忘れられた巨人   カズオ イシグロ(著)/土屋 政雄(訳) | まったり八兵衛★BMW F800R★むうの日記

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忘れられた巨人
カズオ イシグロ(著)/土屋 政雄(訳)






ノーベル文学賞のカズオ・イシグロを連荘で読んでみた。
前回は長編処女作「遠い山なみの光」

 ↓(リンク)
https://ameblo.jp/moo-tarou/entry-12325131702.html

 

そして、今回は最新の長編「忘れられた巨人」


「遠い山なみの光」のブログには、オイラのブログを読んでくれた方からコメントをいただいた。
その方の評価としては「遠い山なみの光」が一番低く、そして「忘れられた巨人」は一番難解な作品だと。。。。。
(/≧◇≦\)アチャー!!、こりゃ選択ミスったヵ!?(笑)



-----あらすじ
『わたしを離さないで』から十年。待望の最新長篇!
当代きってストーリーテラー、カズオ・イシグロが、アーサー王伝説を下敷きにしながら贈る、異色のファンタジー・ノヴェル。
失われた記憶や愛、戦いと復讐のこだまを静謐に描く、ブッカー賞作家の傑作長篇。

何か大事なことが過去に起きたはずなのに、記憶にもやがかかっているようで思い出せない。
そのもやの向こうにある「記憶」を探して、アクセルとベアトリスの老夫婦は、遠い地で暮らす息子に会うため、長年暮らした村を後に旅に出る。
若い戦士、鬼に襲われた少年、老騎士……さまざまな人々に出会いながら、雨が降る荒れ野を渡り、森を抜け、謎の霧に満ちた大地を旅するふたりを待つものとは――。

旅するなかで夫婦が出会うのは、山の上に住むというドラゴンの秘密だった。
その秘密の向こうに見え隠れする、無残な出来事の記憶。果たして、その記憶を取り戻すことは幸せを意味するのか?
もしくは、それは新たな悲劇を意味するのか?
「忘れられた巨人」とはいったい何なのか?
-----ここまで


 

 

 

通勤読書の自分は、この6月からの着任したプロジェクトの勤務場所が割と近く、通勤電車の乗車時間が短くなったので読み進むのにも時間がかかってしまったが、その分読んだところを反復して何が言いたいのかを考えるようにしたら、いろいろと自分の解釈が湧いてきた。
読み始めて思ったことは、なるほど中世イギリスを舞台にしたファンタジー作品なのかと思ったが、読み進むと「一番難解」との評価の意味も解ってきた。


この物語は、6世紀ごろから伝わるアーサー王伝説の数十年後の世界を描いている。
実際にこの物語の中に、アーサー王伝説に登場するアーサー王の甥 ガウェイン卿 や、魔術師マーリンも登場する。
(*δρδ)あぁ…?アーサー王? アーサー王、、、、
アーサー、、、、、、あ~ぁ(志村けん風(爆))

良く考えれば、あんまりアーサー王伝説の事を知らないので、ググったのはナイショですョ
(-^〇^-) ハハハハ

 

 




主人公は老夫婦の2人、夫アクセルは妻ベアトリスのことを「お姫さま」と呼ぶことに、少々違和感を感じたので、英語の原文を調べてみたら「princess」となっていた!
(ー'`ー;)ムムッ、ど~いうことなんだ、という違和感を持ったまま読み進み、最後の最後で自分なりに納得した。


この作品には3つのテーマがあり、ファンタジーを隠れ蓑にカズオ・イシグロはメッセージを送っている。
1つめ:移民=宗教と人種の問題
2つめ:内戦=戦争と平和
3つめ:愛=愛する人の死


まずは、移民=宗教と人種について。
ヨーロッパ大陸からサクソン人(アングロ・サクソン)がキリスト教とともに渡ってきた。
ブリテン島の先住民であるブリトン人はそもそも多神教であった。
サクソン人はキリスト教を布教し、ブリトン人を取り込もうとしている。
現代でも様々な国で問題となる人種の違いや宗教の違い、そしてそれらの移民の問題を物語のベースにしている。


次に、内戦=戦争と平和について。
1つめの移民=宗教と人種が大きく引き金になり、対立し、溶け合うことなくいがみ合い、結局は戦争に突入してしまう。
そして停戦がやってきて、つかのまの平和が訪れたような感覚は、対立を忘れようとする(なかったことにする)心の問題である。
現在も、この世界の至る所で戦争(内戦)と停戦が繰り返されていることに対し、カズオ・イシグロは憤りを表現したのではないのだろうか。


いちばんメインのテーマは、愛=愛する人の死に直面したときの心構えと、それを受け入れることの難しさである。
愛する息子の死を受け入れることのできない日々は、息子が死んでしまったという事実を忘れるということに等しい。
愛する妻の死を目前にし、過去の過ちを忘れてあげられるかどうか、そんな広い心と愛の間(はざま)にある心の葛藤がこの物語の全てである。


 

なぜ、愛する人の死がメインテーマなのか、それはこの物語そのものが死を目前にした妻ベアトリスの意識朦朧とした夢の中を書いたのではないかと思えるからである。
つまり、妻ベアトリスの、これまでの人生の回想と懺悔と感謝の思いが映し出した夢を文章化した、そういうことだからファンタジー調に表されたということではないだろうか。
最初に述べた違和感はこれで解決!
そう、だから、自分のことを「お姫さま」と言ってほしい、永遠の乙女心の表れなのだ!
女子は、齢をとっても、死の間際でも、いつでもどこでも、お姫さまでありたい!!
レ( ̄ー ̄)ナットク!!( ̄^ ̄/)(笑)


最後に、この物語のタイトル「忘れられた巨人」とは何か?
英文の原題は「The Buried Giant」、直訳すると「葬られた巨人」となる。
巨人を、人が人として生きる上での永遠の課題と言い換えると、葬り去られた永遠の課題となる。
つまり人間は、先に述べた3つのテーマ(移民・内戦・愛)を忘れてはならない、人の心から葬り去ってはいけないという、カズオ・イシグロからの強い強いメッセージがタイトルに込められていると、自分では解釈する。






前回の「遠い山なみの光」は、古い時代の文学のようで、読んでいると谷崎潤一郎?的に感じた。
今回の「忘れられた巨人」はファンタジー?、村上春樹に似た感じ?
だから、ハルキストは村上春樹のノーベル文学賞を期待するのか、なるほど、と。


では、村上春樹とカズオ・イシグロの大きな違いはなにか?
それは、村上はエンターテーメント寄りであり読者を楽しませる、イシグロは純文学寄りで読者に深い思慮を求めているところではないだろうか。


いやいや、2作続けてのカズオ・イシグロは、正直疲れました(笑)
次は、頭を使わない、軽ぅ~いのを読もうっと!
そして頭が冷えたら、おすすめの「日の名残り」「わたしを離さないで」でも読んでみようヵね~
(ё-ё)えへ♪