前回の「こころの行政相談会」

ブログに頂いたコメントで、

考えさせられることがあった。

 

「誰にでも悩みはある」

 

そうなのだ。

 

当たり前のことなのだが、

悩みは誰にでもある。

 

しかしどうも悩みがあっては

ならない、悩みはない方が

いい、悩んでいるくらいなら

(精神科医に)相談しましょう!

の風潮は恐ろしいと感じた。

 

これが20年前製薬会社が

繰り広げた「うつは心の風邪」

キャンペーンの本質であった。

 

毎週のように大手新聞に

一面の広告。

 

 

これを毎週デカデカと見せられたら、

充分なサブミマル効果になる。

 

「悩んでないで、サッサと薬に

逃げましょう!」

 

「効いたよね、早めのパキシル」

 

そんな風に言っているように感じた。

 

本で読んだが、日本人とは

本来少し憂鬱的なものを良しと

する民族であるので、

果たして抗うつ薬が受け入れられるか

が、海外製薬会社の課題だった

らしい。

 

陰の文化。わびさびの美意識。

 

プロザックの会社は、その理由から

日本での販売を見送った。

 

しかしパキシルの会社は、

日本人の価値観を変える

キャンペーンを展開することで

販売を成功させることに打って出た。

 

西洋人(特にアメリカ人)の如く、

「活力的でポジティブであるべき」

「悩みなどあってはならない」

 

こういった姿が理想なのだと、

これから少しでもはみ出るようで

あれば受診して薬を飲んだ方が

いいと刷り込むことが「うつは

心の風邪」キャンペーンの正体

だった。

 

今振り返れば、ポジティブ教?

とやらのカルト的洗脳である。

(実際、自己啓発系に多い)

 

しかし正常とは「抑うつポジション」

であり、どこか憂鬱。

 

自分を考えると、思春期から急に

内省的になり、哲学的?な

ことを考えるようになった。

 

脳の前頭前野が急激に発達

したのである。

 

そして正常発達を遂げ、大人

になった。

 

正常発達者は、いつもどこか

抑うつ的で、はぁ~っとため息を

ついているのである。

 

上記の広告の木の実ナナ氏の

ようなはち切れんばかりの

笑顔はしていない。

 

いつもポジティブで悩みなど

ないような状態こそ異常であり、

それを万能感と言う。

 

万能感とは思春期前の子供や

軽躁、躁状態の人に見られる。

(幼児的万能感)

 

抑うつ、つまりブレーキが未熟で、

癇癪を起こしたり、自分勝手で

本能的な行動をする。

 

しかし抗うつ薬を飲めば、

この万能感になれると言う。

 

そういうキャンペーンだったのだ。

 

いつも悩みを抱えている

抑うつ状態の正常者から、

悩みなど微塵もない

ポジティブな万能感に

満ち溢れ、異常なテンション者に

なりましょうという薬だった。

 

競争主義の社会に生きる

アメリカ人には、この抗うつ薬は

ピッタリだった。

 

アメリカではポジティブで

なければならない。

 

悩んでいる姿など見せられない。

 

悩み=悪いこと。

 

しかし果たしてそうだろうか?

 

生きているとは即ち悩むと

いうことである。

 

悩みがない=万能感であるので、

こちらが異常なのである。

 

日本も自由主義が始まり、

競争社会に突入し、

見事に製薬会社のキャンペーンが

ハマった。

 

社会全体も軽躁化した。

 

エネルギッシュでテンションが

高くなった。

 

恐ろしいなと思うのは、

精神薬のキャンペーンとは、

社会の価値観を変えてしまう

ということでもある。

 

悩んで憂鬱であるのは悪いこと、

それは薬を飲んで治療する

病気であり、「ポジティブで

いなければならない」という

ある種の脅迫観念を植え付ける。

 

「今の自分はおかしいのではないか、

病気なのではないか」と、本来は

いたって正常なのに、それに

迷いや付け入る隙を与えてしまう。

 

抑うつ的であるということは、

ブレーキが効いている証拠なので

正常であるのに。

 

悩みはいけないことではないし、

排除すべきものでもないし、

悩むことによって人間的成長が

遂げられるものである。

 

悩みなくして成長などない。

 

そういった昔からの価値観が、

あのキャンペーン以来吹っ飛んで

しまったような気がする。

 

それが「精神科医に悩みを

相談しませんか」行政相談会

キャンペーンから感じられた。

 

悩みがあってはいけないのか―――

 

もっと言おう。

 

うつであってはならないのか…

 

万能感溢れる人々ばかりが

溢れる社会の方が、余程

怖いと思うのだが。