「ま、待った!」


思わず声を上げると、市原春樹は胡乱げな顔つきで俺を見た。

咄嗟に脱がされ掛けたシャツの前をかき合せて、どうやってこの場を誤魔化そうかなと考える。


いや――誤魔化そうなんて聞こえが悪い。一応覚悟はしてきたのだ。

してきたのだが、しかし。


いざこういう状況になってみると、俺のしてきた覚悟なんてちっぽけ過ぎて足りなかったなーとか、そもそもコンナコトは覚悟してするもんじゃないだろうとか、そんな愚にもつかない考えが頭の中をぐるぐるするばかりで、パニック寸前だ。


「駄目だ。待ったなし」


容赦なく春樹はいい、シャツを摑む俺の手を退けさせて、再び前をはだけようとする。


「わ、わわっ、待って!頼むからっ、待てってば。まだ心の準備がっ」


「・・・・・・してきたっつったろ。時間山ほどあったんだから」


相変わらずの仏頂面で、春樹が言う。

愛想はないけど、怒ってる訳じゃないって事は、百も承知だ。

付き合いの浅いヤツらならビビッちゃうだろう春樹の無表情も、俺には通用しない。


だけど――だからって、この状況をホイホイと受け入れられるかっつーと、そのあたりもまた微妙だったりして。


紆余曲折あって恋人同士になったからと言って、突然何もかもが変わるかって言うとそうじゃなかった。俺達の日常は、至極穏やかで普通だった。そのまま春を迎えて、俺も春樹も進級した。


変わった事と言えば、二人きりでいる時にふっとお互い黙り込む事があって――今までだってあったんだろうけど、特に意識した事はなかった――どちらからともなく、キスするようになった。それぐらい。


素直に認めるのは癪だけど、春樹の傍は俺にとって居心地のいい場所だ。それは春樹も同じなんだろうと思う――つい最近までは。


そう、それはほんの一週間ほど前の事。


「じゃあまた明日」 とバイバイした俺を呼び止めて、彼はやけに真面目な顔をしてこう言ったのだ。


「梓―――俺、アンタの事抱きたい」


そりゃあもうびっくりしたのなんのって。

一瞬何を言われたのかピンとこなくて、俺の思考は三秒ぐらい止まってたに違いない。


あまりにもストレートな誘いに文句なんだけど、春樹らしいと言えば言えなくもない。つまり春樹は、俺達の関係をキスから先に進めましょうと言ったのだ。


俺だって、そういう事を全く考えなかったかと言えば嘘になる。ちょっとぐらいは考えた。だけど、そんな事しなくても俺達は上手くやってたし、こんなもんだろうと楽観してる部分があった。

いずれその日が来るにしたって、それはもうちょっと先のような気がしてた。


でも、そうじゃなかった。春樹は―――俺を抱きたいと言う。

抱きたい、と言うからには、俺は抱かれる立場なんだろう。抱かれる―――そこでまず、想像の限界にぶち当たった。


一体俺は、どういう風にしてりゃいいんだ?そもそも俺は、春樹に抱かれたいんだろうか?―――よく分からない。


別に春樹が嫌だと言うんじゃなくて、俺は元々同性相手に恋愛感情を持つ日が来るなんて考えてもみなかったし、自分がそういう行為をするとしても相手は女の子だろうと思っていたのだ。その場合、俺は抱かれる側ではなく抱く側な訳だ。俺が、抱かれる自分というのが理解の外だったとしても、それはしょうがない事だと思う。


だったら、春樹を抱きたいかと言われれば―――ちょっと考えてしまう。

春樹は俺よりも遥かに体格がいい。

そんな彼をどうこうしたいと考えたりするだろうか。


そしてここで問題なのは、俺がもしも 「嫌だ」 と言った場合、愛がないんじゃないかと受け取られてしまわないかって事だ。


俺は、春樹をとても好きだと思うんだけど。

恥ずかしくて彼には言えないが、誰にも奪られたくないと思う。それが、子供っぽい独占欲の延長だと受け取られてしまうのは悔しい。この気持ちは、紛れもなく恋なのだと自分では思うのに。


