今朝、ラジオでおもしろい話を聞いた。
その昔。天まで届くほど高い塔である『バベルの塔』を
作った人間は天の怒りをかってしまい、色々な言語を
使わせられるようになったんだと。
人類は言語を使えるようになったのではなく、使わされる
ようになったってのはおもしろくない?
おりゃ、朝からスゲー勢いで唸っちゃったょ(笑)
だってさ、多くの人は人類が言語を使うことは進化の証だと
思っているわけぢゃない?
でも実は、昔は言語なんかなくても十分すぎるほどの
コミュニケーションがとれていたのだとしたら、、、
言語を用いず、言語以上のコミュニケーションがとれていたと
仮定すれば、確かに、言語を人間が用いることは退化に値する。
もっと言うと、言語があるから、言葉という気持ちの代替物に
頼りすぎて、相手の気持ちを感じようとしない表層的な人間が
当然出てくる。
つまりは下記のように気持ちを言葉に置き換える時点で意味に
乖離が発生しているんだよね。
さらには、受け手の解釈は様々だから、言葉を介在している
限りは正確に伝わらないことが多くなる。
【話し手】 心・気持ち ⇒ 話す(言葉) ⇒ 聞く ⇒ 理解する【聞き手】
実際に、話し手の『心』を聞き手が『理解する』までには言語を
使った伝言ゲーム状態になっている。
でも、言語を必要としないテレパシーのような気持ちを直で伝える
コミュニケーションがあったとしたら、
【話し手】 心・気持ち ⇒ 感じる ⇒ 理解する 【聞き手】
と、なるから、相手の気持ちが言語というフィルターを通すことなく
ストレートに伝わってくる。代替物を用いない分、気持ちの純度も
高くなり、解釈の相違も発生しない。
また、英語⇔日本語のような言語間の壁がうまれることもない。
これって、おとぎ話の様で、実はとてもリアルな話なのではないかと
俺は思っている。
だってさ、現に色々な言語を使っている今だって、気持ちに
着目せずに、言語の意味そのものだけに着目したら、
本当の心のメッセージは感じることはできないし、伝えることも
できないでしょ。。。
だから、大切なのは言葉などを媒体としつつも、それに想いを
ちゃんと乗せるということ。そして、受け取る方はその想いを
感じる感受性を養うこと。
ラジオの中でも言っていたが、想いを表現するものには
歌やアートなどがある。
歌って、言葉を使うけど、外国語の歌詞で意味が多少わから
なくても感動することがある。これは、言語を超越して、歌い手
の気持ちが聞き手に届いているってことだよね。
だから、歌手は歌がうまいだけでは売れるもんぢゃない。
自分の気持ちをいかに歌に乗せれるか、表現できるか、
これが売れるか売れないかの差ぢゃなかろうかね。
笑いも一緒。
ただ、笑っているのではなく、笑いに込める想いがあって然り。
基本的に笑う時にネガティブな人はいないから、笑っているときに
発しているメッセージというのはポジティブな感情だ。
一緒に笑っている人にそのポジティブな感情が伝わるからこそ、
その人との関係が気付けるんだよね。
どういう気持ちで笑っているか、どういう気持ちで相手に接しているか。
心の持ち様がとても大切。
当たり前なんだけど、これって目に見えないから、目に見える
言語に着目しがちだけど、実は目に見えないモノの方が重要な
ことは世の中にたくさんある。
『目は口ほどにモノを言う』
この言葉にもそれが表れている
言語を遮断して、笑うことを楽しむだけの時間をとってみては
どうだろうか。きっと、大切な何かに気付くことがあると思うょ。
んぢゃ、ガハガハ笑っていきますょぉお(笑)
ガーッハッハッハッハッハッハー
