断ち切るべき財政均衡という妄執と消費税という呪縛 後 | 門前小僧、習わぬ今日を読む

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反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
アイコン,ロゴ画面はイラストレーターtakaさんより。
takaさんの詳細情報はブログ画面にて。

人間というのは、

自分には判断がつかない、

あるいは判断が難しい、

理解が及ばない問題に関しては、

あるいは判断する確固たる根拠がない限り、

他人に判断を仰ぎ、

判断を預けようとします。

 

例えば、

病気やケガの治療。

 

普通の人は治療法なんて解りませんから

当然ですよね。

 

例えば、法律問題。

 

普通の人は法律に詳しくないから

やはり当然。

 

経済に関しても同様です。

 

そして人間は、

人間関係、

交友関係の破綻を

極度に恐れます。

 

その関係が自分の利益や

生活に繋がるなら尚更です。

 

これが、いわゆる“政治を決定づける力”に繋がって行きます。

 

政治的な根回しというのは、

その人と共通する人間関係や利害関係、その人を介した評判(好悪の感情)など、あらゆる非論理的なものに訴えかけて、論理的な判断を同期・共有させること、

と言うことができるかもしれません。

 

同調圧力と表現することもできるかもしれませんが、

この表現はあくまで相手の意志に反して

というニュアンスが含まれますが、

 

根回しによる同調は相手の自主性に訴えかけるもので、

必ずしも強制と言えない要素を多分に含むために、

極めて強固な政治力として働きます。

 

優秀な実務能力、

財界や政界に広い人脈と人望を持つ人物であった

稀代の高級官僚、

故香川俊介氏の“根回し”が、

政治的にどれだけの影響力を持つのか。

 

私には想像もつきません。

 

そして彼が、

なぜそこまで消費税増税に拘ったのか。

 

 

それについて、

経済学101理事を務めるWARE_bluefieldさんが、

3年前に興味深いツイートをして下さっています。

 

  

 

彼の人となりや仕事が一部、

複数の寄稿者によって綴られている

香川俊介氏の追悼文集に関するものです。

 

追悼文集というものの存在自体が、

彼の政治力の偉大さを表しているように見えます。

 

香川さんは、社会保障と税の一体改革をやり抜かなければ、日本は滅ぶと真剣に考えていました。財政が破綻し、太平洋戦争直後のような激しいインフレになって、国民の財産が消失するようなことが起きてはいけない。たとえ嫌われようとも、消費税率をどこまでも上げて、社会保障の給付をどのように抑えればいいのかを考えていく。そういう国民的な議論をやりたかったに違いありません。香川さんは、常に現場に足を運んで意見を求めていました。

 

>画像より引用

 

どうやら彼は筋金入りの財政均衡論者であり、

政府債務の累積によって財政が破綻、

ここではデフォルト(債務不履行)ではなく

ハイパーインフレが起こる

と本気で信じていたようです。

 

彼が長年、その任に就いていたのは主計局。

 

主計局とは、

国の予算編成を実質的に司っており、

財務省の中でもとりわけ大きな権限を持ち、

財務省の事務方トップの事務次官には

伝統的に主計局長がなることが多いそうです。

 

何しろ文字通り、

国家の財布を握る部署で、

各省庁の予算請求も

主計局の判断によって決められてしまうわけです。

 

そのため主計局の局長は、

他の省庁の事務次官(各省庁のトップ)と対等の立場で

交渉できる力を持っているのです。

 

各省庁の予算を懐三寸で直接決定する権限を持つ

財務省主計局長は、

事実上中央省庁のみ命運を握る

支配権を持っていると言っても

過言ではないでしょう。

 

その主計局勤務時代、

香川氏はどのようにその辣腕を振るったのか。

 

公共事業を十四兆円から七兆円に削ったこともあります。当然、大物政治家たちと激しいやりとりをしなければなりません。しかし彼の凄いところは、そのような政治家たちに一人で突撃していって主張すべきを主張するのに、持ち前の愛嬌と誠実さで、敵にならないどころか仲良くなってしまうところでした。

 

>画像より引用

 

 

彼自身が実際にどのように考えていたのかは無論解りません。

 

ただ、周りの人々の口から聞かれるのは、

 

ある種の狂気さえ感じさせる、

財政均衡への執念です。

 

財政均衡への妄執。

 

そう、妄執なのです。

 

太平洋戦争直後のような激しいインフレは、

やはり太平洋戦争直後のような生産設備、

輸送装備や設備の壊滅的な破壊、

すなわち国家レベルで供給能力が喪失することで起きるのですから。

 

