稽留流産となり、搔爬手術の日程が決まってからの話です。


流産がわかった日からすぐ、旦那の実家で親族の集まりが予定されていました。


子宮を収縮させる薬の影響か、お腹が痛む事もありましたが、そこまでの痛みではなかったので、予定通り向かいました。



家に着いたタイミングで他の親族がいなかったので、旦那から義両親に流産した事を報告してもらいました。


義両親は何と言葉をかけて良いのかわからないといった感じで、何とも言えない反応でした。



特に何かを言って欲しい訳ではなかったですし、こういう状況だから今度しばらくは子どもについては触れないで欲しいという気持ちを込めていました。



そして他の親族も揃って昼過ぎから始まった食事会。

沢山の食事とお酒がありましたが、私はお酒は控えていました。


というのも、少し出血が多い様に感じていたからです。

生理2日目ぐらいの出血が続き、1時間おきぐらいにナプキンを交換しないと漏れてしまいそうでした。



18時頃になり、それなりに時間も経っていたのと、ずっと座りっぱなしでしんどかったのとお腹の痛みが増してきた事もあり、旦那にこっそりLINEで「お腹が痛くなってきた」と送り、そろそろ帰らないかと聞いてみましたが、酔っ払った旦那は無反応。

更に義両親の友人夫婦が参加して更に盛り上がる食事会。


暖かい飲み物をもらいながら痛みに耐え続けました。


そしてようやくお開きになったのが22時頃…


約8時間も飲んで騒いでの会でした。


この時私はベロベロに酔っ払った旦那に本気で苛立っていました。


そもそも流産がわかったばかりで体調の悪い嫁をこんなに長い時間連れ出すか?!

しかも自分は酔っ払ってベロベロ…

お腹が痛いと言っているにもかかわらず気遣ってくれないなんて…


今すぐにでも文句を言いたい所でしたが、帰り道が義両親の友人夫婦と同じ電車だったのでそれも出来ず…

しかも電車は混んでいて座れません。

腹痛と貧血で倒れそうになりますが、その横で酔ってフラフラの旦那とそれを微笑ましくみている義両親の友人夫婦。


怒りでどうにかなりそうでした。



約2時間後、無事に家に着いた時には腹痛のあまり動けなくなってしまいました。


ここでようやくことの重大さに気づいて正気に戻ってきた旦那。

倒れ込む私の背中をさすってきますが、そんな事で痛みはなくなりません。


このまま倒れて眠りたいけど血だらけのナプキンをつけっぱなしだし、翌日は仕事なので準備も必要だし…



なんだか苦しんでいるのが自分だけで、とても惨めな気持ちでした。



一緒に流産を悲しんでくれたとはいえ、やはり実際に自分の身体で起こった事ではありませんし、当事者意識はないのかもしれません。


旦那の声かけを無視してお風呂に入り、薬を飲んでその日は眠りました。