「一体私の脳に何が起こったのか」を

定期的にまたしつこく書いているが、

最近は確信いや結論に近いと感じている。

 

以前、アルコール依存症(同じGABA-A

受容体に作用する同じ鎮静剤)での

図解のシーソー。

 

 

ベンゾを一気断薬、急減薬すると

これと全く同じ状況になる。

 

その後我慢し過ぎるとどうなるか・・・

 

 

AMED(国立研究開発法人

日本医療研究開発機構のPTSD患者の

脳の研究から引用)

 

 

研究によると、不安や恐怖、本能(欲望)

を発する扁桃体を抑えこむのは内側前頭前野

(理性)であり、また内側前頭前野も

扁桃体から抑え込まれている、互いが互いを

押さえ込んでせめぎ合っていることが

研究で明らかとなっている。

 

 

理性(内側前頭前野)と本能(扁桃体)が

バランスよく互いに抑え抑え込まれている

関係が正常であり、バランスが崩れると

不調になる。

 

理性だけが抑え込んでいるのではなく、

互いに抑え込んでいる関係性がポイント。

 

シーソーの図にも通じる。

 

私の場合、極端に弱くなったGABAで

更に暴走する扁桃体を抑え込んだ結果、

今度は扁桃体が抑え込もうとしたのだろう、

抑え込まれることを嫌って。

 

危機的状況と勘違い?し(薬理作用的に

作り出された脳内環境、危機は何一つ

迫っていないのに)、扁桃体の本能が

「えらいこっちゃ」と理性に反撃?をした。

 

その後私に現れた病状、

パニック発作、境界性人格障害病状、解離、

気分障害、発狂、双極性病状、ADHD病状、

これらは「理性」が機能しなくなった

病状と言える。

 

理性がない理性が・・・

 

ブレーキがないブレーキが・・・

 

そんな感じだった。

 

理性があればとてもじゃないが、

現れない病状。

 

後遺症が残ってしまい、「理性がどこかに

いった」「かすかな理性は感じるが

発揮出来ない」「理性とズレている」と

表現をよくするようになった。

 

やられたのは理性機能。

 

出来ていたことが出来なくなり、

遂行機能もダメになった。

 

理性と本能(扁桃体)の神経が

がっつり繋がって連携しない気持ち

悪さがある。

 

それがシーソーの損傷の正体。

 

理性の損傷。

 

ベンゾ離脱症候群で、人格変容を

感じている人は多い。

 

自殺や犯罪、そこまで行かなくても

感情をコントロール出来なくなった

と嘆く人は多い。

 

理性がダメになる、それがベンゾ

離脱症状の暴走のつけ、後遺症。

(勿論全員ではない)

 

人間にとって理性がダメになるとは

何という悲劇だろう。

 

自分が自分でなくなる恐怖と

絶望と悲しみ。

 

「急に中止すると理性がダメに

なるかもしれないので、絶対に

急に止めないで下さい」と医師と

薬剤師からは一言欲しかった。

 

読んで来た本にも「共感、愛、

心の論理」と呼ばれているのは

内側前頭前野とあった。

 

つまり高等感情、人格そのもの。

 

生き残る(サバイブ)するために、

人格を捨てて人間性を捨てて

理性を捨てて

(そんなものはあの時邪魔、

それどころではない)

残った残骸脳がこれか・・・。

 

私は自分の脳をそして生き残った

ことを、未だどう受け止めれば

いいのか分からずにいる。

 

理性を捨ててまで生き残りたく

なかったと、自分の脳に文句の

一つでも言いたいのが正直なところ。

 

しかし振り返ってみると、

あの時の生への執着は凄まじかった。

 

息が出来ないほど苦しいものは

なかったし、前日までは普通だったのに

一転脳内爆発した日から眼を閉じたら

食べられそうでまるで小動物時代の

DNAが悲鳴を上げている恐ろしい夜。

 

別に危機でも何でもないのに、

薬理作用で脳内にケミカルに作られた

生死を掛けた闘い。

 

がめつく生き残ったものの、

理性をやられた残骸脳は

まるで人間の衣を着た動物。

 

それがストレスを起因とした

各種精神疾患と発症機序は同じ

なのだそうだ。

 

理性・・・この言葉を聞く度、

あの時から天に唾を

吐くような心境になる。