作家、司馬遼太郎氏の新聞記者時代のエピソードが
産経新聞に出ていた。
こり↓
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司馬さん、遼(はるか)なり編(68)
2012.7.10 03:02
■「私は入りたさの一心で、まあやれます、といっておいたが、
英語など、西も東もすっかりわすれている」(司馬遼太郎「わが辞書遍歴」)
戦後、司馬さんは新聞記者としてスタートを切った。が、最初に勤めた
大阪市内の新聞社は、上司とケンカをした同僚に義理立て、5カ月でやめた。
この友人と共に京都の新興新聞社に転職したものの1年後、新聞用紙の横流し
(当時は刷った新聞紙より刷らない新聞用紙のほうが高価だったという)が
発覚し、紙の配給停止を受けたこの新聞社は倒産した。
そんなとき、司馬さんは産経新聞から誘われた。が、記者職には欠員がなく、
名目は「英語通訳」。「君は蒙古語の専攻だが、英語くらいしゃべれるだろう」
といわれたときの回想が冒頭の一文だ。入社がきまり、「辞書ぐらいは」と
思って買ったところ、実は独語辞書。買い替える気もおこらず、いまでも、
《小憎たらしく本棚のすみにころがっている》というのが“オチ”の一つである。
昭和23(1948)年初夏、25歳になろうとしていた司馬さんは、
京都支局に勤務することになった。
《出世をのぞまず、自分の仕事に異常な情熱をかけ、しかもその功名は
決してむくいられる所はない。紙面に出たばあいはすべて無名であり、
特ダネをとったところで、物質的にはなんのむくいもない、無償の功名主義こそ
新聞記者という職業人の理想だし同時に現実でもある》
そんな記者魂(「わが小説」より)は後に、司馬さんを世に出す名作となって
実を結ぶ。(文化部編集委員 関厚夫)
引用:http://sankei.jp.msn.com/life/news/120710/art12071003020000-n1.htm
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自分の仕事に異常な情熱をかけ、しかもその功名は
決してむくいられる所はない。
~中略~
そんな記者魂(「わが小説」より)は後に、司馬さんを
世に出す名作となって実を結ぶ。
こういう話を聞くと、世の中ホントうまくできてるなぁ~と感じる。
スティーブジョブスの「伝説のスピーチ」でもこれと同じような
話があった。
最初はすべては点であって、意味を持たないが、
未来に点を作ったとき、過去の点と繋がり線となる。
だから、一見意味がないように見えることでも全力で
がんばれる人というのは、未来で多くの線を作る
可能性を秘めた人だ。
笑いもさ、笑うということには一見意味がないように
感じるかもしれないが、ものすごい深い何かが
あるんですょ。
その時はただ笑っているだけだけど、確実にあの時の
笑いが影響を与えてくれている。
オレは自分の体験として、笑いの点がどんどん線になって
いると感じる。
意外な点が今後、線になるんだと思うと楽しみでしょうがない。
線が沢山できたら、きっと面にも立方体にもなるな(笑)
↑飛躍しすぎかw ガハー
どんな事柄であっても最初の点である今を一生懸命
がんばりたいものです。
んぢゃ、今日もガハガハ笑って点をガシガシ作って
いきましょうかね(笑)
ガーッハッハッハッハッハッハッハー