私はベンゾ一気断薬から突然

「犯罪」というものがとても

身近に感じられるようになった。

 

信じられないことに、意思に反し

万引きしそうになり慌てて店を

飛び出すわ、レジで現金を強奪

しそうになるわ、店に片っ端から

押し入り欲しくもないのに

ありったけの商品をかっさらいたく

なるわで、またこれら「強奪」

だけではなく、攻撃性やとても

道徳的とは言えない行動をしてしまう

などあり得ない言動を繰り返し、

まるで自分が犯罪者予備軍になって

しまったのではないかと恐れおののいて

いた。

 

世間が「不可解だ」「許せない」とバッシング

する犯罪者の心理が手に取るように分かる

ようになったし、私はたまたままだ実行

していないだけで、もし条件が揃えば

明日は我が身とさえ思っていた。

 

勿論ベンゾ前は考えもしないことだ。

 

構造的解離理論を学んでから、

不可解な言動はパーツによるもの

であることが次第に分かって来た。

 

犯罪とは理性(大脳新皮質・前頭前野)が

働いていない行為である。

 

理性が働いていれば、犯罪ほど割に

合わない行為をするはずがないし

脳がそんな愚かな司令を出すはずがない。

 

 

犯罪や不可解な行動は、このパーツで

説明がつく。

 

日常を送るパーツ(ANP、左脳前頭前野)が

シャットダウンし、断片化したEP(右脳扁桃体)が

ANPを乗っ取り(ブレンド化、シフト、

スィッチング)自律してバラバラに動く結果

として、問題となる行動が起きる。

 

特に厄介なのが愛着パーツと戦うパーツ

である。

 

愛着パーツには、これまた厄介な

「性愛」も含まれる。

 

日本の殺人事件の半数以上が親族間で

行われ、友人知人まで含めると

確か8割以上(殆ど)を占める。

 

(東洋経済ONLINEより引用)

 

親殺し、子殺しがよくニュースになって

騒がれるが、実は配偶者間で最も多く

起こっている。

 

親等数が下がれば下がるほど、それに

反比例して殺人事件は起こる。

 

親族間で起こる殺人は、時代、国を問わず

起こる。

(殺人統計における一般的パターンで、

「ヴェルッコの法則」と呼ばれているらしい)

 

これを構造的解離理論で考えてみたい。

 

愛着の相手から「共感の失敗」を受けると、

(理解して欲しいのに共感を得られなかった

場合)一転、「戦うパーツ」が活性化され

愛着の相手に失望や怒りの感情を持つ。

 

これは普通の人でも経験があるだろう。

 

例えば気持ちを分かってくれない夫や妻に

対し(一番分かって欲しい相手)、

腹を立てたり失望したり。

 

これはよくあること。

 

しかしだからと言って相手を攻撃したり

は普通しない。

(根には持つかも)

 

これが積もり積もると関係性が破綻したり、

はたまた「逃げられない」人が追い詰められて

「このままならやられてしまう」と

自分を護るために「戦うパーツ」が活性化され

相手を攻撃する、これが夫婦間の殺人事件に

実に多い。

(やるかやられるか状態)

 

世間では「DVの末路」等と表現されるが、

構造的解離理論のパーツで考えると

よくよく分かるのだ。

 

それがサバイバル、生き延びるための行動

だったのだと。(右脳全開)

 

元恋人間で起きるストーカー殺人事件も

同じことである。

 

パーツに乗っ取られて動物的反応をした

結果だ。

 

愛着の相手に執着し、思いを受け入れて

貰えないのなら(共感の失敗)「いっそ

殺してしまえ」と、戦うパーツが活性化

されて事件となる。

 

愛着と戦うパーツは表裏一体であり、

愛すればこそ憎たらしいとか愛憎とか

よく言われるのはこれである。

 

日本で最も多い刃傷沙汰は、愛着パーツが

戦うパーツに活性化され引き起こされる。

 

また自殺や自傷行為も、この「戦うパーツ」が

自分に向かった結果である。

 

「死にたかった」と言い他人を殺して

しまうのも、EPである「戦うパーツ」に

乗っ取られてしまった結果である。

(攻撃性が内外に向かう、もう制御不能)

 

私は自分の体験からも、EPの中で

愛着パーツと戦うパーツが最も厄介であり、

危険行為(自暴自棄、自己破壊、破滅行為)

