脳緊財政均衡論者と配金ベーシックインカムカルトの共通点 | 門前小僧、習わぬ今日を読む

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反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
アイコン,ロゴ画面はイラストレーターtakaさんより。
takaさんの詳細情報はブログ画面にて。

脳緊財政均衡論者と

バラマキベーシックインカムカルトの共通点は、

 

お金(貨幣や通貨)を“希少性のあるモノ”だと考えるところにあって、

物価、為替相場みたいな

貨幣や通貨の価値を示すものを

希少性を示すものと勘違いしてる点よね。

 

物価だの為替相場なんてのは、

物理で言えば水に対して比重はどのくらいか

っていう程度の話に過ぎず、

 

希少性を示すものでは必ずしもないんだけど、

そこをイコールで結んでしまうくらい、

お金というものに至上の価値を見出している、

平たく言えば“お金に執着している”。

 

確かに、

 

企業や家計という経済主体にとって

お金は希少性のあるものだけど、

それを生み出せる政府にとっては希少性は皆無。


政府視点で見れば、

希少性の無いお金などより、

有限な実物リソースの方がよほど希少性が高いという話になり、

希少な有限リソースを

いかに有効活用し、増やすかが重要になる。

 

ところがお金自体に

有限な実物リソースより高い希少性を感じてしまうと、

本来の投資の意義である

有限リソースの有効活用と増大より、

金銭的利益の増大の方を重視することになる。
 

お金に対して過剰に高い希少性を感じることは、

同時に投資の意義を履き違えることにも繋がる。

 

お金というのは、

システムとして考えれば経済や社会のインフラ、

あるいはガソリンや電気のような

エネルギーや燃料みたいなもので、

それ自体食って生きていけるわけではない。
 

それを原動力として

モノやサービスが生み出され、

生み出されたモノやサービスが

人々の生活に活かされなければ意味が無い。

 

お金に過剰に高い希少性を見出す拝金主義の弊害は、

金さえあれば全て解決という勘違いをしやすくなること。
 

とりあえず金を節約して溜め込んでおけば問題解決

という脳緊と、

とりあえず金をバラ撒いとけば問題解決

というバラマキベーシックインカムカルトは、

 

真逆のようで実は同じ方向性の考え方。

 

脳緊とバラマキベーシックインカムカルトが

スマホやPCにツバ飛ばしてレスバしてる様は、

 

まさしく鏡に写った左右逆な姿の自分を貶して罵ってるようなもの。