信者とアンチに関する考察① | 門前小僧、習わぬ今日を読む

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反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
アイコン,ロゴ画面はイラストレーターtakaさんより。
takaさんの詳細情報はブログ画面にて。

最近、とあるブログのコメント欄でさせていただいたやり取りをする中で、いわゆる〇〇信者とは何だろう?と思うことがありました。


なので、今回は「信者」、およびその反対の立場である「アンチ」について、考察してみたいと思います。

 

〇〇信者
 

よく、掲示板やブログのコメント欄で「〇〇信者がー」とかいうやり取りを目にすることがあると思います。
解りやすい例でいうと安倍信者というのがそれですね。

 

「日本を取り戻す!」とか「機動的な財政出動!」とか調子のいいプロパガンダで政権を取りながら、実際は、

消費税を増税して日本経済をデフレのどん底まで突き落とし、
日韓合意で日本の英霊と日本国民を凌辱し、
自民が野党時代にあれだけ反対していたTPPに交渉参加、自ら率先して批准する姿勢を示した挙句にトランプ大統領誕生によって見事にひっくり返され、
移民政策を推進して日本国民を「底辺への競争」に駆り立てようと画策し、
挙句の果てに、森友疑獄事件で支持率絶賛下落中、さらに証人喚問で絶体絶命の安倍総理
ですが、

これだけの「失政」を続けてもなお、安倍首相を支持する人々がいます。
民主党政権の失政の後を、保守派または保守的な層の支持を受けて成立した安倍政権ですが、支持者の期待を裏切る政策を続け、今後もより一層裏切り続けることは明白であるにも関わらず、それでも安倍首相を支持する人々です。

 

政治家を支持するということ
 

私は政権発足当初、安倍首相を支持していました。
しかし、度重なる売国的政策とデフレを放置する財政方針から、今ではすっかり反安倍派です。

結局、政治家を支持するということは、「政策を支持する」、あるいは「公約を支持する」ことに他ならないわけです。
まともな民主主義国民ならば、失政を繰り返し、公約を反故にするような政治家は、支持を失い選挙で落とされて然るべきです。

 

信者の思考
 

すなわち信者とは、対象となる人物や団体、思想、概念、作品等々のそれ自体を偶像化し、対象となるものの行動や発言に関わらず、支持を変えないような人物のことを指します。

 

信者になると、信仰対象者が信者の価値観や意向に反するような行動や発言をしても、「何か理由があるに違いない」と、その行動や発言が信者本人や関係者の不利益になるような結果を生む、もしくは生んだとしても、信仰対象者の行動・発言を何らかの理由を付けて正当化してしまいます。


つまり
 

信仰対象=善
 

という等式が、常に思考の前提条件として存在するわけです。

 

思考停止と主体性の喪失
 

このときの信者の思考では、「信仰対象は正しい」ということが前提条件として固定されています。
論理的思考において、前提条件が固定されるということは、思考の選択に著しい制約、あるいは制限をもたらします。
いわゆる「思考停止」、あるいはそれに近い状態になってしまうのです。
能動的に前提を組み換え、異なる結論を導き出し、それぞれの結論を比較するような思考過程が失われ、、思考は受動的になり、主体的な思考が困難になります。


すなわち、主体性の喪失です。


つづく