私、ブログランキングに参加してみたんですが、「海外生活者」のテーマに参加してるのに全然シカゴの事書いちゃいないってことに気がつきました。
ほぼ脳内の事ばかり、、、。ほぼTMネタ、、、。(笑)
そして、こんな私のブログに「シカゴ ブログ」を検索ワードに辿り着いてくれている方もいるみたい!きゃー!ごめんなさいっ!
ということで、たまにはシカゴっ子らしくシカゴを紹介するネタを書きたいと思います!(敬礼)
さて、シカゴというと皆さん何を連想しますか?
やっぱりミュージカル「シカゴ」が有名ですよね。映画にもなったし、米倉涼子が熱演してたし。
あれは1920年代のジャズ全盛期時代のシカゴの話なんです。
シカゴの街の基礎が出来たのは、もうちょっと前のお話。
1871年にはシカゴ大火が起こり、ほとんどの公共建築が焼け落ちました。(豚がランプを倒したっていう理由らしいです。豚ちゃんに罪をなすりつけるとは!けしからん!)
しかし、この焼失はシカゴの計画都市化、新都市計画の幕開けになりまして、被災後、市は木造住宅を禁止し、煉瓦、石造、鉄製を推奨。そのためシカゴは建築家たちの格好の市場となり、建築におけるシカゴ派による摩天楼設立ラッシュの先駆となりました。今でもこの時代の美しいビルが数多く残っているので建築好きにとっては堪らない魅力的な街となっております。
そして1893年には万国博覧会を成功させ、国際的な地位を高めると共に、文化都市として脚光を浴びるようになります。それと同時にオーケストラホール、図書館、博物館、公園などの文化施設の建設ラッシュとなりました。
この建築ラッシュでたくさんビルや家を建てた1人が、日本人にも馴染みの深いフランク•ロイド•ライト氏!(以降ライト先生と呼ばせていただきます)
ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」の1人と言われております。
ライト先生は、お隣のウィスコンシン州出身ですが、1893年から1910年までの17年間に計画案も含め200件近い建築の設計をシカゴにて行いまして、プレイリースタイル(草原様式 Prairie Style)の作品で知られるようになります。
*プレイリースタイルの特徴としては、当時シカゴ周辺の住宅にあった屋根裏、地下室などを廃することで建物の高さを抑えたこと、水平線を強調した佇まい、部屋同士を完全に区切ることなく、一つの空間として緩やかにつないだことなどがあげられる。
<プレイリースタイルの代表作ロビー邸>

ふぅ、、、もう出だしが長い、、、。もうしばしお付き合いください、、、。
このライト先生が19世紀末に住んでいたのがOak Park(オーク•パーク)エリアです。
まだライト先生の邸宅兼建築事務所の建物が残っているんですよ。
プレイリースタイルの住宅が数多く残る非常に落ち着いた美しいエリアです。
そんなOak Parkに義妹がBFと住んでおりまして、「年末のカウントダウンに遊びにおいでよ~。ニューイヤーズイヴディナーしよう!」と声を掛けてくれたので泊まりがけで数日間遊びに行ってきました!
長くなりましたので、次の回より私がOak Parkで撮って来た写真と共にOak Parkを紹介しようと思います!
ステイチューンッ!
ほぼ脳内の事ばかり、、、。ほぼTMネタ、、、。(笑)

そして、こんな私のブログに「シカゴ ブログ」を検索ワードに辿り着いてくれている方もいるみたい!きゃー!ごめんなさいっ!
ということで、たまにはシカゴっ子らしくシカゴを紹介するネタを書きたいと思います!(敬礼)
さて、シカゴというと皆さん何を連想しますか?
やっぱりミュージカル「シカゴ」が有名ですよね。映画にもなったし、米倉涼子が熱演してたし。
あれは1920年代のジャズ全盛期時代のシカゴの話なんです。
シカゴの街の基礎が出来たのは、もうちょっと前のお話。
1871年にはシカゴ大火が起こり、ほとんどの公共建築が焼け落ちました。(豚がランプを倒したっていう理由らしいです。豚ちゃんに罪をなすりつけるとは!けしからん!)
しかし、この焼失はシカゴの計画都市化、新都市計画の幕開けになりまして、被災後、市は木造住宅を禁止し、煉瓦、石造、鉄製を推奨。そのためシカゴは建築家たちの格好の市場となり、建築におけるシカゴ派による摩天楼設立ラッシュの先駆となりました。今でもこの時代の美しいビルが数多く残っているので建築好きにとっては堪らない魅力的な街となっております。
そして1893年には万国博覧会を成功させ、国際的な地位を高めると共に、文化都市として脚光を浴びるようになります。それと同時にオーケストラホール、図書館、博物館、公園などの文化施設の建設ラッシュとなりました。
この建築ラッシュでたくさんビルや家を建てた1人が、日本人にも馴染みの深いフランク•ロイド•ライト氏!(以降ライト先生と呼ばせていただきます)
ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」の1人と言われております。
ライト先生は、お隣のウィスコンシン州出身ですが、1893年から1910年までの17年間に計画案も含め200件近い建築の設計をシカゴにて行いまして、プレイリースタイル(草原様式 Prairie Style)の作品で知られるようになります。
*プレイリースタイルの特徴としては、当時シカゴ周辺の住宅にあった屋根裏、地下室などを廃することで建物の高さを抑えたこと、水平線を強調した佇まい、部屋同士を完全に区切ることなく、一つの空間として緩やかにつないだことなどがあげられる。
<プレイリースタイルの代表作ロビー邸>

ふぅ、、、もう出だしが長い、、、。もうしばしお付き合いください、、、。
このライト先生が19世紀末に住んでいたのがOak Park(オーク•パーク)エリアです。
まだライト先生の邸宅兼建築事務所の建物が残っているんですよ。
プレイリースタイルの住宅が数多く残る非常に落ち着いた美しいエリアです。
そんなOak Parkに義妹がBFと住んでおりまして、「年末のカウントダウンに遊びにおいでよ~。ニューイヤーズイヴディナーしよう!」と声を掛けてくれたので泊まりがけで数日間遊びに行ってきました!
長くなりましたので、次の回より私がOak Parkで撮って来た写真と共にOak Parkを紹介しようと思います!
ステイチューンッ!