小室哲哉提供の渡辺美里の曲を色々聴いていたら、名曲がありすぎて他の歌手への提供曲も掘りたくなってきた私!
今回から「小室哲哉名曲集 for アイドル☆」をテーマに書いてみたいと思います!

第1回目は中山美穂への提供曲

「JINGI•愛してもらいます」




1986.7.15リリース
詞:松本隆 曲:小室哲哉 編:大村雅朗 

なんと歌詞は松本隆ですよ!
そして「My Revolution」の名編曲者の大村雅朗が編曲!
こりゃー、売れないわけがない!真っ正面から売りにいった曲ですね!
東映映画『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌』主題歌でもありました。
当時のミポリンってちょっとツッパリでヤンキー臭がして、なのにとても可愛くて男も女も夢中にさせる魅力があるアイドルでしたよね。
当時の私もこの曲ですっかりミポリンファンになってしまいました。
ちょっとエッチな騒動が毎回話題だったTBSドラマ「毎度おさわがせします」で人気が爆発した後の映画出演でした。
(しかも、今Wikiってみたら、このドラマって舞台が多摩だったんですねー!繋がる!TAMA NETWORK!)

この歌詞って、上から目線のお姐さんが惚れられたツッパリに「仁義通しなさい!」と説教をしているところなんですよね。
「愛していると土下座して言ってくれたら考えてあげてもいいわよ。」という最後まで上から目線の強気の歌詞!こりゃあ「姐さん、俺ついていきます!」って言いたくなっちゃうわ、、、。
さすが!松本隆!
この世界観が映画の世界観とぴったりで映画も曲もヒット致しました。

楽曲は最初から打込シンセ炸裂でまさに小室哲哉テイストたっぷりです。
途中のピアノサウンドやアクセントのギターもいい。
そして、ミポリンの鼻にかかったアイドル声が最高にかわいい♡

「My Revolution」が1986.1.22リリースで1986.3.24にオリコンで1位を記録した楽曲なので、この評判を聞きつけて作曲依頼が来た可能性が高そうです。
(ドンが「次は小室で。」って言ったのかもしれません、、、ドキドキ。)
「My Revolution」のヒットで一躍売れっ子作曲家となった小室哲哉氏の自信を感じる1曲ですね。
80年代の小室先生の楽曲群はTK時代よりも好きなテイストかもしれません。
駆け出しで一生懸命自分の曲を世に出そう出そうとしているのが感じられていい!
そして、中山美穂のアイドル性の炸裂っぷりがいい!ですね。

中山美穂も今やパリパリ言っちゃってなんだかなーと思うのですが、この頃は本当に可愛かったなぁと思うのでした。(細い目)
みなさん、猫は好きですか?
今日は猫好きの方々にぴったりの話題でお届けしたいと思いますよ!

義妹が猫を飼っております。名前はジュリエット(♀)年齢は7歳くらい。
(なぜ”7歳くらい”なのかというと、動物シェルターから殺処分寸前の猫を譲り受けたので本当の誕生日がいつなのかわからないのです。)
こちらでは、動物のシェルターから犬や猫を譲り受けることが普通に行われており、シェルターでボランティア活動をしている人も多いです。
州によっては、動物の生体販売を禁止している場所もあり、Pet Smart等の大手ペットショップ等でも積極的に犬猫の譲渡活動を行っております。


一時期、義妹カップルとアパートをシェアしていたこともあり、私や夫にもよく懐いているジュリ子。
私達もジュリエットが大好き♡
ものすごくプライドの高いシャム猫ミックスの美しい猫です。

<窓辺のジュリ子 2012夏>
$シカゴ日誌

私がTwitterやinstagramでジュリ子の写真をアップしていたら、猫好きの人からのフォローがたくさん増えました。猫好きにとても人気が高いジュリ子であります。
猫好きホイホイなジュリ子。

シカゴに来たばかりの時は、よく夜中にホームシックになって寂しくなっていたのでレーザーポインターや毛糸でジュリ子と遊んで寂しさを紛らわせていました。
でも、自分が飽きると見向きもしてくれないけど、、、。(笑)

<毛糸遊びに飽きたジュリ子 2012秋>
$シカゴ日誌

写真を見ればわかる通り、自分勝手なお姫様タイプです。
<アタシはベッドの上で眠りたいのよ 2012冬>
$シカゴ日誌

でも、夜更かししていると「ンナーッ。ンナーッ。(もう寝なさいよ~)」と注意しに来てくれたり、朝もベッドの上に登って「ンナッ!(起きなさいよー)」とないたりしてくれる”出来る女”ジュリ姉さん。
姉さんキャラのジュリ子は日々優雅に気ままに暮らしておりました。

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2012年12月、そんなジュリ子に可愛い妹がやってきました。
Pet Smartにてシェルター団体が行った里親探し会で義妹が一目ボレして譲ってもらった子猫アシーナ(♀)7ケ月。
義妹「彼女を見た時にビビビっと来たのよ~!」と聖子ちゃんのビビビ婚みたいな事言ってました。
$シカゴ日誌

このアシーナの性格がジュリ子と正反対!
誰にでもお腹を出し、誰の腕にも登って「抱っこしてポーズ」、人が寝ていると横に来て一緒に寝る、、、。クリスマスの衣装も喜んで着て歩いてる、、、。
まるでフレンドリーな犬のような猫であります。

そんな媚びた性格が気に障るのかジュリ子はアシーナが大嫌い
最近は、顔つきもブスっとしてるジュリ子であります。
<アタシは子猫が大ッ嫌いなのよ 2013元旦>
$シカゴ日誌

そして、最近は腹が立つのか、ベッドやソファで粗相をするようになってしまいました。

まぁ、ジュリ子からしてみれば、お局様1人で切り盛りしていた職場に急に愛想の良い若いカワイイ子が現れて営業マンの気持ちを全部かっさらっていったってとこでしょうか?

