授業が終わり、周囲は一斉に騒がしくなる。


「これからカラオケ行こうぜー!」


小杉の声に、俺は振り向いた。


「俺も行く」


えっ、と皆が目を丸くする。


「嘘、マジで?珍しいじゃん、羽柴が来んのって」


「・・・って事は、もしかして市原の弟も・・・?」


「あいつは来ないよ」


「あーっ、遂に女に奪られたのか」


「どっちかって言うと、俺羽柴の方が先に彼女作ると思ってたけどなぁ。お前、意外とモテるじゃん」


「駄目駄目、羽柴みたいなタイプは敬遠されるんだよ。独り占めには向かない“皆のアイドル”タイプ」


「そーそー、女より可愛い男彼氏にするなんて嫌じゃん」


皆ゲラゲラ笑いながら、早く行こうと俺を急かす。


「じゃあ、あぶれちゃった羽柴を俺らが慰めてやるから、。思いきり騒ごうぜ」


それもいいやと俺は愛想よく笑い返して、彼らと連れ立って教室を出る。


「梓」


直ぐに聞き慣れた声がして振り返ると、案の定春樹が立っていた。

その後ろには高橋もいる。


「悪い、今日は一緒に帰れねーや」


俺は早口で言って、春樹の顔を見ずに踵を返した。


俺がああ言ったのは、別に高橋の為じゃない。

心の中で迷いが生じ始めてるからだ。


客観的に見て、春樹と高橋はお似合いだ。釣り合い取れてるって思う。

高橋は春樹って言う人間を理解しているし、春樹自身も高橋を自分のテリトリーに入れた。

だったら俺じゃなくてもいいじゃないか。


春樹の世界に高橋も入ったのなら、別に俺じゃなくても・・・。


春樹の気持ちは知ってるけれど、彼の隣に立つのはやっぱり女の子の方がいい。

男の俺なんかじゃ駄目だ。


(何だ・・・?この気持ち・・・・・・)


胸が苦しくて、チクチクと痛むこの感情は。


「羽柴?どうした?何か顔色悪いぞ?」


「ちょっと、気分が悪いだけ」


「大丈夫か?カラオケ行くのやめるか?」


「もう大丈夫だから、行こーぜ」


そのうちこの気持ちも晴れるだろうと、俺は歩みを進めた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


歌って踊ってはしゃいで騒ぎ捲くったけど、そうしている間も頭の何処かが冷めていた。

楽しいんだけど、何だか物足りない。

春樹はこういう騒がしい場所があんまり好きじゃないから、俺と一緒でという事で誘われても殆ど断っていた。


無理をしていた訳ではなく、ただ俺にとってクラスの友人達よりも、春樹の方が優先順位が上だったんだ。


(あ・・・れ?何で俺・・・・・)


いつから春樹の方を優先するようになったのだろう。


分からない・・・・・・


どんどん心が冷えてきて空しくなってきたので、俺は途中でカラオケボックスを抜け出した。

籠った空気とやけにデカい音量のせいか、ちょっと頭が痛かった。


夕飯の買い物客で賑わっている商店街を通り抜けようとして、俺は何となく足を止めた。車道を挟んで向こう側にあるスーパーの前で、幼稚園ぐらいの女の子が一人うろうろしている。母親とはぐれたんだろうかと気になって、立ち去り難くなってきた。


ちょっとだけ、と様子を見ていると、少女はバタバタと店の前を走り回り、少し離れた位置で立ち話をしていた母親らしき女性にじゃれついた。


「・・・何だ」


迷子じゃなかったのだとホッとして、そのまま通り過ぎようとして・・・・・・。


少女はまた走り出した。前も見ずにちょこまかと駆けて―― 一人の男にぶつかって、勢いよく尻餅をついた。背の高い、まだ若い男だ。服装からすると、大学生だろうか?


