけた手をぎゅっと握って引っ込める。心を鬼にして彼の背中を見送り、俺もまた図書館に向かうため帰る支度をした。
昇降口に行き、下駄箱の前で靴を履き替える。
「羽柴先輩」
不意に声をかけられ、顔を上げる。
「あ・・・」
高橋里奈が立っていた。
相変わらずの勝ち気そうな瞳で、俺をじっと見ている。
「何?」
「市原くんは?」
おいおい、まだ春樹の事諦めてねーのかよ、と一瞬ふっと、もやもやしたものが胸に込み上げる。
「・・・・・・先に帰ったけど」
「何ですかぁ、そんな嫌そうな顔しなくてもいいじゃないですか。別に市原くんを追いかけ回してる訳じゃないんですから。ここんとこ二人別行動だから、どうしたのかなっと思って訊いただけですよ」
何だ、と肩の力を抜く。
「昨日も市原くん、先に帰ったみたいですけど・・・喧嘩したんですか?」
「バーカ。そんなんじゃねーよ」
高橋は 「ですよねぇ」 なんて、呆れたように笑った。
「まぁね、この私をフッたんだから、先輩達には簡単に駄目になって欲しくないんですよ」
フラレたのはもう何万年も前の事なんじゃないか、と思えるほどサバサバした様子で、彼女はけろりと口にする。
「でないと、私が可哀想でしょう?・・・なーんて、もし駄目になったらもう一度トライしちゃいますけど」
「・・・・・・お前、新しい彼氏探せよ」
「大きなお世話です」
高橋は、イーと歯を見せた。
「それより、お兄ちゃんからの伝言聞いてくれました?」
何それ、と首を傾げる。
「聞いてないんですか?昨日、市原くんに言ったんですよ」
「春樹に?」
高橋の兄貴―――芳久からの伝言だって?何だそれは。
春樹からは何も聞いてない。
それだけじゃなく、昨日高橋と話したなんて事も初耳だ。
「嘘ォ、本当に聞いてないんですか?今日、口利いてないって事?やっぱり喧嘩してるんじゃ・・・」
「違うよ。・・・・・・言い忘れたのかもしれないし」
「そうかなあ?昨日、一緒に “和み” に行ったんですよ」
それは聞いてますか?と尋ねられて、「えっ」 と思わず声を上げる。
“和み” というのは、学校の近くにある甘味処だ。
甘党な訳でもない春樹が、彼女と二人きりでそんな店に入るなんて考えられない。
「あら~、市原くんってば、羽柴先輩には内緒にするつもりだったでしょうかねぇ」
思わせぶりに、高橋はちらりと横目で俺を見る。
「・・・っか、んな訳ないだろ。言い忘れたんだよ、絶対」
「フーン、ま、そういう事にしといてあげますよ」
「で?芳久さんからの伝言って何だよ」
高橋は何か言いかけようと唇を薄く開けたが、すぐに思い直して肩を竦める。
「市原くんに聞いて下さい。私、市原くんにちゃんと言ったんですから」
「おい」
「それとも、やっぱり喧嘩してるから聞けないんですか?」
しつこく口にして、彼女は俺を覗き込んだ。
「バカ野郎、違うっつってんだろ。俺はただ・・・」
「ただ、何ですか?」
「―――・・・・・・なあ、お前、芳久さんの事なら何でも分かる?」
どう言う意味か分からないと言いたげに、高橋は首を傾げた。
「だからさ、お前は芳久さんと兄妹だし、・・・・・・好きだった訳じゃん?だったら・・・」
バカじゃないんですか、と彼女は言った。
「分かる訳ないじゃないですか。いくら兄妹でも、好きでも、相手の事が全部分かる訳ないし、分かってると思ってたとしたらそれはただの思い込みですよ。分かんないから、焦って、必死だったんですから。羽柴先輩だって、そうでしょう?市原くんとは長い付き合いなのかもしれないけど、何から何まで分かってる訳じゃないですよね」
「分かってる・・・・・・つもりだったんだけど・・・」
「だから、それは思い込みですよ。思い上がってるだけでしょう」
相変わらず、彼女の言葉は辛辣だ。
「それは・・・」
「じゃあ、想像出来ますか?昨日の市原くん。“和み” で何食べたか。私と一緒にいる時の市原くんが、どんな風で何を話すのか」
答えられなかった。
第一、フッた筈の高橋と甘味処に行く事すら、春樹に出来る筈がないと俺は思うのに。
「せいぜい悩んで下さい。今の羽柴先輩には、市原くんをあげたくないです」
「・・・あげたくない・・・って、春樹はお前のもんじゃねーだろ」
「羽柴先輩のものでもないでしょう」
それじゃあ、と彼女はさっさと自分の下駄箱に向かい、靴を履き替えると昇降口から飛び出して行ってしまう。
「・・・・・・俺のものだよ・・・」
つい虚勢を張って呟いた言葉は、自分のものじゃないみたいに弱々しくて情けなかった。
確かに分からない事だらけだ。
それも、ここ最近―――ただの先輩後輩という関係でなくなってからの方が、春樹の事が分からなくなってきた。
もしかしたら、春樹もそう思ってはいないだろうか。