『大事にするからな』
そう言ってから三週間。
期末テストも乗り越えたって言うのに、俺は絶望的に落ち込んでいた。
テストが関係していない訳でもないが、それはほんの少しの要因にしかすぎない。
俺が落ち込んでいる本当の原因は、この前春樹から貰った指輪を無くしてしまった事なのだ。
(大事にするって言ったのに・・・・)
俺は頭を抱えて、机の上に突っ伏す。
流石に、学校に指輪をして行く訳にもいかない。
大体、そういう柄じゃないし。それに・・・色々詮索されるのは御免だから。
かと言って、家に置いておく事もしたくない。
だから、胸ポケットやズボンのポケットに入れていつも持ち歩いていた。
手離すなんて事、俺にはどうしても出来なかったから。
それだけ嬉しかったんだ。好きな人から・・・春樹から指輪を貰った事が。
それなのに、それが無くなった。
体育の授業に出るため更衣室に行った時までは、確かに指輪はあった。
でも、着替えに戻って来た時には、指輪の姿はなかった。
(更衣室の中もちゃんと探したけど、結局見付からなかったし・・・)
俺は大きな溜息をつくと、ぐしゃぐしゃっと頭をかいた。
(無くしたなんて春樹にバレたらどうなるか・・・)
嫌われるかもしれない。
そう思ったら、意地でも指輪を探し出さねばならない。
「でも、手掛かりなんてないし・・・」
俺はもう一度溜息をつく。
「羽柴。期末テストの結果、掲示板に張り出されてるよ。見に行かない?」
明るい声が頭上から聞こえて、俺はむくっと上半身を上げた。
そこにいたのは勿論、市原だった。
「俺パス。見なくても大体は分かってるし・・・」
今はテストの結果より、無くなった指輪の方が重要なんだ。
「駄目だよ。羽柴には拒否権ないから。さ、行くよ」
「はぁ!?―――って、うわっ!ちょっ、市原っ!!」
無理矢理腕を摑まれ、半ば引きずるように俺は教室から連れ出された。
市原は、細い体型の割には力が強いみたいだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
職員室脇の掲示板に張り出された、期末テストの結果順位表を見上げてハァと溜息をつく。
テストが終わった直後から、どうせこの上位五十位までしか載ってない表なんて俺には関係ないと分かっていたものの、心のどこかでは気にはしていた。
まぁ結果は見るまでもなかったけど。
「春は八位だって」
中間テストでは十七位だって聞いてたから、八人も飛び越えたって事だ。
恋する立場としては同じハズなのに、惨憺たる結果の俺に比べてこの順位という事は、彼はちっとも悩んでないって事か?
「なーんか不公平な気がするなー・・・」
「何が?」
いきなり背後から訊かれて、飛び上がりそうになった。
いつの間にかすぐ後ろに来て立っていた春樹が、訝しげに俺を見下ろしている。
「え?あ、えーと・・・・・・春樹、すげーな、お前。順位一桁だったんだろ?」
ああ、と彼は特に表情を変えずに頷く。
「偶然山が当たったから、助かった。で?アンタはどうだったんだ?」
ちらりと彼は、目の前の結果表に視線を向ける。
そんなもん、何百回見たって俺の名前なんか載ってないっつーの。
炙り出しみたいに、じわじわ名前が浮き出てくるというものでもない。
「・・・・・・いつも通りだよ」
春樹には分からないだろうけれど、この答えは俺にしてみれば目一杯見栄を張ってる大嘘だ。
いつも通り―――そう、いつもなら俺は張り出されないまでも、何とか上の下くらいの位置には引っかかっている。
それなのに、今回は引っかかってすらいない。
原因は言うまでもなく、指輪が無くなってしまったからだ。
言い訳に聞こえるかもしれないけれど、行方が分からなくなった指輪の事が頭から離れなくて勉強に集中出来なかったんだ。
今は大事な時期だっていうのに、このままじゃ駄目かもしれない。
(早く見付けねぇと・・・)
念のためにここに来るまでの道すがら、獲物を狙う鷹みたいに周囲をチェックしてきたつもりだ。
だけど、どこにも指輪なんて落ちてなかった。―――って事は、つまり。
「・・・・・・誰かにすでに拾われた?」
これだけ探しても見付からないんだ。その可能性が高い。
拾ってくれたのが親切なヤツなら、俺に直接届けてくれる―――って、あの指輪には俺の名前なんか書いてないじゃないか!