彼は慌てて少女を起こそうと、身体を屈めた。その瞬間、少女は大声で泣き喚いた。


「おいおい・・・」


勝手にぶつかって転んで、あんな風に泣かれたのでは誤解されるんじゃないか?と思っていたら、案の定母親らしき女は血相を変えて飛んで来た。


俺には関係のない話だと思う。俺は行きずりの通行人に過ぎないし、ここで口を挟むのは余計なお節介でしかないだろう。だけど・・・・・・何だかほっとけなかった。

大学生の男が、まるで春樹のように見えたのだ。

このままほっといたら、きっと彼はあの母親に責め立てられるに違いない。


俺は慌てて道を横断し、スーパーの前に近付く。案の定、歩道に辿りつく前から少女の母親の金切り声が聞こえてきた。


「こんな小さい子を突き飛ばして泣かせて、何が面白いんですか!恥ずかしいと思わないんですかっ」


やっぱり思った通りだと、さりげなく男の横顔を見ると、呆れたような表情を浮かべながら何処か諦めた様子で。

そんな顔つきが、なおさら春樹を連想させる。


「怪我してたらどうするんですっ。警察に・・・」


「おばさん、その人何にもしてないよ」


俺は声を張り上げた。

母親はギッと俺を睨みつけ、男はキョトンとこちらを見る。少女は地べたに座り込んだまま、まだ泣いている。


「おばさんさー、喋るのに忙しくて自分の子供ちゃんと見てなかったろ。だから、事情が分かってねーんだよ。その子、こんな狭いとこで走り回ってたんだよ。そんで、この人に勝手にぶつかってひっくり返っただけ。こんだけ体格差があるんだ、弾き飛ばされて当たり前。でも、この人には責任ねーだろ?」


「な、何、あなた・・・」


「俺、あっちの歩道でずっと見てたんだよ。子供がウロウロしてて危ないなーって。親は何してんだろうなってさ。こういう混雑したとこでは、ちっちゃい子から目ェ離さねー方がいいんじゃないの?」


母親の顔がカーッと赤くなった。怒りのせいなのか、羞恥のせいなのか。


「あなた、何なのよっ。と、突然、そんな・・・・・・アミちゃんっ、立ちなさない!行くわよ!」


いつの間にか泣きやんでいた子供の手を引っ張って立たせ、母親はそのまま背を向けて立ち去ろうとする。


「ちょっと、この人に謝っていきなよ。誤解してすみませんってさ。無実の罪で責めといて知らん顔かよ?それに子供の方も、“ぶつかってゴメンナサイ” だろ?」


呼びかけたが、答えはなかった。彼女はもう振り向きもせずに、凄いスピードで歩いて行ってしまう。


「・・・・・・最悪だな」


ふうと息をついて、俺もくるりと踵を返そうとした。


「わざわざ、悪かったね」


ぼそりと声を掛けられた。ありがとう、と言われて、俺は男を見上げる。


「・・・いや、お節介で余計な口出して・・・」


「助かったよ」


無表情に、抑揚のない声が告げる。そのぶっきらぼうさが、また春樹を思い出させて俺は苦笑する。


「何で・・・」


「うん?」


「何で言い訳しなかった訳?俺は何もしてない、この子供が勝手にぶつかって来たんだってさ」


男は、ボリボリと頭を掻いた。


「ああいう母親は、人の話なんか聞かないだろう。一々言い返すのも面倒臭かった。言うだけ言ったら満足して帰るだろうしね」


俺は噴き出した。

やっぱり、似てるかもしれない。きっと春樹なら、同じ事を言うだろう。

不意に彼は背を向けて、傍の自動販売機にコインを入れる。そうして缶コーヒーを二本買うと、一本を俺に差し出した。


「・・・・・・ありがとう」


礼のつもりなのかなと思いながら、それを受け取る。


「ねえ」


このまま彼が背を向けるのに、俺は何となく呼び止めた。


「こっちに公園、あるよ」


彼は立ち止ったままじいっと俺を眺めて、それからゆっくりと足を踏み出した。俺が指差した方向に。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