をしてしまう最要注意パーツだと

考えている。

 

お気づきの通り、この愛着パーツと

戦うパーツが際立った状態が、

DSMで言う「境界性パーソナリティ障害」

と診断されるもの。

 

構造的解離理論の一症状・状態に

過ぎないのに、これを一生のレッテルとして

貼り付けるのがおかしいということが

分かるだろう。

 

事件をこの構造的解離、パーツ理論で

見ると実によく見えて来る。

 

理性ある普通の人からすると「不可解」

以外の何物でもない事件が、何故に理性

ある行動が取れなかったのかの理由が

どこにあるかと言うことも含め。

 

言っておくが、逆境体験者(構造的解離

を起こしてしまった人)が皆が皆

犯罪者になるわけではない。

 

運悪く条件が重なってしまった人であり、

殆どの人は自分に苦しみ、刺激を受けない

ように引き籠もったりして自分と社会を

護っている。

 

私は冒頭に書いたように、犯罪者みたいに

なった自分に絶望しまた恐怖を覚えていた。

 

いつかまたタガが外れてしまうのでは

ないかと。

 

しかし構造的解離理論とパーツ理論を

学んだことで、何故そうなるのか、

なってしまうのかが理論として

理解出来たので、安心に繋がっている。

 

そしてどうすればいいのか、

どうやれば厄介なパーツを活性化せずに

すむのかのトレーニング(対策)にも

取り組むようになった。

 

(マインドフルネス

パーツセラピー)

 

改めて思うのは、精神化に通い

2~3分診療の薬物療法をダラダラ

何十年も受け続けているだけでは

一向に改善しないし、薬物の影響で

私のように自己が断片化したり

パーツが活性化されてかえって

犯罪に繋がってしまうことである。

 

自殺、事件、犯罪の背景に精神薬が

存在するのは、上記の理由から。

 

死にたくないのに(ANP=日常の自己)

死にそうになる(EP=戦うパーツ)のも、

パーツで説明がつく。

 

精神薬で死にたくないのに死んでしまった

人達は実に多い。

 

パーツが活性化されるのだ。

 

(私はベンゾ離脱で構造的解離を起こし、

抗うつ薬でパーツが活性化され火だるまに

なると分析している)

 

自分の悩ましい傾向はどこから来るのか、

それは何によるものなのか、どういった

論理で惹起されるのか、ではどうすれば

いいのかということを論理的に理解して

いくと、自分への安心感にも繋がる

人のこともよく見えるようになる。

 

犯罪や事件、人の不可解な行動も。

 

親族間の殺人(未遂も含め)事件が

この世から消えてなくなることはない。

 

人間は哺乳類の一種であり、潜在的意識

である愛着パーツや戦うパーツからは

逃げられない。

 

誰にでも備わっている。

(プリインストールされている)

 

前頭前野が機能していればそんな割に

合わないことはしないのだが、

引き金(トリガー)を引かれると

どうなるか分からないのも人間である。

 

親族間の犯罪者は、愛着に始まり(動機)

戦い(犯行)、逃げて(逃亡)、凍り付いて

(逮捕時)、服従(取り調べ)する。

 

それは正にサバイバル。

 

CA時代、護送を担当した親族間(妻、子供)

の殺人容疑者は、正にそんな人だった。

 

犯罪者の背景には何かがあると

言われている。

 

逆境的な体験や冷遇されていた環境が

ある。

 

その結果パーツが活性化して本人を

乗っ取り、犯行に及んでいる。

 

「まさかあの人が・・・」の背景は、

追い込まれた末のサバイバルだったのだ。

 

しかしだからと言って、法が免罪は

しない。

 

罪は罪として償わなければならない。

 

また被害者の存在もある。

 

精神薬で起こされる事件は同情の

余地があり、情状酌量の対象であると

個人的には思う。

 

パーツに乗っ取られればもう制御不能。

 

精神医療に構造的解離理論とパーツ理論

がもっと浸透して欲しい。

 

精神科医達は困るだろうが。

 

薬は効かない、効果がない、逆に悪化

するという論理なのだから。

 

(精神薬を服用することは、「逃げる

パーツ」の活性化と表現されている。

嗜癖の一つであり、アルコールや違法薬物

と同等扱いである)