春樹の出るバレー部の対抗試合は、今日の放課後だという。
本人からではなく、俺は人づてにそれを知った。
春樹とはやっぱりまだ話せない。昨夜も考えて考えて――でも中々勇気は出ない。
「・・・・・・試合が終わってからにするか」
こうして先延ばしにしているうちに、うやむやになってしまいそうだ。
それだと、以前の関係でいられなくなるのかな。
春樹は、俺が頼んだのではない試合に出る。
俺に 「見に来い」 とも言わない。
俺は――見に行ってもいいのかな。応援してもいいんだろうか。
迷いながら、体育館への廊下を歩く。
そう言えば、今日も高橋の顔を見なかった。まだ凹んでいるんだろうか。
嫌味を言われるかもしれないけれど、早く立ち直って欲しいかな、なんて。
試合のコートを見下ろせる中二階のテラスに行くと、それほど観客はいなかった。
皆体育館内のコート脇で観戦しているのだ。春樹に見つかる事を恐れて、俺はコートの側には行けない。ここでなら、ちょっと遠いけれどこっそり観戦する事が出来る。
俺は手摺に凭れて、そうっと下を覗く。
試合はもう始まっていた。
春樹は、最初からバレー部員でしたというような顔をして前衛に立ち、相変わらず一番活躍している。
誰もが羨む恵まれた肢体、綺麗なフォームと力強いバネに、俺は見惚れてしまう。
「格好いいですよね」
不意に背後から、声をかけられた。
聞き覚えのある声に、恐る恐る振り向くと、思った通り高橋が立っている。彼女は澄ました顔で俺の隣に来ると、同じように手摺に凭れた。
「あ・・・・・・えーと・・・」
この場合、大丈夫?と訊くのは変だろう。元気になった?良かったな、なんて言ったら張り飛ばされるかもしれないし。
「同情なら止めて下さいね」
ピシリと言われて、返す言葉を失った。
「もう知ってるんですよね。市原くんにフラれたって事。どうですか?先輩の望み通りになりましたよ。嬉しいですか?」
「そんな・・・あれは・・・・・・」
答えようがなく口籠もると、わっと階下から歓声が湧き起る。
十五点先取して、一セット目が終了したらしい。
「羽柴先輩はずっと、あんなに格好い市原くんを独り占めして、皆から隔離して来たんですよ」
そんな事ないと言いたかったけれど、結果的には彼女の言う通りなのかもしれないから、黙っているしかない。
「でも、独り占めしたくなる気持ちは分かります」
不意に、彼女の口調が変わった。
「私、お兄ちゃんの事好きだったんです。ちっちゃい頃から大好きで、憧れて自慢で、自分の周囲にいた小汚い同年代の男子なんて目に入らないくらい」
お兄ちゃんから聞いたんですよね?と訊かれて、どう返事したらいいのか困ってしまう。どうして彼女はさっきから、こうも返答に詰まるような質問ばかり投げかけてくるのか。
眼下では、二セット目が始まった。
一セット目の勢いのまま、春樹は積極的に攻めて行く。
「なーんで実の兄妹なんだろうって、親を怨みました。お互いに浮気して出来た子供同士ならいいのにとか、自分が貰われっ子だったらいいのにとか、本気で考えました。わざわざ戸籍謄本見に行った事があるんです。そうしたら、二人ともちゃんと実子で・・・・・・やんなっちゃいますよ」
それは普通逆だろう、とツッコミたくなった。
自分が貰われっ子かも知れないと悩む場合はあっても、実子だと嘆かれたのでは親も立つ瀬がない。
「市原くんは、そんな私が初めてお兄ちゃんと同じぐらい好きになった人なんです」
「・・・・・・高橋・・・」
やはり彼女は本気だったのかと、少なからず俺はショックだった。
それなのに俺は憶測だけで酷い事を言ってしまった。
「俺さ・・・」
「あ、謝らなくてもいいですよ。最初は、先輩の言った通り、お兄ちゃんに似てたから近付いただけですし。でも・・・・・・フラれてから、分かったんです。私、市原くんと一緒に何日か過ごして、楽しかった」
口調はあっけらかんとしていたが、口ほどサバサバしているのではない事は、顔を見れば分かった。彼女はずっと、コートにいる春樹を見ている。真っ直ぐに。
