台風は嫌になるね。

車も汚くなるしさDASH!DASH!




さて、今日は沖田総司の旧暦命日。


25歳で亡くなったという説もあれば、
27歳で亡くなったという説もあります汗

しかし、平助くんの享年からして、
私は25歳で没したと思ってます。

でも実際、平助くんも
生きていた説もあるし、
元々沖田さんも生まれた年が
はっきりしてない事もあるから…

25歳も27歳もどっちが本当か
分からないんだよねあせる


ちなみに沖田さんは夏生まれだと
言われてるので、私と同じ7月生まれだと
勝手に信じています。(おいおい)





沖田さんは本当に辛かったと思うよ。


沖田さんは新選組の為、
近藤さんの為だったら
命も惜しくない人だったと思う。

近藤さんを本当に兄のように慕って、
沢山の恩もあっただろうし。



沖田さんは試衛館の内弟子と預けられ、
いつも雑用をされていた。

でもようやくその雑用から
解放されたのは、試衛館の主が
養子の近藤さんに代わってからで。

近藤さんは、お腹を空かせた沖田さんを
物陰に呼んで、味噌握りを
手渡すような人だった。



そんな昔から良くしてくれた
近藤さんの為に、必死に戦いたかった筈。

恩返しだね。


でも不治の病は沖田さんの体を
蝕んでいって…。


新選組を離れて療養する事になった時は
多分凄い駄々をこねたと思う。


どんな気持ちで
布団で過ごしていたのかな?


大内美予子さん作の
沖田さんの小説読んでいても
切なかったなぁダウン



沖田さんは労咳に対して、
「おれは、どうせ長くは生きられん」
と覚悟を決めていた節があるそう。


お酒をあまりたしなまなかったのも、
杯をかわして人に労咳を
移さない用心からで、

先が長くないのを
知っていた近藤さんや土方さんも、
沖田さんには特別な慈しみで
接していたみたい。


移さないようにしていたのも
何だか凄く切ない…。(´`)




沖田さんの、布団の中にいる事しか
出来ない悔しさ、

どんどん土方さん達が
離れて行ってしまう切なさ…。


考える度にいつも悲しくなる。(;_;)




「動かねば 闇にへだつや 花と水」

戦わなければ、土方さんと私は
夜の闇に隔たれて、離れてしまうでしょう。


「さしむかふ 心は清き 水かゞみ」

水面に映る花とそれを映し出す
水鏡の間には、互いに向き合おうと
しなければ、闇が生じてしまうものだが、
動きさえすれば、隔たりはなくなるものだ。

※土方さんの句の意味に
少し間違いがあるかもしれませんがあせる




沖田さん…ご冥福をお祈りします。


*◯水の北 山の南や 春の月◯+-DVC00240.jpg






やっぱり沖田さんは大好きな人なので、
語り尽くせません。←



今、沖田さんに教えてあげたい事、

沖田さん、今の時代では
労咳は不治の病ではありませんよ。

沖田さんからしたら
今の時代は果たして新選組らが
望んでいた世の中なのかは
分かりませんが、昔よりは
とても平和な時代になったんです。



うん、そう教えてあげたい。(´・ω・`)



総司忌…やっぱり行きたかったなダウン


来年こそは行きたいあせるあせる





そうそう、沖田さんの命日には
雨が降るとか聞きました。


まさに今日も雨降ってます。


泣いてるのかな?(;_;)