特に何を話すでもなく、誰もいないブランコに隣り合って座り、それぞれ缶コーヒーに口を付けた。


初めて会ったような気がしないのは、やっぱり雰囲気が春樹に似ているからなのかな。

彼は彼で、俺の事を変なガキだと思っているだろうか。


「君、その制服・・・東高?」


当てられて、そうだけど、と口籠る。


「何年?」


「二年」


ふーん、と彼は頷いた。


「もしかして、卒業生?」


「そう」


「じゃあ、先輩じゃん。・・・えーと・・・・・・俺、羽柴 梓、・・・です」


名前を訊こうとして、まずこういう時は自分から名乗るべきだよな、と口にする。


「一昨年卒業したんだ。俺は、高橋芳久(よしひさ)」


「高橋・・・?」


あまり聞きたくない名前を告げられて、思わず訊き返す。


「じゃあ入れ違いなんだ。名前で呼んでいい?芳久さんは大学生?」


彼はちょっと面喰ったような顔つきになった。確かに、初対面なのに馴れ馴れしいかも。

でも、“高橋さん” とは呼びたくないのだ。


「H大学二年」


「すげー、ストレートじゃん」


「もうすぐ休学するけどね」


何で、と訊くと、あっさり 「留学する」 と言われた。

頭のいい所まで、春樹に似てる。


「君、物怖じしないね」


不意に、彼はそう言った。


「え?」


「怖くないの?俺、結構怖がられるんだよ。仏頂面だし、子供にもさっきみたいに大抵泣かれる」


思わず笑ってしまった。


「だって、俺、慣れてるし」


隠すほどの事でもないから、正直に打ち明ける。


「俺の後輩が芳久さんみたいなタイプなんだ。本当は優しいのに――たまに生意気なんだけど――見た目で周囲から誤解されがちなんだ。そのせいで俺以外に友達作んなかったんだけどさ」


「過去形?」


鋭い切り返しに一瞬面喰い、俺はコーヒーの缶をゴミ箱に投げ入れて、勢いよくブランコを漕いだ。キィッと軋むような音がして、風がふわりと頬を撫でる。


「そー、過去形。そいつに、彼女が出来た」


「置いてけぼり?」


「うーん・・・・・・」


そうかも、と呟く。


「俺もさっさと彼女作っちゃえば、問題ねーのかなぁ」


「水を差すようで悪いけど、君みたいに一見人懐っこく見える人ほど、実は人見知りするんじゃないの?好みも難しいだろう」


低いボソボソした声が、またまた鋭い所を突いてくる。

答えに窮していると、彼は不意に立ち上がった。


「じゃあね。早く帰るんだよ」


それだけ言って、振り向きもせずに彼はさっさと歩き出した。


「あ、ちょっと・・・」


慌てたけれど、ブランコは急に止まらない。

大きく揺れているのを、地面にザーッと足を擦って止め、飛び降りる。

咄嗟に彼の後を追いかけようとして――追いかけてどうするんだ?と思い直してやめた。


名乗り合ったとはいえ、知らない大学生だ。

ちょっとだけ春樹に雰囲気が似てて、興味を引かれた。それだけだ。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


家に帰って、部屋の電気を点けるなり携帯電話が鳴った。表示画面に、春樹の名前が記されている。


「もしもし?」


受信しながら、ベッドに仰向けに倒れ込む。


『何処に行ってた』


不機嫌さが電話越しから伝わってくる。

それは自分よりも優先しなきゃいけなかった事なのかって、軽く俺を責めているようにも聞こえる。


「カラオケ行って・・・」


一瞬言おうかどうしようか迷って、結局芳久の事は言わなかった。

言うほどの事でもないと思った。

大体、春樹に似たタイプの男を見付けて、公園で喋ってたなんて、何か変じゃん。


初対面の人間相手に、愚痴なんか零してさ。

春樹と一緒にいられないのが寂しかったんじゃないかと思われるのは、格好悪い。


「そんな事より、高橋どうした?帰り一緒だったんだろ?」


ごく普通に、後輩の恋の行方が気になる風を装って訊いてみる。

本当は――興味はあるけど、そんなに聞きたいほどでもない。

聞かなくても目を瞑れば、誇らしげな高橋の顔が浮かんでくるほどなのだ。


『駅までな』


素っ気なく、春樹は答えた。


「どっか寄り道しなかったのかよ」


『別に』


「高橋に告られなかったのか?」


告られた、と彼はつまらなそうに言った。


「じゃあ・・・――どうするんだ?付き合う事にした?」


電話越しに、彼は黙り込む。

言っちゃいけない事だって分かってるけど、つい口にしてしまう。


どうするんだ?と訊いてみて、何だか俺まで分からなくなってきた。


(俺は、春樹に高橋と付き合って欲しいのか?それとも、彼女をフッて欲しいのか?)


春樹はきっと真剣に考えて、答えを出すのだろう。

それはいい事だと思うのに、何故か俺の心にはモヤモヤと蟠っているものがった。


それが――つまらない子供染みた独占欲だって事は、ちゃんと分かってる。