泉谷しげると言えば、

若い人は俳優やタレントと

思っているかもしれないが、

実はミュージシャンである。

 

今日はこの人の曲。

 

 

街はぱれえど (1972年)

 

作詞:泉谷しげる

作曲:泉谷しげる

 

この人の歌詞は、いつも

どこかひねくれている。

 

それが味。

 

この曲は特にその特徴が

現れている。

 

外を見てみろよ アベックが通るぜ

いい服着てどこかにいくんだろう

俺は着た切りスズメ

今日も恐らく残業だろうな

 

俺の目から見たらぱれえどさ

みんなきれいに見えらぁ

金回りもいいみたい

要するにひがんでいるんだが

 

「要するにひがんでいるんだが」

 

これが言いたいのである。

 

「ひがんでいる」と素直に認めている

ところがいい。

 

「ひがみを認めなくない!」と

違う表現になる人もいるから。

(負けじと自慢や嫌味、当てこすり)

 

私もベンゾであらゆることが

滅茶苦茶になってから、

随分とひがみっぽくなった。

 

メディアでGWや旅行や帰省で

楽しそうにしている映像を放映

されると、嫌な気持ちになる。

 

きっとそれはひがみ。

 

しかし無理もない。

 

ひがみたくもなる。

 

責任を被害者である私に

擦り付けられている状態は

到底受け入れられるものでは

ない。

 

責任の所在が曖昧にされ、

明確になっていない。

 

一体問題の責任の所在は

どこにあるのか、明確に

して貰いたいと思う。

 

被害者の人達の名誉の回復

もなされなければならないし、

責任を取るべき者達は

しっかりと取って貰いたいと

思う。

 

ひがみが妬み、そして憎悪、

更に殺意に行かないとも

限らない。

(そうやって事件が起きる)

 

旧統一教会を巡る事件も

そうである。

 

「何で自分だけこんな目に

遭わなければならないのか」

という、にぎやかに楽しく

やっている社会の風景は、

きっと犯人には「ぱれえど」

に映っていたに違いない。

 

昨夜はお盆の花火大会の

音が、ドンバチドンバチと

聞こえてきた。

 

街はぱれえど…

 

しかし私はそんな気分には

到底なれない。

 

楽しい社会のイベントや

季節の風物詩からは

極力避けて通りたい。

 

そんなことはなかったのに…

 

浴衣を着て、隅田川の花火大会に

行ったこともあった。

 

子供の頃は楽しみだった花火大会。

 

今は私を悲しくさせる風物詩の一つ。

 

そう言えば泉谷しげる氏で

想い出した話がある。

 

岡林信康氏とのライヴで

泉谷氏は、自分のギターの

テクニックに行き詰って?

俳優に転じたと笑いを取って

いた。

 

フォークシンガーはMCが

上手い人達が多い。

 

こんな心の寂しさやひねくれ感を

歌ってくれる泉谷氏は貴重だ。

 

歌を聴くことによって、歌が

自分の心を代弁してくれている

と慰められている人達は

結構いるのではないか。

 

「街はぱれえど」を聴く度

そんなことを思ったりする。

 

特に格差が広がり、「豊かさとは

何か」が分からなくなってしまった

現代においては。

 

私もベンゾ以後、「ぱれえど」を

楽しむ側からそれをひがみ根性で

見る側に変わってしまったようだ。

 

この曲のように…。