誰にも否定されたくないし、ましてや春樹を不安にさせたくなんかない。

だから、頷いたのだ。俺を 「抱きたい」 と言う春樹の言葉に。


春樹は珍しく照れたように笑って、その時はそれでバイバイした。

俺は家に帰ってから、彼とのそんな口約束が現実になる生々しさを考えた。俺のどこを見て、彼が抱きたいと思うのかも考えてみたけど、自分ではよく分からなかった。


そして今日、学校から帰る道すがら、春樹は思い出したように口にしたのだ。


「・・・・・・今日、ウチの両親出掛けてて、帰って来るの遅いんだ」


俺はマヌケな事に、その言葉の意味を一瞬摑み損ねた。


「あ、そなの?」


春樹は困ったように一瞬口を噤んだ。その顔を見て、ハッとした。


「・・・・・・今日?」


恐る恐る訊き返すと、彼もまた俺がちゃんと意味を察した事に気付いたんだろう。黙って頷いた。


「で、でも、兄貴はいるんだろ?」


そう言う俺に春樹は大丈夫だと答え、俺はそれに一抹の不安を抱えながら春樹の家に直行して――


☆   ☆


「わ、だ、だからっ、五秒待って!」


「一、二、三、四、五。・・・・・・待ったぞ?いいな?」


「よくねーよっ」


俺の上に乗り上げて、春樹はしょうがないなと言いたげに苦笑を浮かべる。

いつの間にか俺は半裸で、ベッドに転がされている。春樹の手際がいいのか、俺が隙だらけなのか。


「だって、今の五秒って三秒ぐらいしかなかったじゃねーか!」


「・・・・・・っていうかさ、梓、嫌だ?俺に抱かれんの」


問い掛けてくる瞳は、痛いくらい真剣だ。こんな眼差しを向けられたのでは、嫌だなんてとても言えない。


「嫌じゃねぇよ。全然。嫌じゃねぇんだけど・・・・・・流石に男とこういう経験ねーからさ」


俺がそう言うとピクッと春樹の眉が動いた。


「・・・女とはあるみたいな言い方だ」


彼がボソッと不機嫌気味に呟くのに、俺はどう答えようかと言葉に詰まる。

自慢じゃないけれど、俺だって彼女の一人や二人いた時期はあった。

当然、これから春樹としようとしている行為は経験済みだ。


それをどう春樹に伝えればいいのか、少し悩む。


「えーと・・・ごめん」


悩んだ末に出たのは謝罪の言葉だった。

別に謝る必要はないんだけど・・・何となく。


春樹の眉間に深く皺が刻み込まれるのに、ズキッと胸が痛むのが分かる。

傷付けたのかもしれないけれど、こればっかりはどうしようもない。


「・・・男とは初めてなんだろ?」


「そ、そうだけど」


「ならいい。アンタは別に何もしなくていいから、今日は俺に任せて・・・」


「ちょっと待て。お前、こういう経験ねーだろ」


やけに慣れたような事を春樹が言うので、俺はツッコミを入れてしまった。

過去に付き合っていた女の子は一人もいないと、市原から聞いた事がある。

彼女がいた経験がないのだから、当然、春樹は “初めて” だ。


「・・・・・・うるさい」


春樹は目元を少し赤くして、ついと視線を外した。

男と経験がないのだから、俺も春樹と似たようなものかもしれないので、あんまり揶揄しない事にした。


「それにしても何か・・・・・・屈辱的な感じがする」


何が?と彼が再び俺を見下ろす。


「・・・・・・年下のお前にこういうコトされるのが、だよ」


「気にするな」


春樹は妙に優しい表情を浮かべた。

じっと俺を見て、それからキスしてくれる。触れるだけじゃない、ちょっと深めのキスだ。

口の中に春樹の舌が入り込んで、遠慮なく動き回ってる。


そうするうちにも彼の手は、俺の胸に触れ、脇を撫で下ろし―――。

思わず、うひゃあ!と声を上げた。


「だ、駄目っ、そこ!すげーくすぐったい」


ギブギブ、と訴えながら、身を捩る。


「梓」


ひやりとした響きで、春樹が俺を呼んだ。


「・・・・・・だって」


「くすぐったい場所は、感じる所だって言うぜ?」


真面目に返されて、笑いは強張って消えてしまった。

そりゃ、ゲラゲラ笑っちゃった俺ってばムードないのかもしれないけど。

でも―――笑ったり冗談でも言ってないと、間が持たねぇじゃん。


だって、こんな春樹を俺は知らない。

こんな真剣な顔をして、俺を抱こうとしてる。俺の事を、まるで宝物を見るような優しい目で凝視(みつ)めてたりする。


「いいから、もう黙ってろ、アンタ」


その言葉に、仕方なく頷いた。


春樹がゆっくり俺に覆い被さってくる。

手首をぐうっと摑まれて、それだけで俺はもう身動きできなくなった。

固い胸に押し潰されそうになって、息が詰まる。


何度もキスが繰り返されて、彼の唇は頬や首筋や鎖骨辺りにも触れた。

その頼りない柔らかさに、肌が粟立つ。

手首を縛めていた手が退けられて、彼は次第に下へ下へと移動していった。


