一般病棟?に移った私は、

早速病棟内の見学を始めた。

 

ランキングを頼りに、各ブログ

(病室)にお邪魔させて頂いてる。

 

1年以上どっぷりメンタルヘルス

界隈漬けだった私にとって、

新鮮さと驚きの連続である。

 

まず、ランキング内の殆ど?が

癌(ガン)闘病者であり、腫瘍、

抗がん剤、生存率、ステージ、

〇〇療法、転移、移植、再発、

ホスピス、死など独特の言葉に

溢れている。

 

精神医療や精神薬に関しては

相当オタク?になった私も、

こちらに関してはズブのど素人。

 

知らない言葉だらけ。

 

当たり前なのだが、癌とは

ほぼ全ての身体の部位に

発生するもので(心臓と小腸

以外)、脳腫瘍~舌癌~

乳癌~白血病~腎臓癌~

と、脳のことばかり考えて

いた私にとって、身体とは

何かという当たり前のことを

思い出させてくれた。

 

それ程脳のことが頭から

離れなかった。

 

そして今私は、脳以外の

部位を考える必要のない

身体であることが、もしかして

有難いことなのでは?と

思ったりもした。

 

ベンゾ離脱後遺症の苦しみから、

もう癌だと宣告され余命3年と

宣告されたらどれだけ楽かと

思ったことも数えきれない

程ある。

 

それこそ「死んだ方がマシ」だと。

 

しかし、各病室(各ブログ)を

巡らせて頂く内に、癌は嫌だな、

癌にはなりたくない、癌で死にたく

ない、私はまだ生きたい、

きっと生きたいと思ってるんだ!

と気づき始めた。

 

ブログを書き始めた当初は、

遺書代わりだったのに…

 

他にも新鮮だったことは、

 

〇医師への信頼

 

メンタル界隈は、精神科医への

不満が充満しているのに対し、

こちらは感謝の心で溢れていた

 

中には、「余命が外れた」という

独特の不満もあった

 

〇リスクの説明

 

癌治療とは選択の連続である。

薬、療法、手術、装置、あらゆることには

リスクがある。

 

手術をした場合の生存率、

せずに温存した場合の生存率など

選択の連続。

 

ECMO(エクモ)の装置にしても、

付けなければ死亡の可能性大、

付けても逆にそれで死亡の可能性あり、

でどうするかを迫られ、

究極の選択を家族はしなければ

ならない。

 

元々医療行為とはリスクのある

ものである。

 

だから説明がしっかりとなされるのが

原則であり、その上で患者側が

意思決定するのが権利であり

また義務でもある。

 

ところが精神医療(精神薬)に

目を向けてみると、説明は

なされず、逆に騙くらかして

飲ませようとする始末だ。

 

特にベンゾなどは、離脱症状や

急減薬の危険性をしっかりと

説明しなければならないのは、

普通の感覚。

 

すっかり忘れていた。

 

こちらの病棟では、精神病棟と

違い、「リスクの説明」は常識

だった。

 

〇誰でも平等に癌

 

子供から高齢者、医師も

芸能人も、誰でも癌に見舞われる

可能性がある。

 

癌の闘病者は多様であり、

ブロガーも実に多様。

 

しかしメンタル界隈は、

その殆どが一般人で

個人の特定を「恐れ」て

いる感が否めない。

 

精神疾患は、まだまだ

偏見がありオープンに

し辛い空気があるが、

今や癌は「治る?」

時代でもあり、オープンに

語られる雰囲気があると

思った。

 

〇カルト・オカルトの匂いなし

 

本来当たり前がとても新鮮に感じる。

何故にメンタル界隈は

カルト・オカルト化するのだろうか。

 

そして精神病棟(メンタル界隈)

に戻ってみた。

 

…「何が不満なんだ!」と、つい

呟いてしまった。

 

メンタル疾患はそれはそれで

大変なのだが、それで死ぬわけ

ではないのだから。

 

「勿体無い!」と。

 

とても素敵なブログ(病室)を見つけた。

 

こちらに引っ越してきて、最初に

フォローさせて頂いた。

 

いいねは3800以上。

 

息子さんが白血病で亡くなる

その瞬間を、母親として

書かれたものである。

 

こんなに感動出来るブログが

あるんだ…と新鮮だった。

 

病気ブログでも、感動する

ブログはある。

 

私は久しくそんなものに

触れていなかった。

 

狂気や暴力、脅しやハラスメント

のブログばかりに明け暮れて

いたから。

 

病棟を引っ越して来て

本当によかったと思った。