「面白いわけないじゃない!」 ←ジュリ子心の叫び


今はアシーナが近くに行く度に「シャーッ!」と威嚇しているジュリ子。

2人が仲の良い姉妹になる日は来るのでしょうか、、、。
その日が来る事を願って見守りたいと思います。
*前回のブログ「Oak Park という街(1)」の続編です。

前回のブログでOak Parkにフランク•ロイド•ライト氏(以降ライト先生と呼ばせて頂きます)が住んでいたとお伝えいたしました。
今回は昨年の春に初めてフランク•ロイド•ライト邸を訪れた時の写真を混ぜながら、Oak Parkの建築散歩の旅をしていきたいと思います。

まず、Oak Parkってどんな感じの場所なのかgoogle mapで見てみましょう。
ストリート•ビューを使うとその場を訪れた気になりますよね☆


大きな地図で見る


まずは「フランク•ロイド•ライト邸」から。
1Fの扉がある場所が玄関です。玄関を抜けるとホールがあり、そこに広重が飾ってありました。
2Fには子供の為のプレイルームがあり、そこにはグランドピアノを壁に埋め込みはみ出た部分を階段に飛び出させるというとんでもない発想が!
ここでグランドピアノの写真が見れます。
$シカゴ日誌


そして近隣は、こんなに素晴らしいプレーリースタイルの建築群で溢れております。


<ネイザン・G・ムーア邸> 1895年築
$シカゴ日誌


<アーサー・R・ヒュートレー邸> 1902年築
$シカゴ日誌


<エドワード・R・ヒルズ・デケイ邸> 1906年築
$シカゴ日誌


<ピーター・A・ビーチー邸> 1906年築
シカゴ日誌


<トーマス・H・ゲイル夫人邸>  1909年築
この家の感じなんて、まさに「落水荘」を思い浮かべてしまいますよね。
シカゴ日誌


<ウォルター・H・ゲイル邸> 1893年築
シカゴ日誌

以上、ちょこっとライト先生建築ツアーをお送りしました。
Oak Parkエリアにもまだまだたくさんの建築があるのですが、また別の機会にご紹介できたらと思っております。
こうやって見てみると、日本の住宅メーカーが目指しているのはライト先生が創り出したプレーリースタイルに近いのかなという気がしますよね。外観とか三△ホーム等と作りがよく似てる気がする、、、。(ライト自邸も中に入ると大き過ぎるわけではなく、日本の家のように狭いけれど落ち着くような雰囲気がありましたので、ライト先生自身も日本の文化に大きな影響を受けていたと思われます。)でも、日本はやっぱり敷地に限りがあるので、本物のプレーリー住宅を再現するのは難しいですよね。


ライト先生は、ゴシップ話にも溢れた人でした、、、。
このOak Parkの自邸に妻キャサリン・トビンと6人の子供と住みながらも、既にチェニー夫人とドロドロW不倫関係。妻に離婚を切り出すも彼女は応じず、1909年、42歳であったライトはついに事務所を閉じ、家庭をも捨て、チェニー夫人とニューヨーク、さらにはヨーロッパへの駆け落ちを強行、、、。
しかし、その間に滞在したベルリンにおいて、後にライトの建築を広く知らしめ、ヨーロッパの近代建築運動に大きな影響を与えるきっかけとなったヴァスムート社出版のライト作品集の編集及び監修に関わったりとか、、、。転んでもタダでは起き上がらぬ人です!
そして、その後1911年にアメリカに戻ってくるもまだまだ保守的であった世間から不倫を叩かれて名声はなくなり仕事激減、、、。
ウィスコンシン州スプリング・グリーンの土地にタリアセンの設計を始めた後、昼ドラも真っ青の事件が襲う!タリアセンの使用人が突如発狂し建物に放火した上、チェニー夫人と2人の子供、及び弟子達の計7人を斧で惨殺したのち服毒自殺。(ありえない、、、)現場に出ていたライトは難を逃れる、、、。

しかし、これだけの事があった後、1913年に日本に帝国ホテル新館設計に来るなんてどれだけ元気な人だったのかと驚きますね、本当。

わりとライト先生は常にお金に困っているような人だったので家の設計もたくさんしたらしいんですが、彼の経済的困窮は、子だくさんに加え、洋服や車など、贅沢品を好むそのライフスタイルにあったらしい、、、。あれ、誰かさんに似ているような、、、。(苦笑)


すぐライト邸すぐそばにある素敵な公園「Austin Gardens Park」にライト先生の胸像があったののでパチリ。
ライト先生、Oak Parkでの日々色々とお疲れさまでした!

シカゴ日誌