人の気持ちは相手の立場に立って
人の痛みを知って初めてわかるもの。
人の上に立って、人を動かす人というのは
いつの世も弱者の気持ちを理解できる人。
人生、行き先は人それぞれ。
その人の使命も器の大きさも人それぞれ。
そんな様々な人、一人ひとりの気持ちはその人が感じた通り。
人ひとりが感じた気持ちに善悪はあれど、間違いは何一つない。
間違い何一つないというのは、感じた気持ちは事実以外の
何者でもないということだ。
この世界は何事も人の気持ち次第。
気持ちの一つひとつがこの世の中を動かしている。
何をやるにも人の”気持ち”を蔑ろにして達成できるものはない。
もし、蔑ろにしてでも達成したならば、ちゃんとおつりがくるように
なっとる。因果応報、バランスだ。
んで、人生もバランス。
良いことも悪いことも入れ替わり立ち代り波のように起きる。
そんな色んな出来事があった時、”今の自分”というフィルターを
通して感じた結果が”気持ち”だ。
この”気持ち”がさらに新しい自分の一部となる。
これを人は日々繰り返し、さらに色々なことを感じ取れるような
フィルターへと進化を遂げていく。
だから、海外旅行にいったり、冒険したりして、色々なモノコトに
対して生じた”気持ち”を自分の一部とした人のフィルターは
でかい!
大きなフィルターは多感だ。
それは色々なことを感じることができるが、良いことも
悪いことも両方とも感じてしまう諸刃の剣だ。
良いときはよい。肝心なのは悪いとき。
どう受け止め。どう気持ちを処理するか、
ここがフィルターの幅を決める。
繰り返すが人の気持ちは十人十色だ。
世の中の人が全員同じ気持ちなんてありえない。
それぞれの受け取り方が違い、抱く気持ちは様々だ。
だからこそ、この世は面白いともいえる。
色んな人がいて、色んな考え方があって、
色んな気持ちがあってしかるべきだ。
皆が同じ考え方だったら、この世の中は
なんらつまらん世界だ。
そして、志があり、想いを行動に言葉に出来る人が
人々の気持ちを揺らし動かす。
人が動く時はそこに”感動”や”共感”がある。
感動はフィルターを揺さぶられ気持ちが動くこと。
共感は同じフィルターであることで気持ちを共有すること。
冒頭でも述べたが、つまるところ何かが起きるときには
必ず人の”気持ち”が介在している。
人は得てして自分の気持ちを大切にしてもらいたいと
思っていても、他人の気持ちはなかなか大切にできない。
当たり前のことのようだが、この当たり前を当たり前に
出来ないから人は他人を傷つけてしまうことがある。
他人の気持ちを大切にしているつもりでも、人間、
知らず知らずのうちに、人を傷つけてしまうことはある。
そんなとき。
傷ついた人を癒す役目は”笑い”にある。
そりゃ、笑い以外でも癒えることはあるだろう。
笑ったところで直接的な解決にはならないかもしれない。
でも、笑うことによって人々の持つ痛みを癒していくと
いう考えをもった人が増えたら、もっと素晴らしい世の中に
なることは間違いない。
人の気持ち。
完全にわかることはできないかもしれないが、
察する気持ちを持つこと、寄り添う気持ちを持つことを
意識することが大切なことなんぢゃなかろうか。
家族、恋人、仲間に対してできる思いやりを万人が
万人にもてたら、奇跡が起きるかもね。
んぢゃ、笑いを啓蒙するため今日もガハガハ笑っておきましょうかね。
ガーッハッハッハッハッハッハー