「・・・・・・今度好きになるのは、全然違うタイプの人にするんです。明るくて優しくてよく喋る・・・・・・愛想のいい人。だって、お兄ちゃんや市原くんみたいな人って、私より羽柴先輩みたいなタイプが好きみたいだから」
「そんな事は・・・」
「そうなんですよ」
あんまりよく喋る相手を好きになっても、きっと上手くいかねぇよ、という余計な差し出口は我慢する。
俺達は暫く黙って、試合を眺めていた。
三セットマッチだが、このまま行けば二セット目もうちのものだ。
「・・・・・・あ、終わった」
呆気なく、試合の終了を知らせるホイッスルが鳴り響いた。うちの圧勝だった。
「行かないんですか?」
手摺に凭れたままじっとしている俺に、彼女は不思議そうな目を向ける。
「言っときますけど、この試合、本当は市原くん出ないって言ったんですよ」
「え・・・?」
「この前バスケの助っ人なんかしたのは、羽柴先輩が見たがったからだって、市原くん言ってました。だから、先輩が頼むんなら出るけど、そうじゃないなら出ないって。私、そんなの困るってごねたんです。もう約束して来ちゃったのにって。そうしたら・・・・・・約束したんならしょうがない、今度だけだって」
春樹らしいと思った。
高橋が勝手にしてきた約束なのに、ちゃんと守ってやろうとする。
「俺さ、お前が現れるまでよく分かんなかったけど・・・」
思いきって口にした。
珍しく彼女は話の腰を折らずに、黙って続きを待っている。
「お前の言う通りだったかも。春樹の事、心の何処かで独り占めにしたかったんだ。だから・・・」
「いいんじゃないですか?」
あっけらかんと彼女は言う。
「よくねーよ。男同士だぞ」
「血が繋がってないだけいいじゃないですか。こっちはどんなに頑張ったって、所詮妹なんですよ。それに比べたらまだマシですよ」
筋が通っているようで全然通っていない理屈に、思わず噴き出した。
「言ってる事無茶苦茶だけど、お前、やっぱり芳久さんに似てるよ。流石兄妹だよな」
高橋は何だか複雑な顔をして、いきなり背を向けると、パタパタと駆け去って行ってしまった。
どうして急に、と振り返った俺は、その理由を知る。
春樹がいた。
思わずコートを覗くと、当たり前だがもうそこには彼の姿はない。
試合中に、ここで見ている俺に気付いたんだろうか?いや、俺と高橋の姿に気付いて、駆け付けて来てくれた?
「・・・・・・何か言われたか?」
ぼそりと彼は口を開いた。
何処となく心配そうなのは、俺が彼女に嫌味でも言われていると思ったから?
そう言えば、芳久も彼女が立ち直ったら俺をイジメに行くような事を言っていた。春樹はそんなに酷いフリ方をしたんだろうか。
それも、俺に怒りの矛先が向くような・・・?
「フッたんだってな」
さりげなく訊くと、春樹は憮然として頷いた。
「・・・そっか。高橋には悪いけど、何か嬉しいよ・・・・・」
「梓」
ズンズンと彼は近づいてくる。
「高橋だけじゃない。お前が俺以外の誰かと、俺よりも仲良くなるの嫌なんだ」
ぎゅっと握り締めた拳が震えた。
駄目だ―――意気地なしの俺。勇気をかき集めたつもりなのに、ちゃんと想いを伝える前に萎んでしまいそうだ。
「梓以外のヤツらとも仲良くしろとか、喋った方がいいとか・・・・・・アンタが言うから、そうしてただけだ。アンタが嫌なら、もうしない」
「・・・・・・春樹」
胸が一杯になって、熱く疼き出す。
春樹は俺が望む事を何でも叶えようとする。
それが自分の為にならないって分かってても。
「嬉しいけど・・・・・・よくねぇな。俺が春樹の世界を狭めてる。春樹だって、そんなんじゃ駄目だって分かってるよな。俺は、怖いんだ。俺が・・・・・・春樹を閉じ込めて駄目にしちゃったらどうしよう。春樹は何でも出来んのに、俺だけで満足しちゃいけねーのに」
彼は黙って俺を見る。
その目はまるで 「どうしていけないんだ?」 と訊いているようだ。