その瞬間、神様はまだ俺を見捨ててないという事を、俺は知る事になった。
「羽柴先輩」
声を掛けられたのだ。
いかにも親切そうな顔をした、一人の男子に。
一度見たら記憶に残るタイプというか、背が高く、明るい色に染められたやや長めの髪に縁取られた顔は、甘ったるく整っている。春樹とはタイプが違うけど、割といい男だと思う。
春樹がバリバリの硬派なら、ちょっと軟派系な感じっていうのかな。
愛想も良さそうだし、多分女子にもモテるんじゃないかと思う。
・・・・・・って、俺ってば何で春樹と見比べてるんだろう。
俺の中の “カッコイイ” の基準って、もしかして春樹だったりして。
密かに苦笑していると、彼は思った通りの言葉を口にした。
「・・・・・・先輩、大事なもん落とさなかった?」
勿論、ソッコーで頷いた。
「指―――」
「う、うわあああっ」
彼が“指輪”と言い出すのを、俺は慌てて大声で遮った。
彼も春樹達も驚いたように目をパチクリさせた。
「お、俺こいつと話があるから、先戻っててっ」
そう言って、春樹と市原の前から彼を連れて逃げるようにその場を去った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
結局やって来たのは、人気のない屋上近くの踊り場だ。
「・・・で、どうなの?」
「落としたっていうか、無くした。すげぇ大事なもん。もしかして、お前が拾ってくれたのか?そんで、届けに来てくれた?」
勢い込んで捲し立てた俺を、彼は面白そうに見た。
その口元に、幾分人の悪そうな笑みが浮かぶ。
顔立ちが整っている分だけ、その笑みは似つかわしくなく浮いて見えた。
彼はそっとズボンのポケットから指輪を取り出した。
間違いなくそれは、春樹から貰った指輪だった。
「か、返してくれっ」
「・・・・・・どーしよーかなー」
楽しげにニヤニヤ笑いながら、彼はとんでもない事を言う。
「ど、どうしよう・・・って・・・。お前、返しに来てくれたんだろ?わざわざ。それなのに、何でそこで迷う訳?」
「だって、アンタ面白ェんだもんよ。さっきのアンタの態度からして、あいつ等に見られたくない知られたくないもんなんだろ?」
何て勘の鋭いヤツなんだろう。
まぁ俺の分かりやすい態度も悪かったんだけどさ。
でも、何で初対面で年下のヤツに、偉そうにそんな詮索めいた事を訊かれなきゃいけないんだ?
「な、何でもいいだろ!何でそんな事、お前に言わなきゃいけないんだよ。それよりお前誰だよ?」
あ、と彼は小さく声を上げて、忘れてたと頭を掻いた。
「二年の佐原健司。噂以上に可愛い顔してるんだな、アンタ」
彼の茶化した言い方が癪に障る。
「噂以上ってどういう事だよ」
突っ込むべき所はここではないような気もしなくはないが、俺は思ったままを口にした。
「羽柴先輩ってかなり人気あるんだよ。知らない?」
俺は知らない、と言って首を振った。
前にも春樹に似たような事言われたけれど、そんなに人気があるようには思えない。だって、人気があるならに人が集まって来るもんだろ?でも、俺にはそれがない。
俺に人気があるなんて、何かの冗談にしか聞こえない。
もしかしたら、春樹が傍にいるから誰も近寄れないとか・・・?
