人はどうやって人格を形成していくのか

という本を読んで、改めて母への想いを

強くしている。

 

精神分析にはあらゆる学派があるが、

どれも養育者(特に母)がどう関わってきたか

という発達理論は不可欠である。

 

私は本を読みながら、遥か昔の記憶が

呼び起された感覚に浸った。

 

生まれたばかりの赤ちゃんはエス(本能)

だけの分裂状態。

 

そして母乳を与えられ、オムツを交換して

貰ったり抱っこされたりして、脳を発達

させていく。

 

お腹が空いた、オムツが濡れて気持ち悪い、

何か不快だ、怖い(赤ちゃんは恐怖を感じ

易い)と泣き叫んで知らせ、母のケアを受ける。

 

私は母乳で育ったらしい。

 

そして布オムツの時代で、洗濯も大変だったと

聞いた。

 

養女に行った姉の生まれ変わりとしてこの世に

誕生した私は、兄や父、ご近所の方々からも

可愛がられたそうだ。

 

それを裏付ける写真が多数残っている。

 

オムツが外れトイレトレーニングが始まると、

自分をコントロールすることを学習していくらしい。

 

確かにそうだったかもしれない。

 

古い怖いトイレが嫌で、「オムツに戻る!」と

駄々を捏ねた記憶がある。

 

しかし母は聞いてくれず、そのお陰で

トイレがいつしか出来るようになり、難問を

クリアし自信がついた記憶が微かにある。

 

自分の気持ちとは反対の態度をとり

自分を守ることを反動形成というのだが、

(例えば好きな子をいじめる男の子とか)

これも母親との関係性で身に付けるのだそうだ。

 

私はとりわけこの傾向が強かった。

 

母に甘えたくて抱き着いたら払いのけられた。

 

それで「もう二度と人には甘えない!」と

決めた。

 

それから私は自分の気持ちを見せず、敢えて

反対の態度を取るようになったのかもしれない。

 

本当は寒いのに「寒いでしょ?」と聞かれても

「寒くない!」でも手は真っ赤にしている、で

「monちゃんは意地が強い!」と評判になったらしい。

 

好きな男の人の前で自分の気持ちを悟られたく

ないから、わざとそっけない態度を取るのは

私の上等手段だった。

 

素直に甘えられる女性が羨ましかったが、

「私には出来ない」と思っていた。

(ベンゾ断薬でこれがまたやる女に

なったのだから酷い話)

 

今から半世紀前の時代は、電化製品も

ない時代。

 

大家族で母は朝から晩まで一日中家事に

追われていた。

 

母はただ単に疲れていたか忙しかったのだろう。

 

子供は成長過程で乗り越えていかなければ

ならないハードルがいくつもある。

 

そのプロセスを通しall good all badの

二分割の世界から現実に融合していく

統合人格を形成していく。

 

そして人格を形成する時期、チャンスは

この時しかない。

 

この時期を逃せば、もう手遅れになる。

 

私は母からの適切で深い愛情を与えられ

育てられたのだと改めて思う。

 

母は特別「発達心理学」とかそういった

知識を持っていた訳ではない。

 

母の生まれ持った優しさや愛、人間性やまた

生物としての本能や母性で私達子供を育てて

くれた。

 

4歳で突然養女に行った姉についてよく母は、

「人間の子供に手がかかるのは4歳まで。

4歳になれば親のいうことをきいて自分でする。

 

私はこんなに手を掛けて育てたのに、何で

子供を手放さなければならないのか。あっちは

楽なだけだ」と言っていた。

 

実は人格のひな型(統合人格、エス、自我、

超自我)は4歳くらいでほぼ出来上がる

ことを知った。

 

子育てをしてきた母の体感だったのかと

改めて驚愕した。

 

また私が自分の年齢感覚を4~5歳と表現する

のもこの根拠だろうと確信した。

 

平常はギリギリ何とかひな型に留まり、

何かあると制御不能の分裂状態になるレベル

であることを。

 

私は子供がいないので、子育てをしたことがない。

 

だから人がどうやって育っていくのかは、正直

分からないところがある。

 

しかし私自身の遠い記憶を思い出してみても、

母親の存在の大きさ、母親が如何に人格形成に

関与してきたか、くれたか、その重みを

ひしひしと感じている。

 

と同時に深い哀しみと激しい憤りにも

包まれた。

 

母が築いてくれた私の人格を、

何で崩壊させられたのか!と。

 

その重みと罪を、処方した精神科医や

製薬会社、そして国に対しぶつけたい

と心から思った。

 

「こんなことが許されるはずがない」と。

 

今母は寝たきりになり、もう私を育ててくれた

お礼を伝えることは出来ない。

 

「ありがとう」ともう気持ちを愛を伝える

ことが出来ない。

 

私は母に「申し訳ない」とは思わない。

 

それは私が思うことではない。

 

何故なら私も被害者だからだ。

 

「申し訳ない」と謝らなければならない者は、

別にいる。

 

頭がおかしくなってから、母を母とも思わない

時期が長く続いた。

(これは分裂人格になると、アタッチメント

障害と同様母に愛着が感じられなくなる)

 

しかし改めて発達理論を学ぶと、親の有難さ、

母親の役割の大きさ、そして母が如何に適切で

深い愛情を私に与えてくれたか―――を

こんなどうしようもない頭になっても感じることが出来る。

 

そして私は母のお陰で、正常に発達したことも

理解出来る。

 

母の偉大さを改めて想いながら、現実の余りの

残酷さに言葉を失い続けている。

 

これは一体何なのか、私達母子に起きたことは

何なのかと―――