目先の利を追う、無責任さへの怒り


最近といっても結構前からポツポツあったけど、

書店で本のタイトルをみていて

「浅はかだなぁ」と思ったり、

時に腹が立つことがある



特に、今は風の時代だとか

それも一部のスピリチュアル業界の人たちだけでなく、企業の経営者のような人までもが公に発信していたりする

孔子の時代から老子の時代への移り変わりとか色々いわれている

時代は常に移り変わっているが

確かに今は日に日に、目に見える程それが激しいときであるとはいえるかもしれない

日本国内だけに注目してみても、

古い時代の時の権力者が築いた帝国の崩壊のような流れが続いている


教育も、随分変わっていっていると聞く

先生が子供を叱れない

悪いことを悪いと言ったら虐待なのか?

現場での実態はよく分からないが、

いずれその子たちは社会に出て自立しなければならない、大丈夫だろうか?

たまにZ世代と話してみると(良くも悪くも)驚くことが多々ある



本屋さんの話しに戻すと、

私が特に憤りを感じたのは

「頑張らなくていい」シリーズである

シリーズというのは、この趣旨のタイトルの本が山ほど出ていて


新しい時代は、「努力なんてしなくていい」んですょ-

努力、根性なんていうものは

古ーい、昭和の話しです


努力しない

頑張らない

好きなことだけして

飽きたらポイってやめていい

それが風の時代、軽やかな生き方です-


みたいなニュアンスに、腹が立つ



✳︎



あと、「逃げていい」シリーズも!

嫌なことからは逃げなさい

嫌な職場なんか辞めちゃいなさい

頑張っちゃダメですよ

心がやられてしまいます、、みたいな風潮?



ごめんなさい、かなり誇張も入っています

でも、腹が立って仕方がない

(ちゃんと真理を丁寧に書いてある本もあり、

ほんの一部が、商業目的に目立つような極端な表現を用いているのであろうが)

今回はその"ほんの一部"(であってほしい)に対する怒りである



「逃げていい」という本のタイトルがあったとする

これって、逆張りのインパクトのある言葉で引きつける商業的に考えられたマーケティング戦略のつもりなのかもしれない


一昔前は石の上にも3年とかいってたけど、

あれはもぅ古いよって

否定することで、注目を集めて発言権を得ようとするような

自己顕示欲、承認欲求、自己欺瞞、

色々な嫌らしい(人間らしい?)感覚が流れこんでくる


今回は書ききれないので

この「逃げていい」を取り上げてみる

もし、このお題のディベートがあったら

それはまぁまぁ面白いお題ではあると思う


究極の2択で

逃げていい派と逃げてはいけない派に分かれてディベートするとしたら


私は迷わず、逃げてはいけない派だ


まず、この手の「逃げていい」的な本にありがちなのは、

ブラック企業でこき使われてパワハラにもあってうつ病になってるのに、辞めさせてくれないとか

そんな酷い環境からは「逃げていい」

という仕立てを何度か読んだことがあるが


そんなおかしな理不尽を強いられる環境から離れること、ブラック職場を辞めることは

「逃げ」であろうか

それはまともな選択であり、判断だろう


だからその仕立てでタイトルをつけるなら

「真っ当な判断をしていい」である

当たり前のことすぎて、又は地味すぎて

タイトル候補にならないかもしれないが


こういうキャッチーで浅はかな

怠け者がより怠けに磨きをかけるような

そんなタイトルに、愛があるだろうか?

インパクトがあって目立てばいいのか

目先の利益さえあればいいのか



「逃げていい」場面ってどんな場面だろうか

ブラック職場の話しを例にあげたので、その例にのっとってみると、

うまくいかない仕事、人間関係がある

どうしたらいいのか考える、やってみる、

なぜうまくいかないのかな、人に相談してみようかな、本を読んでみようかな(そこであの本が陳列してあったら..と思うと腹立たしい)


そうやって、始めたばかりの頃は

できないことやれないことだらけだろう

続けていっても、どこかで親しい人が辞めたり新しい人が入ったり、部署が変わったり

色々あるだろう

その時々で、うまくいかなかったらどうしたらいいのか、自分の頭で考えること

やってみて、その結果(フィードバック)を得ていくこと、

そうやって人生の経験値💎を得ていく

これは、机上の空論では得られない

体験したからこそ手に入れられる大切なものだ

💎は自分のことを知っていく資料になる


もしパワハラ上司や深夜残業とか耐えられないなと感じたら、然るべき場所へ相談にいき

(そこで行政サービスを知ったり勉強になる)

そして、自分で考えて、辞めようと決めたら

次の転職先を探すなり、

いったん休息をとるなりすればいい


ここに書いた一連は、ありふれたどこにでもある話しだけど、人間ってこういうものじゃないか

この中に「逃げていい」を使う場面はあっただろうか

自分で考え、選択し、行動する

それはなんら不誠実な行為でも、「逃げる」行為でもない


(「逃げていい」で浮かんだのは、例えばライオンが近くにいるとか、でもそれはもはや逃げなきゃいけない場面だ)



