大学の乱立が問題になり、認可問題が先ほどあったが、実際に大学の意味合いなどもう現在の社会から立ち遅れすたれた意味合いになってきている。


実際に、コンピュータなどの専門的なものは、より実践化され、企業にとって使える人材を実践型教育で行う必要があるが、既存の大学にそれはない。

そういう事情と、企業が使える人材を自ら育て確保する方が、雇用募集に多額の金額をかけ、技術力のチェックも不安なまま雇用するよりもはるかに良いことはわかっている。

これが、ソフトバンクや、ゲーム会社の専門学校の設立と教育で10年ぐらい前から行われている。


一般の大学からの就職の専門性は保健や工学なら意味があるだろうが、それ以外の部門ではどの学生を選んでも大差ないために、就職前の不要な人材テストを人事課はやらざるを得ずたんなるパフォーマンス(言い訳のための)を行い続けている。

雇ってみなければわからないのは技術力を問題していないからである。

大企業の平気で汚い真似をする姿勢は、学生がいかにろくでもない人間性かを見極めて雇う。これが社会常識がないほど、法律ぎりぎりの事を仕事として平気で行える心情なのだ。

まともな人間で気が付けば、ほかの人間をだしに使うような商品や経営など賛同できるわけもなく、辞めていく人も多い。

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大学の存在意義はもうない

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すべて資格学校のようシステムでよいと思う(一部の医学など民間に任せては不安定なものを除いて)。

無試験で入学させ、専門的な教育を行い、国家資格を取得していく。

この資格をとれることでその学校の人気も授業料も決めることができ、良い学校は高額になるだろう。

しかし授業料の負担は出来の良い学生にも降りかかってしまう。それを解決するのは合格率だろう。合格者は全額返金などの措置をとれば、残りの学生がその費用を振り分けられるだけ。たいていの国家資格は10%前後である。つまり100人の学生がいれば、90人が負担すればよいのである。

合格率が上がり、30%の人が合格するならば、残りの70人でフォローすればよく、それだけ授業料は高くなるが、合格へ導かれる授業なのだから、それは負担しようというもの。

不要な学生にも、門徒は開かれているわけだし、たんなる遊びで来ている人間はなにも習得できずにおわるだけであり、誰でも学校を卒業しているような義務教育スタイルのような大学に代わってしまうことへの歯止めがかかるだろう。

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資格を取ればよいのか?

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これは資格をとれば、その先の専門的な教育を受ける意味合いができるということである。

何もわからないような学生も混同した授業は、お寺の説法のような大学の授業となっていることは、誰もが認めるところだろう。

資格を取れば、その先にある専門的な教育を国が支援したプログラムを受講なりをすることで、人材のレベルアップが図れ、増やすこともできるはず。

こういう人間になった人に、たとえ税金を投資しても、みんなにオープンにされたシステムだけに、誰もがチャンスがあり、チャレンジをして失敗も成功もその人次第ならば、税金投資は認められることに違いない。(金額等の規律は必要)

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生涯教育

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大学の生涯教育を否定した、現行の入学システムへの移行は、結局少子化を予見されていたにもかかわらず、先細りの経営にならざるを得ない。バブル時期に移行され始めたこの内容も結局官僚の世の中が見えない自分都合の天下り先確保のための大学乱立と締め出しで、日本はくるってしまった。

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結論

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公務員の職務に対する法律上の裁判で、おかしな施行に対し、責任と罰則を行えることと、情報完全公開による、国民審査チェック機能の提訴を行える機構の設立は、憲法改正して行う必要があるが、政治家のほとんどは、バカばかりで、世の中の改正について、なにもない。消費税反対TPPやその程度の大看板を叫び、選挙に挑むだけ。


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大学を作るのがバカが先導して作った大学と思われないように、TVへの出演での本当にしょうもない発言
をする人がいるが、そんな大学に入った学生に申し訳ないと思わないのだろうか?
基本的な人間としての軸がずれていても、金があればバカ大学を設立し認可するシステム。イライラするね。(金とか渡邊とかね)