2012.3.3の日記。
一部修正。
優人がお空に旅立った時間に予約投稿。  

一応これで、優人のこと〜5years ago〜は、終わりにしたいと思います。

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今日、無事に、優人をお空に見送ってきました。

最期に、優人には、

『優人…また逢おうね』

と、頭ナデナデして伝えてくるのが精一杯でした。

優人、本当にかわいくって、ただ眠っているようにしか見えなくて、そのまま連れて帰りたかった。。。

だけど、そんなことできないから。

ひとりで、
あの小さな体で、
ちゃんとお空まで行けるのか、
すごく心配です。

だけど、優人を送り出したあと、
曇った天気が少しだけ青空になったから、きっと優人はお空にたどりつけたはずです。

物理的距離は離れてしまったけれど、お空に優人がいてくれる、そう思うだけで、ほんのちょっぴり落ち着きました。

どこに行っても空はあるし、見える。

きっと、優人も同じ。

どこにいても、お空から私たち…パパとママを見ていてくれるはず。

離れていても、いつも一緒。



優人…
お空に着いたかな?

パパとママからのお手紙、読んでね。

いつか、必ず、パパもママも、優人に会いにいくから、元気でいるんだよ。

ちょっとの間だけ、お空でお留守番、お願いね。




お空を見てくれたみなさん、ありがとうございました。

優人もやっと落ち着く場所に行けたんじゃないかなって思います。



私、明日退院することになりました。

入院したとき、まさかこんな形で退院するなど、夢にも思っていませんでした。

おっきくなったお腹を抱えて、『次は出産のときにお世話になります』と言って帰るものだと思っていました。

まさか、お腹ぺったんこで、息子を空に送り出すなんて…。

私と旦那の親との久しぶりの対面が、お宮参りとかではなく、火葬だなんて、誰が予想していたでしょう?

義父がつぶやいた『おじいちゃんになり損ねちゃったな…』という言葉に何も答えることができませんでした。

でもいつか、私たち夫婦の気持ちが落ち着いたころ、優人の弟か妹をつくり、優人をお兄ちゃんに、親たちをおじいちゃんやおばあちゃんに、私たちは今まで以上にお父さんやお母さんになれるように、一歩ずつ…ときには後ろに進むときもあるかもしれないけれど、前を向いて…空を見上げて…優人が心配しないように歩んでいきたいです。


まだまだ私も旦那も、優人が亡くなった寂しさから抜け出せてはいません。でも、ずっと寂しさに浸ってばかりいるつもりはありません。

ただ…無理に頑張りすぎず、悲しい気持ちは溜め込みすぎず、時間がかかってでも、夫婦手を取り合って、悲しさを乗り越えていきます。

正直、まだひとりになると泣きます。
夜、眠れません。
お腹、ポンポンと触ってしまいます。

仕事やこれからのこと、考えているようでも、頭の中は、優人のことでいっぱいです。

あぁ、もう何書いてるかわかんないや…。

それくらい、書きようのない気持ちですが、とりあえず、今日は優人を送り出せたことで、一歩前に進むことができました。


今日はこれだけできただけでも、いいでしょうか?

優人に怒られないかな?

心配かけてないかな?

そこだけが心配です。

あぁ、うまくまとめられないや…。

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ひなまつりの3/3の朝一番で、優人を火葬しました。朝一番は、炉の温度が比較的低く、赤ちゃんの細い骨でも残りやすいんだそうで、火葬時間については火葬場の方が配慮してくれました。

914gの小さな優人ですが、骨は意外と立派で、骨太な旦那似のようでした。

小さな優人が、さらに小さく軽くなり、いかにも骨壷!な骨壷に入り、帰宅しました。

色んなブロ友さんのブログからパステルカラーの骨壷袋や手作りの物などがあると、あとで知り、それができなかったこともまた後悔のひとつでした。

四十九日前に、埋葬しました。

産後8週で仕事復帰のため、だれも家にいない環境に優人ひとりを残すことができなかったこと、万が一、火事や盗難に遭ったら…と思うと、「私は」怖くて、埋葬を決めました。

決めたとはいえ、優人自身が私たちにもとから居なくなってしまったことにはなかなか慣れず、寂しかったです。