うまく伝えられたか分からないけど、、



人間は弱いもので、無意識に事実を自分に都合よく歪曲していたりする

それは無意識下であり、それが単に悪であるとも思わない

しかし、そうやって弱い(自分に甘い)からこそ強くあろうとする人間の足を、引っ張っちゃいかんだろうという、

我ながらジジィのような怒り節が湧いてくる



様々な経験を積み、物事の本質を見極める力がある人ならいい

俯瞰で思惑を汲み取れるから

(まず「逃げていい」を読まない気がするが)


精神の発達がまだ未熟な若者が、学校であるいは社会に出て現実に直面したときに、

知恵(アドバイス)を得ようと本を手にとる

そんな若者にまず伝えたいことが

「逃げろ」でいいのだろうか?


「逃げる」という表現をすることで、

自分は社会の弱者、守られるべき被害者のような感覚になり、

まるでライオンから逃げ出すようになりふり構わず(礼儀も義理もなく)振る舞っていいと

間違った認識を助長するかもしれない


自分の「だって嫌だし、辛いし」みたいな子供じみた考え方を正当化できるツールとして役立つとしたら、

それは愛ある助言とは程遠い、自立できない人間をつくる「甘やかし」だろう

一時の歓心を買いたい(売りたい?)著者の欲だ



じゃぁ「逃げていい」って、

「どこに?」と著者に問いたい

ここではない何処かに、完璧に安全な逃げなくていい場所があるとでもいうのだろうか

辛くもしんどくもない不満もストレスもない場所

そこに辿り着くまで「逃げ」続けるのか?


安易に逃げることは、自分の道を狭めることになりかねない

私が怒りを抱いたのは

そんな読者への愛のなさ、

言葉という人に影響を与えかねない道具を使う者の無責任さ、その軽薄さを感じたからだ



一部の者が、弱さを肯定されたと喜んで

「逃げていい」を自己都合でどんどん拡大解釈し、

自分さえ良ければいい、

権利ばかり主張して責任は果たさない

都合悪いこと(面倒なこと、気まずいこと)

全部、「だってシンドイもん」みたいな

幼稚園児並みの理由で「逃げていい」と

そんなトンデモ価値観を肯定しかねない

(最近の新卒者が入ったばかりの会社に退職代行を使って辞めるのが今時というニュースを思い出す)

インパクトだけの、上っ面だけの標語を流布されたら困る



上記の新卒者(ごく一部の話しだろうけど)については、

「御社に貢献したいです」と入社の意を伝え

それを信頼した会社は、他の人を選ぶ機会を捨てて、その人を選んでいる

そこにきて、入社してすぐに「向いてない」とか「合わない」と思ったら→即、辞めようとなる

そして辞意すら自ら伝えない

義理筋を通さないことに違和感を感じない人が増えているのではと危機感を感じる

義理筋なんて言葉も古いかヤクザ用語みたいな認識かもしれない


しかし、今日本の政治経済も

古きを否定してより新しく(一周前の海外の政策やらの輸入で別に本当は新しくもない)

より未来的な✨みたいなふわふわした感じで

皆んなでお揃いのSDGsバッチをつけている


それこそ自分の頭で本質を見極めることができないから、目先の表面上良さそうなもの、目先の利、目先の欲に踊らされているのではないか



社会(全体性)は個々の精神性によって成り立っている

性善説の法制度を持つ、こんなに自由で豊かな国であるのは、

先人たちの精神性が高かったからではないか


性悪説に基づいた社会を想像したら、

ガチガチに管理された社会主義国家が浮かぶ

自分で考えることを放棄したら、そんな独裁勢力を招きかねない




義理筋を通さない、責任や面倒事から逃げる

自分さえよければいい

そんな精神性の人が増えてしまったら


誠実に責任感をもって、日々働いて

家族を養っていたり、自立していたり

税金を納めている

そういう普通の、良識のある人が困る社会になりかねない


この道路も公園も治安の守られた平和も

一生懸命働いた人たちが納める税金で賄われている

人々が支え合って成り立っている

逃げたい族は、無人島で自給自足でもしてみたらいい



「生活保護受けなきゃ損っすよ、働いたら負け」

みたいなことを注目度もかえりみずに発言する著名人にも

同じように腹が立つ

無責任で、全体の利益を考えていない


働いたら負けな訳ないだろと

皆んながそんな考えになったらどうなるか


思考力が弱まると、操作されやすくなる

教育やら情報やら、

日本人をどっちへ向かわせようとしてるのか


日本に生まれて

日本を愛する私としては

腹立たしいことがたくさんある


若者は日本の宝物だ

しかし、

愛することと甘やかすことは違う


今の学校教育に(私の時代から感じていたけど)欠けていると感じる、

答えのないことを考える大切さを 痛感する



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