外道と非道の違い~バラマキ、給付政策は目標ではなく過程に過ぎない | 門前小僧、習わぬ今日を読む

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反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
アイコン,ロゴ画面はイラストレーターtakaさんより。
takaさんの詳細情報はブログ画面にて。

外道と非道の違いとは、

 

辞書的にはほぼ同じ意味として捉えられると思いますが、

本来的な意味まで遡ってみると、

かなり解釈に議論の余地のある言葉であるというのが解ります。

 

「外道」というのは、本来仏教用語です。

 

悟りを得るための過程を「道」と言いますが、

仏教によってその悟りを得る道を「内道」と言い、

それ以外の教えのことを「外道」と言います。

 

逆に、

 

悟りに至る意思もないような場合は「非道」、

あるいは「無道」と言います。

 

つまり、

 

「外道」というのは、

 

たとえ道を踏み外していたとしても、

方向性さえ間違っていなければ

いずれ悟りに至れる、

という可能性を秘めているのに対して、

 

「非道」では、

その方向性すらない、

あるいは見失った状態である、

と解釈することが出来るわけです。

 

悟りというのを

国民生活の安全保障や、国民の豊かさ

と読み替えて、そこに至る「道」、

すなわち「人道」という視点で考えるならば、

 

BI(ベーシックインカム)やバラマキ政策というのは「外道」です。

 

本来の道からは踏み外しているけれども、

使い方を間違えなければ、

方向性さえ見失わなければ、

いずれ道の至る場所に辿り着けるかもしれない、

というようなものです。

 

本来の道、

つまり、

 

国民生活の安全保障、

すなわち食料(生産・供給)、エネルギー(供給)、防災、交通通信、医療、教育、治安、

そして豊かさを確保するという目標へと至る道

 

というものを考えるなら、

 

現在のように国民の多くが貧困化し、

食料や生活必需品の供給は何とか維持されていて、

国家の土台が崩壊寸前な状況であれば、

例え外道であっても

国民の多くを救う手段たりえます。

 

しかし、

 

この本来の目標を見失ってしまえば、

 

バラマキ政策は、途端に企業を経由した株ブタへの所得移転、

つまり現在の株ブタを肥え太らせ、

国民を搾取する株主至上主義的社会を、

より根深くさせることに繋がります。

 

この、

「方向性を見失わないこと」

というのが、意外と難しい。

 

「要は、方向性を見失わなければいいんだろ?」

 

とか簡単に考える人も多いかと思いますが、

 

それこそ何度も何度も何度も注意喚起していかなければ、

その方向性は、簡単に見失われてしまうことでしょう。

 

特に、現在少数派で、

これから人を増やしていかなければいけない、

政府や株ブタから国民が搾取される構造を打破しよう、

と考えている反緊縮派にとっては、

この注意喚起は極めて重要です。

 

何も知らない人に対して、

単にお金をばら撒けばいい、

というのは、

特に収入と将来に不安のある何も知らない人に対しては、

極めてシンプルで訴求力の高い“目標”に映ってしまうことでしょう。

 

しかし、

最終的に辿り着かなければいけない目標はそこではありません。

 

政府株ブタから国民が搾取される構造の打破。

 

これが出来なければ、

国民は一時息継ぎが出来たところで、

再び頭を抑えつけられて水の中に沈められることになるのは明白です。

 

それどころか、

より深い水底へと引きずり込まれてしまう可能性が極めて高いのです。

 

単なる過程に過ぎないはずのバラマキ政策、給付金政策を、

あたかも目標であるかのように喧伝している連中は、

ただでさえ道筋を踏み外そうとしているのに、

本来の「道」筋をも見失わせようとしている「非道」に分類されるべきでしょう。

 

財政支出によって実体経済に流れるお金は、

必ず国民多数派の貧困層から中間層に流れるわけではありません。

 

肝心な国民多数派に流さず、

富裕層にのみお金を流すという道筋もあることを忘れてはいけない。

 

せっかく財政出動で生み出されたお金が、

単に企業や株ブタへの所得移転にしかならない

 

ということも十分あり得る、

というか、

現在の経済構造ではそうなる可能性が極めて高いのです。

 

 

外道と非道の違いに関して説明不足な点があったので、若干修正させていただきました💧