あ、そうそう、この江戸時代に流行った病、
1つは虫垂炎。
虫垂炎手術が一般化するのは
20世紀以降でした。
あとは結核やインフルエンザ。
結核菌が見付かったのは
明治15年らしいよ

沖田さんや高杉…
もっと早く結核菌が見付かってたら
助かったかもしれないね。(;_;)
つか江戸時代では結核は
原因不明の病で、失恋が原因で
かかるという俗説もあったらしい。
おいおい…そんなので結核になんか
かかりたくないわよ。(-_-;)
どんな俗説やねん。
沖田さんや高杉が可哀想

そしてJINにも出てきたコレラ。
これはコレラ菌による感染病で、
コロリと亡くなる事からコロリとも
呼ばれてたらしい。
コレラ大流行のきっかけは
長崎に来たアメリカ船だった。
長崎から流れ、
1ヶ月で西日本を侵食して、
江戸にも伝わった。
大阪では1日に800人の
死者が出たんだって

考えたら恐ろしいね


コレラの原因が判明するのは
明治17年のことだったらしく、
治療法がなかったみたい。
何でもかんでも明治かいな


厳しい世の中だったんだなぁ

コレラの特効薬としてキニーネを使ったのが
オランダ人医師ポンペ。
あら、南方先生の塩水や
ペニシリンじゃないのか。←
でもあまり効かなかったらしく、
洪庵も治療法に大変だったらしいなぁ。
プライドなどに左右される事なく
皆に情報を届けた洪庵。
恥よりも今大事な知識を皆に伝える事を
大切だと思ったらしい。
諦めず治療法を探したりして…
2ヶ月してやっとコレラの流行は
終息を迎えたんだって。
洪庵の示した知識で
多くの死を免れたと、記され、
洪庵は当時最高の医者として
広く知れ渡った。
文久2年(1862年)53歳には、
幕府から徳川家茂などを診る
奥医師に抜擢されたんだって

何か凄い

でも洪庵の反応は意外なもので、
長年住み慣れた土地を離れるのは
甚だ勝手が分からず、実に世に言う
ありがた迷惑なるもの、と家族への
手紙に記してるらしい

江戸に行くより、長年住み慣れた
大阪にいる方がいいと愚痴ってる

地位や名誉に無欲だった洪庵の
人柄が分かりますな。
でも奥医師を引き受けて
江戸に移った後は、将軍や篤姫の
治療の他、西洋医学の普及に努めたらしい。
しかしその僅か10ヶ月後に病に倒れて
54歳という若さでなくなった。
大阪の医療センターでは、
今も洪庵の教えが医療に
活かされてるらしく、
研修医手帳の始めには
洪庵の「扶氏医戒之略」と題された
物があります。
医戒とは、洪庵がドイツの医者
フーフェラントの書をもとに記したもので、
洪庵はこの書で
医者が守るべきモラルを伝え、
弟子達に教えました。
感動して鳥肌が立ち、
何だか涙ホロリしそうだった。
医戒は次のような言葉から
始まってます。
「医の道は己のためにあらず
人のためのみ
出世や名誉を顧みず
自分を捨て
ただ人を救うことのみを
願いなさい」
「不治の病の患者に対しても
苦しみを和らげ
一日でも長く
その命を保つことに努めなさい
たとえ救うことのできない
病であっても
患者の心を癒すのが
仁術というものです」
「学術に励むだけでなく
患者から信頼されるように
ならねばなりません
人々から命を
ゆだねられるに値する
誠実で温かい人間となりなさい」
素晴らしいよね緒方洪庵。
すんごい感動した!!
そうだよね、こないだJINでも
さきが言ってたよね、
治すにこだわらず、ほんの僅かでも
少しでも今を生きていられるように
するだけでは駄目なのでしょうか?
みたいな。
人の命を助ける医者は格好いいな。
来週はまた戦国時代の話。
私も戦国時代に手をつけてれば、
映画「プリンス トヨトミ」だっけ?
あれ見たいんだけどね
