僕は形式大学不要と思ってるだw
修士=おたく
今の文化的な分野の広さで学者でなくともその上は多く存在する。職人(医者や弁護士を含めて)実践と基礎を混ぜて築いていくほうが理想的な気がする。結局大学を出て国家資格を取ってもまた一から専門家の下について実践を学ばなければならない。
よくアメリカの大学での法律講義の話を聞くと実践的なお題を多くの判例から抽出し暗記させるっていうのがあったけど、時代遅れ。これもコンピューターが人間を超えた時代に新しい教育への変換ができるかどうか境目をすでに時代として超えているだけに、世界トップの教育論者のレポートをアレンジして日本風にしているだけの省庁の教育姿勢では行政上の有利不利がでるだけ、人間が減っていく時代により高度で実践的な人材を多く作れるのかを大学はわすれ、経営主体の大学に将来は見えないからどすーっw
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企業がほしがる人材は企業が作る時代に
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経営主体から企業側が人材育成の専門学校を作り卒業者を入社される手法が定着してきた。高校卒業までに将来の目標を決め、企業運営の学校が生き残る、優秀あらばその企業の研究機関へ入る道ができる。
お金を払って数か月の研修をするよりもお金をもらって、実践的な教育をし、成績の良いものを企業が確保できる。これ以上の利点はない。
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学びを求める者を試験で拒む必要はない
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昨今小学生の算数を間違える大学生やTVのクイズ番組でバカな回答をする大学卒業生など、大学のレベルが国会でも討論される中、たんなる人集めをするだけの大学の運営方法は、大学が託されていたシステムを自ら壊し、そして消えていく時間の先延ばしだけにしか見えてこない。
大学よりも資格学校の生徒の方がまじめに取り組んでいるような気もする。
私立大学は大企業に売り渡す時期が近い将来来るだろう。
そして、判断の遅れた大学は淘汰されるだけ。
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未来の大学の姿を提案
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個人的には、大学を解放して、無料で誰もが勉強の目的とする講義を聞けるようにし、テストなどは外部の統合された機関や資格や検定に任せた方が公平な水準判定ができると思うだよ。
その上での大学の教授にまかされた自由な専門的な講義を行っていくのが本来の姿なのではないかいな。
それ以上のレベルの講義が聞きたければ、そういう国としてのハイレベルな大学を制定し入学希望者には専門資格の取得者に認めればええのではないかいなーw
そのレベルに国家として個人への教育負担の援助を行えばよい。
省庁に入って税金で外国の大学に通って給料をもらうのとは意味が違う。
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あとがき
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大学に本当に補助金が必要なのかどうかさえ、疑わしいものが多いように、社会には見えている。
そして、原発の第一人者の東大の教授でさえ、村の一員では学者といえども、正しさよりも金や流に負けた言動ができることが大きな衝撃である。
数千億円の予算を使える教授、その予算は取り巻く白アリたちのエサになっているのではありませんか?
多くの予算を使える教授よりも一人ひとりが日本を支えていく人材が育つからこそ、その無用な研究をしている教授に予算が振り分けられるのです。
ノーベル賞が日本人の尊厳を支えるというが、生きていくのに不要な実験をさせてもらっていて、正しい答えを支えている人間にいわず、予算を振り分ける側に立つとは、みこしに乗ってる人には何の策略された情報が入らないことが、無菌室の動物のようで、かわいそうなのか、周りが悪いのか、周りを見ないで生きていられる教授の存在とは、脳ミソだけなのか?。
準教授や教授への推薦してもらったお礼に金品贈答の慣習もすごいらしいし、教育を利用した利権?
