仕事の半休をもらい、病院へ向かいました。

旦那にはLINEでお腹が痛くて血っぽいものが出ているので病院へ向かうのを伝えました。



一度自宅に戻り準備をしてから病院へ…
午後の診察開始から少し時間が経っていたので、待合室には数名の方が既にいらっしゃいました。


待合室で順番を待ちながら、「ダメなんじゃないか」とか「なんでもないといいなー」とか考えが止まりませんでした。


周りにいるのはお腹の大きな妊婦さんばかり。
私はまだ膨らんでもいないお腹をおさえてここで何をしているのか…


30分程待って、名前が呼ばれました。

すぐに超音波での検査。

ズボンと下着を脱いでいつもの不安定な診察台へ。

機械が入る感覚があり、少しして先生が「お腹はいつ頃から痛みましたか?」と聞いてきたので「今日の午前中です。重いものを運んだりしてて…大丈夫か不安で。」と答えると、聞きたくなかった言葉が…




「心臓がとまってしまってますね。」





「前回からあまり大きさも変わっていないので、
その後早い段階で心臓がとまってしまったんでしょう。」







「あ…そうですか…」
そっかダメだったのか…
なんで私なんだろう…
何故か納得している自分もいました。
でも納得出来ない。

心臓って一度とまったらもうダメなんだっけ?

この子がもう一度生きられる道はない?










服を着て診察室に戻るように指示され、先生のところへ戻りました。


「今回は残念でしたね。」


「はい…」


そこからは用紙を見せられながら、その後についての話をされました。


既に赤ちゃんは死んでしまっており、今後の事を考えなくてはならない。


稽留流産という状態であり、このまま子宮の中が出てくるのを待つか、手術で子宮の中を出すかを決めて欲しい。




今、私がこの決断をこの場で一人でしなきゃいけないの?




その時の私にはあまりにも重すぎる決断を迫られ、急に心がざわざわとしてきました。



自然に出るのを待つ事を選ぶ人も、手術を選ぶ人もいると言われました。


子宮の中身を掻き出す掻把手術は日帰り入院で処置をする事になり、まれに子宮が傷つき今後の妊娠に影響を与える可能性もあるとの事。



これを聞いて自然に待った方が良いのではと思ったのですが、ちょうど年末だった事もあり、万が一年末年始の医療機関が休みの時に何かあっては困るという事で掻破手術をしてもらう事にしました。


病院の都合で、予約がとれたのは12月26日。



手術の際は必ず付き添いが必要なので出来ればご主人に来てもらってくださいと言われ、診察は終了しました。


「今回は残念でしたが、また次の時はね。またお待ちしています。」
と言われ診察室を出ました。


この日は細菌感染をおこさない為の薬と、子宮を収縮させて中身を絞り出す薬を処方されました。


待合室に戻り、会計までの待機時間。


周りの妊婦さん達の中で、自分がとても惨めな気がしていたたまれない気持ちでした。



旦那へLINEで「だめだったよ」「心臓とまってた」「ごめんね」と送ると、急にだめだったのだという実感が湧いて涙出そうに…


でも周りの妊婦さん達に囲まれた中で泣けば、「この人だめだったのかな」と憐まれるのではないかと思うと、なんだか悔しくて必死で涙を堪えました。


お会計で名前を呼ばれ、薬を受け取り病院を出ました。


病院を出て、心配してくれていた上司にも、稽留流産だった事をLINEで伝えました。

文字で打つ度に実感…




病院から離れて住宅街を歩いていると、堪えていた涙が溢れて、何年ぶりかと思うぐらい久しぶりに嗚咽を漏らしながら泣きました。




何がだめだったんだろう
何で私なんだろう
信じたくない




旦那は既読にすらならず、LINEにも携帯電話にも電話をかけましたが、繋がりません。


仕事中なので当たり前なのですが、この時の私には誰かが側にいて欲しかった。




駅に向かう途中の公園のベンチで一人座り込んでしばらくし、ようやく涙を止める事が出来ました。


そのまま帰宅して自宅に到着すると旦那からの返信。



「あぁ…」




とだけ。





この言葉の意味って?





もっと寄り添う言葉が欲しかった。

大丈夫?って言われたらそんな訳ないじゃんって言っちゃうだろうし、一人で受け止めて辛かったねって頑張ったねって言って欲しかった。



手術になる事、付き添いで来てもらわなくてはいけない事を伝えて、すぐに帰宅してもらう事になりました。