今の日本において、

もし万が一ハイパーインフレーションが起こるとしたら、

その要因となるのは恐らく南海トラフを震源として

超巨大地震が起こり、

日本の供給能力に壊滅的な打撃を与えることでしょう。

 

これを防ぐためには、

むしろ積極的な公共投資によって防災・減災インフラを充実させ、

土木建築業の供給能力を育成して、

地震被害の極小化、すなわち国土強靭化と、

インフラ復興の迅速性を高めることが必要です。

 

つまり、

 

緊縮財政による公共投資の削減は、

むしろハイパーインフレリスクを高めてしまうのです。

 

ただし、この「巨大地震による供給能力破壊によるハイパーインフレ」というストーリーも、

・東京・名古屋・大阪圏など日本経済の中心となる大都市圏が同時多発的、あるいは連続して壊滅

・なおかつ復興が困難なレベルで土木建築業の供給能力が壊滅・衰退して復興の見通しが全く立たないような状況

・日本へ投資していた国内外の資本が大挙して海外へと流出(キャピタルフライト)することによって日本円が暴落、輸入物価が高騰する

というような、前提条件を満たすのが極めて困難な、ほぼフィクションとしてしかあり得ないモノであり、実際には巨大地震ですら、今の日本にハイパーインフレをもたらすのは困難ではないかと考えられます。

実際、東日本大震災が起こった年、極度の円高になっています。おそらく、復興のために海外に投資されるはずだった資本が国内に投資されたり、復興のための需要目当てに海外からも日本国内への投資が促されたためなどが考えられます。

が、普通に物価は上昇すると思われますのでゆめゆめ油断の無きよう何卒。

 

 

香川氏はその辣腕を振るい、

14兆円規模の公共事業を7兆円にまで削ったと、

追悼文集にあります。

 

削られた7兆円規模の公共投資が、

国土強靭化のために使われるものだったかどうかは解りませんが、

 

少なくともその7兆円は、

公共事業に従事する企業、

労働者の所得となるはずだった7兆円です。

 

その消えた7兆円によって、

倒産する企業、

失業する労働者が

多数いたことでしょう。

 

仕事も収入も得られなくなり、

莫大な負債を背負い、

一家離散や家庭崩壊、

自殺に追い込まれた

経営者や労働者も居たことでしょう。

 

 

彼は、

政治的に大きな影響力を持つ大物政治家たちに

一人で立ち向かった英雄、

と評されました。

 

しかしその姿は、

 

チャーリー・チャップリンの映画『殺人狂時代』でのセリフ、

 

一人殺せば殺人者、100万人殺せば英雄になる

 

を彷彿とさせるものです。

 

彼と、彼の仲間たちの“英雄的な”活動によって、

それこそ万単位以上の悲劇が生まれたことは、

想像に難くありません。

 

そして、その悲劇は今も続いており、

財政均衡という妄執は

消費税という呪縛となり、

国民を苦しめているのです。

 

ただし、

 

私は彼のことを悪の黒幕だとか、

親玉だとか、

 

そう言ったレッテルを貼るつもりは毛頭ありません。

 

ただ、

 

政治的に対立する勢力に、

きわめて優秀・有能な人材、

それこそ英雄と呼ぶに相応しい敵将がいた、

 

それだけのことです。

 

彼は彼の正義に、大義に基づいて、

己の実力を遺憾なく発揮しました。


 

しかしながら、

それによって、

 

どれほどの不幸が国民の不幸を襲うことになったのか。

 

国民の安全保障を犠牲にし、

国民の所得を増税という形で奪い、

失業や倒産、破産などの経済的な不幸だけでなく、

自殺や一家離散、など

数万、数十万、あるいは数百万単位の

国民の人生上の不幸を間接的に引き起こしました。

 

恐らく、

 

彼は国民が貧困のどん底に落ちるよりも、

それより少しマシな貧困を国民に強いることを目指したのでしょう。

 

しかし、実際には

彼が恐らくは想像したであろう

“少しマシな貧困”こそが、

本当の貧困のどん底であり、

彼が想像したであろう貧困のどん底は

日本の現状を考えればただの妄想に過ぎないのです。

 

 

財政均衡という妄執。

妄執によって生まれた消費税という呪縛。

 

断ち切らなければなりません。

 

我々の手で。

 

我々自身のため、

 

そして、

 

日本という国の将来、

未来を生きる世代のために。

 

 

 

 

 

<参考>