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大学を卒業したから、社会に通じるとは限らない
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人間はコミニュケーションがあって社会は形成される。個人の性質が大きく締める上での教育なのです。
大学が就職の第1関門になってかなりたつが、少子化、ゆとり教育など、名ばかりになってしまっている。
これも、小さな村意識(学校)が存在する為で、アイデンティィがその時点で終わっている。
人生は社会に出てからがスタート。小さな縛りにこだわる人こそ、何もない人間の裏図けでしかない。
修士=おたく
今の文化的な分野の広さで学者でなくともその上は多く存在する。職人(医者や弁護士を含めて)実践と基礎を混ぜて築いていくほうが理想的な気がする。結局大学を出て国家資格を取ってもまた一から専門家の下について実践を学ばなければならない。
よくアメリカの大学での法律講義の話を聞くと実践的なお題を多くの判例から抽出し暗記させるっていうのがあったけど、時代遅れ。これもコンピューターが人間を超えた時代に新しい教育への変換ができるかどうか境目をすでに時代として超えているだけに、世界トップの教育論者のレポートをアレンジして日本風にしているだけの省庁の教育姿勢では行政上の有利不利がでるだけ、人間が減っていく時代により高度で実践的な人材を多く作れるのかを大学はわすれ、経営主体の大学に将来は見えないからどすーっw
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企業がほしがる人材は企業が作る時代に
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経営主体から企業側が人材育成の専門学校を作り卒業者を入社される手法が定着してきた。高校卒業までに将来の目標を決め、企業運営の学校が生き残る、優秀あらばその企業の研究機関へ入る道ができる。
お金を払って数か月の研修をするよりもお金をもらって、実践的な教育をし、成績の良いものを企業が確保できる。これ以上の利点はない。
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学びを求める者を試験で拒む必要はない
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昨今小学生の算数を間違える大学生やTVのクイズ番組でバカな回答をする大学卒業生など、大学のレベルが国会でも討論される中、たんなる人集めをするだけの大学の運営方法は、大学が託されていたシステムを自ら壊し、そして消えていく時間の先延ばしだけにしか見えてこない。
大学よりも資格学校の生徒の方がまじめに取り組んでいるような気もする。
私立大学は大企業に売り渡す時期が近い将来来るだろう。
そして、判断の遅れた大学は淘汰されるだけ。
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未来の大学の姿を提案
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個人的には、大学を解放して、無料で誰もが勉強の目的とする講義を聞けるようにし、テストなどは外部の統合された機関や資格や検定に任せた方が公平な水準判定ができると思うだよ。
その上での大学の教授にまかされた自由な専門的な講義を行っていくのが本来の姿なのではないかいな。
それ以上のレベルの講義が聞きたければ、そういう国としてのハイレベルな大学を制定し入学希望者には専門資格の取得者に認めればええのではないかいなーw
そのレベルに国家として個人への教育負担の援助を行えばよい。
省庁に入って税金で外国の大学に通って給料をもらうのとは意味が違う。
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あとがき
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大学に本当に補助金が必要なのかどうかさえ、疑わしいものが多いように、社会には見えている。
そして、原発の第一人者の東大の教授でさえ、村の一員では学者といえども、正しさよりも金や流に負けた言動ができることが大きな衝撃である。
数千億円の予算を使える教授、その予算は取り巻く白アリたちのエサになっているのではありませんか?
多くの予算を使える教授よりも一人ひとりが日本を支えていく人材が育つからこそ、その無用な研究をしている教授に予算が振り分けられるのです。
ノーベル賞が日本人の尊厳を支えるというが、生きていくのに不要な実験をさせてもらっていて、正しい答えを支えている人間にいわず、予算を振り分ける側に立つとは、みこしに乗ってる人には何の策略された情報が入らないことが、無菌室の動物のようで、かわいそうなのか、周りが悪いのか、周りを見ないで生きていられる教授の存在とは、脳ミソだけなのか?。
準教授や教授への推薦してもらったお礼に金品贈答の慣習もすごいらしいし、教育を利用した利権?
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大学を卒業したから、社会に通じるとは限らない
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人間はコミニュケーションがあって社会は形成される。個人の性質が大きく締める上での教育なのです。
大学が就職の第1関門になってかなりたつが、少子化、ゆとり教育など、名ばかりになってしまっている。
これも、小さな村意識(学校)が存在する為で、アイデンティィがその時点で終わっている。
人生は社会に出てからがスタート。小さな縛りにこだわる人こそ、何もない人間の裏図けでしかない。