「ほら、これ。よく撮れてると思わねぇ?」
佐原が内ポケットから出した写真に、俺は目を剥いた。
写真に写ってるのは俺で、何かで加工してあるのか自分の笑顔が眩しく見える。
似たような写真を春樹も持っていた事を思い出した俺は、どうなってんだ?っと頭を抱えた。
春樹以外の誰も写真は持っていないと言ってたのに・・・。
自分の知らない所で、自分の写真が出回ってるなんて気味が悪い。
というか、いつ撮られていたのだろうか。
「・・・捨てろ!そんなもんっ」
写真を奪おうとするが、春樹の時と同じく、身長差があり過ぎて奪えなかった。
「嫌だ。一応、俺のお気に入りのものだから」
佐原はそう言うなり、さっさと写真を内ポケットに戻した。
「話戻すけど、この指輪俺が持ってると不都合な事でもある?」
「お前に関係ないだろ。いい加減返して・・・」
「理由教えてくれたらな。俺がこれを持ってる所を、あいつ等に見られたくないんだろ?」
(何でお前にそんな事言わなきゃなんねーんだよ)
と、胸の内で悪態をつく。
思った事が顔に出たのか、佐原はちょっと肩を竦めた。
「・・・・・・実際、関係ねーんだけどさ。・・・・・・これ、市原から貰ったんだろ?」
「え・・・?」
意外な質問に、ポカンと口を開けた。
「春樹の事、知ってんの?」
「そりゃ知ってるさ。フツー知ってるだろ?あいつ目立つし、色々活躍してるし。第一、テストの順位表でいつも隣にある名前だから、嫌でも覚える」
愚問だと言わんばかりに、彼は言う。
「へぇ。お前、頭いいんだ」
「こう見えてもな。・・・さて、指輪はちゃんと返すよ」
「マジで!?」
「勿論、タダで返すつもりはないから」
何やら引き換え条件を出されそうなのに、ふと身構える。
「・・・・・・そんな警戒心丸出しな顔すんなって。無茶な事は言わないから。つまり、羽柴先輩が困ってるように、俺も今困ってる事があるんだよ。で、それは、先輩が協力してくれれば解決できるかもしれないんで・・・」
「そうなの?」
そうそう、と佐原はニッコリ笑顔で頷いた。
こっちの警戒心をふっと緩めてしまいそうな、人懐っこい笑みだ。
実を言うと、俺は愛想はいい方なんだけど人見知りする所があって、初めて接する相手には中々すぐに打ち解ける事が出来ない。
それでも―――佐原は結構いいヤツなのかも、と思わせてくれる雰囲気を持ってる。
春樹とは全然違うけれど、きっちり閉じた心の窓を、開けてみようかなあと思わせてくれるタイプだ。
「困ってる事って何?」
話を聞いてみようかな、と軽く彼を見上げる。
「・・・・・・んー・・・・・・ここではちょっと。今日、放課後時間ある?」
「うん・・・?」
そんなに込み入った話なら嫌だな、と思う。
佐原は、俺が協力すれば解決すると言ったが、見込み違いという事もある。
かなり無理しなきゃ出来ない事で、しかもうっかり事情を聞いたばかりに後に引けなくなるのでは、俺の方が困る。
「悪いけど・・・」
「そんなに時間は取らせないよ。ほら、もうチャイムも鳴りそうだし。立ち話もなんだからさ」
その言葉を裏付けるように、予鈴が鳴り出した。
「じゃあ、放課後駅前のマックで。好きなもの奢るよ」
言うが早いか、彼はさっさと身を翻した。
行くのやめようか、と思ったのも束の間、俺は絶対に彼に会いに行かなければならない理由に気が付いた。
「・・・・・・しまった。返して貰ってないじゃん!指輪・・・!」
追いかけようと思ったが、すぐに本鈴が鳴り始め、仕方なく教室へと向かう。
上手く嵌められてしまった気がした。
親切そうないいヤツだと思ったんだけど―――もしかして俺、弱味を握られてしまったんじゃないの?
指輪はまだ佐原が持ってるんだし、話を聞いて、彼の持ち出す条件を引き受けなければ返して貰えないんじゃないかって気がする。
とは言え、乗りかかった船だ。
しょうがない―――取り敢えず春樹に、今日は先に帰ってくれと言わなければならない。
(あ!)
そこではたと気がつく。
何で佐原は、あの指輪が俺のだって分かったのだろうか・・・・・?