くすぐったいと訴えた脇腹辺りをやり過ごし、足に触れる。決して強引な訳じゃないけれど、容赦ない力で彼は俺の足を開かせる。


「・・・・・・あ・・・!」


いきなり、内股に唇をつけられた。

ギョッとして身を竦ませた所へ、今度は掌が中芯を握り込む。


「は、春樹っ」


「力抜いて、梓。俺に任せて」


感じて欲しい、と彼は言う。

思わず、自由になっていた両腕を顔の前でクロスさせた。恥ずかしくて、顔を晒していられない。


「・・・・・・っ、・・・は・・・・・・あ・・・っ」


堪えきれずに、声が洩れた。

春樹は絶え間なく俺を追い上げて行く。


たいしてもたずに、俺は胸を喘がせた。自分でする時よりもずっと早く、呆気ないくらい簡単に、彼の掌の中で自分が弾けるのが分かった。


「梓」


嬉しそうに、春樹が呼んだ。


「・・・・・・梓、顔見せて」


「ヤダ」


「手、退けて。顔、見せろって」


「絶対ヤダ」


こんな直後に、どうして彼の顔が見られるだろう。―――というよりも、見られたくない。


「梓」


それでも春樹は辛抱強く、俺の名前を呼んだ。

その大きくて固い身体が再び伸び上って、俺の上に覆い被さってくる。


「キスさせて」


「・・・・・・今は嫌だ」


もうちょっと後でならいい、と言いかけて、ふと足のあたりに固く張り詰めたものが当たるのを感じた。


そうだっけ。俺だけ先にイッちゃったんだった。

仕方なく、そろりと顔を隠していた手を退ける。


「梓」


ホッとしたように、春樹は息を吐いた。


「・・・・・・悪い。春樹、まだだっけ」


躊躇いつつも、手を伸ばす。


「俺、上手く出来ねーかもしんないけど」


「いいよ、梓は」


「え?」


どういう意味だろうかと首を傾げた俺に、彼はとんでもない事を続けて言った。


「・・・・・・梓の中に、入っていい?」


「俺の―――中って・・・?」


ここ、と彼は思いがけない場所に指で触れる。


「嘘っ、こんな・・・・・無理!ぜってー無理だって!」


「大丈夫。力抜いて。・・・・・・ちゃんと慣らして、傷付けないようにするから」


「って、そんな無茶苦茶だろっ。お前のただでさえデケーんだからっ。そんなん入れられたら、俺、壊れるっつーの・・・」


逃れようとするのを、強引に抱き竦められた。


「ちゃんと用意してあるから」


彼はベッド脇のサイドテーブルから、何やら怪しげなボトルを取り出す。

“ラブ・ローション” と記されたそれは、潤滑油のようなものらしい。


女と違って、男の身体は構造上それを受け入れるようには出来てないものだと思う。そんなものを使ってまで、受け入れたいかと問われれば、俺は頷くのを躊躇ってしまう。


第一―――こんな、また板の上に張り付けられたカエルみたいな格好だけでも憤死ものなのに、春樹はその上俺の体内まで開いて暴き出そうとするのだ。


トロリと粘り気のある液体が、股間を伝うのが分かった。


「い、やっ・・・!」


なおもローションを掬った春樹の太い指先が、俺の中にゆっくりと埋没してくる。


「・・・・・・痛・・・っ」


ぎゅうっと身体の芯が竦み上がるのが分かった。

指だけでこんなに痛い。絶対に無理だ、と思う。


そんな俺の心情なんて全く気にも留めず、春樹は指を小刻みに揺らしながら奥へ奥へと侵入しようとした。彼の指が内側から押し広げようと蠢くのを感じる。


「・・・・・・嫌だ!やっぱり、駄目っ」


「梓?」


「絶対無理!出来ないったら出来ねーよっ」


面喰って彼が僅かに身体を浮かした隙を突いて、ベッドから降りる。そのまま床に散らかった制服をかき集め、両手に抱えて部屋を飛び出そうとした―――が。


「春?いるの?」


聞き慣れた声が聞こえたかと思ったら、ガチャっとドアが開いた。


事情の最中に誰かが部屋に入って来るとは思っていなかった俺と、弟の部屋を開けたら裸の男がいるとは思っていなかった市原の思考は、多分三秒ほど止まった筈だ。


「な・・・んで・・・」


最悪だ。


俺と春樹の関係を知っているとは言え、こんな現場を見られるなんて。


「な、何でお前がここにいるんだよ!!」


「何でって・・・、ここ僕の家だし」


声を張り上げる俺に対して、いつもの自分を取り戻した市原が冷静に答えた。


「春樹、どういう事だよ!お前、大丈夫だって言ってたじゃねーかっ」


市原を責めるのはお門違いだ。

そう思った俺はすぐに、怒りの矛先を春樹に向けた。


「大丈夫だとは言ったが、貴が “いない” とは言ってない」


多分今の俺は、怒りで顔が赤くなってると思う。

もう、恥ずかしすぎて春樹の屁理屈に返す言葉を持たない。


「・・・羽柴、取り敢えず服着ようか」


落ち着き払った市原の言葉に、俺は透かさず服を着込んだのだった―――。