「・・・高橋の事は、特別な存在として見られないって言った。俺が好きなのは梓で、俺にとって特別な存在はアンタだけだって」
そんな事を言ったのか、と俺はあんぐり口を開けてしまう。
「物凄く泣かれた。酷いって詰られた。・・・・・・梓は、高橋を泣かせるなんて最低だって落ち込んでたけど、俺の方がもっと泣かせた。俺は、最低最悪だ」
淡々と告げられて、二の句が継げずに肩を竦めた。
「梓も、こんな俺が怖いか?」
あの日怯えた事を婉曲に訊かれているのだと思った。
俺の為に女の子を泣かせても平気な春樹。
確かに最低男かもしれないけれど――俺だって一緒だ。
「怖がって、悪かった。でも、俺が怖かったのは・・・・・・本当に怖かったのは・・・」
拳にぐっと力を込めた。
「今まで過ごしてきた時間が・・・・・・俺達の関係が壊れるんじゃないかって事なんだ」
今までの関係。
しつこく俺に付き纏って好きだと伝えてくる春樹を、俺はいつも相手にしなくて。
彼はそれでもめげずに何度でも俺の前に現れて・・・。
そういう毎日だったけど、俺は結構それが楽しかった。
だからその関係が壊れてしまうのは怖い。
春樹は黙って、その場にしゃがみ込む。そうしてチラリと俺を見上げた。
促されるでもなく、俺も手摺に背を預けてずるずると座り込んだ。
「壊さなければ、分からない事だってあると思わないか?」
ぼそりと彼は言う。
壊さなければ分からない事、見えないものがある。
「春樹は・・・・・・壊してぇの?」
問い掛けて、じっと凝視(みつ)めた先でゆらりと彼の身体が揺れる。
息がかかりそうな位置まで彼は顔を近付けて、目を瞑った。
俺はそんな春樹から、目を離せなかった。瞼を閉じる事も出来ずに、自分にキスしようとしている大事な後輩の顔を見続けていた。
唇が触れる。
ずっと見ていたけれど、感触は知らなかった。
柔らかくて、ほんのりと暖かい。
僅かに触れただけのそれは、ゆっくりと離れて行く。
「・・・・・・壊れたか?」
問われて、曖昧に首を傾げる。
俺は、拳を自分の左胸に当てた。
「今、この辺がピキッていった」
春樹は眉を顰めた。
「壊れた音かと思ったけど、そうじゃなくて・・・・・・何か・・・内側から溢れてくるみたいな、変な感じがする」
「脱皮したみたいに?」
「そうそう、そんな感じ」
頷いて顔を上げると、また唇が重なった。
今度はさっきと違って、ちょっと深いキスだった。
潜り込んできた舌先は燃えるように熱くて、俺の上顎や歯列をくすぐってゆく。
唇を軽く吸われて、ぞくぞくと背中が震えた。
「壊れねーよ、大丈夫」
名残惜しく俺の唇を舌で舐め、春樹は離れて行った。
そうかもしれない、
今までの時間は壊れない。俺達はただ、これからまたその上に、新しい時間を積み上げて行くだけだ。
「春樹は・・・・・・いつから、俺にこんな事したいと思ってたんだ?」
さあ、と彼は首を傾げる。
「・・・・・・初めて会った時からずっと思ってた気もするけど、はっきり分かったのは、この前梓が怯えた時かもな」
ぼそりと付け加えて、春樹は首にかけたタオルで汗を拭った。
そうしてタオルを口に押し当てる。
「暗がりで、アンタの寝顔見てて・・・・・・改めて気が付いた。俺が欲しいのは、アンタだって」
その言葉に赤面して俯く。
欲しいと言われたのは二度目だけれど、こんなに重く響いたのは初めてだ。
くすぐったくて、甘くて――ちょっと照れる。
俺達はどちらからともなく手を握った。
指を絡めて、ギュッと力を入れる。
そうして俺は春樹の肩に頭を凭れて、窓から覗く空を見上げる。
春樹の汗の匂いと、頬に触れる温もりと。
指先から伝わってくる僅かな鼓動に、泣きたいくらい胸が高鳴った。
「俺、お前の事好きだ・・・・・・」
思わず口を突いた告白に、春樹は 「やっと素直になったな」 と返した。
「うっせーよ。・・・・・・生意気なヤツ」
―――俺は一生春樹の傍にいる。
死ぬまで俺達はずっと一緒だ―――
一部完