大それたタイトルで恐縮だが、
そもそも医師免許とは何か、
この「免許」とは何の行為に対する
免許なのかと考えざるを得ない。
結論から言うと、この免許とは、
「人を殺してもお咎めがない」免許
だということである。
人を殺しても合法、裁判にもっていっても
無罪、人を殺しても許される人達が
医師なのである。
「人殺しの免許」だということである。
病院に行って医療行為や処方箋で
殺されかけたり、また殺されても
本来人を殺してもいい免許証を持っている
人達なのだから、つべこべ言うこと
自体がナンセンスだということだ。
だから私も、こうやってブログで
つべこべ言ってはならないのである。
病院に行く時は、人殺しの免許を持っている
人のところに行く、何かあっても一切文句は
言えないと覚悟して行かなければならないのだ。
手術の同意書も、保身同意書にサインするような
もので、「何かあっても責任はありません」を
認めないと、手術してもらえない。
そう易々と気軽になど行けないところ、それが
病院なのである。
私の遠縁で、医者に殺された人がいる。
ただの健康診断での医療行為で、
その検査のやり方が悪く、帰らぬ人となった。
遺族は「訴える!裁判を起こす!」と騒ぎまくったが、
「訴えても無理!大変な道のり。医者は
人殺しの免許を持っているのだから」
と周囲に諭されまくり、泣き寝入りしたという。
私の祖母も医者に殺された。
ただの胃潰瘍だったのに、1日の点滴数4本ではなく、
たったの1本で済まされ、そして衰弱死。
母は泣き狂ったが、訴えたところで生き返る訳でもなく、
涙を飲んで泣き寝入りした。
身内が医療過誤により殺された人もいらっしゃるのでは
ないかと推察する。
一方では、夫が医者という知人たちもいる。
聞けば激務な仕事だと同情する反面、本音も見え隠れする。
その内の一人で、裁判を起こされ逮捕された人がいる。
手術のミスで子供が死亡し、親が裁判を起こした。
逮捕時は大々的にニュースになった。
留置場に差し入れを届けた時、「親戚のお菓子屋さんで
一緒に働こう」と言い合ったそうだ。
有罪になれば、もう医者は出来ないと覚悟を決めたそうだ。
裁判に勝ち抜くための弁護士費用の捻出も、大変だったろうと
思う。
豪華マンションから引っ越し、田舎の住所に変わっていた。
一審では有罪、そして二審では無罪となり、確定した。
お菓子屋さんで働くことなく、また別の病院で医者を続けている。
しかしこういったケースは非常に稀である。
患者は訴えたくても司法の壁で訴えられない事案が殆どである。
逮捕された医師のところにも、全国の医師から多くの声が集まり、
「こんなんで一々訴えられていたら、医者なんてやってられない」
という意見が、医者達のコンセンサスのようだ。
私も当時は全く同感だった。
おこがましいが、私が医者だったとして、
薬の副作用に一々反応して訴えられていたら、
医者なんてやっていられないと思う。
怖いから、ビタミン剤しか出せなくなる。
思い切ってメジャーだのベンゾだのヤバい薬を
ジャンジャン出せるのは、「何があっても訴えられない、
裁判になっても護られる」という安心感、法律的保護が
あってのことだ。
それがあれば、私も思い切って出せる。
病院に行く、医療行為を受けるというのは、
何かあった時のリスクも引き受けてのこと、
100%安全な医療行為はあり得ないということを
患者側は認識していないといけない、
それが成熟した関係性であるということだ。
いいとこだけ取ろうなんて、虫が良すぎる話だ。
と、私が医者なら患者側に持ってもらいたいものだ。
話を戻すと医師免許とは、人殺しの免許であり、
例え殺されても文句など言ってはいけない。
国から免状を渡されているのだから。
そう考えれば、あらゆる理不尽なことも収めて
いかないといけない。
「医者は聖人君主でも何でもない、
合法的な人殺しの免許を持っている」ということは、
被害に遭った今なら、痛いほど理解出来るのだが。
私は安心していた。
街の怪しいヤクの売人と接触したわけではない。
まさか医師から恐ろしい薬物を処方されてしまうとは。
医師免許とは「人殺しの免許」であり、
どんな危険な薬物でも処方出来る免許であることを。
医師が出せば、全て「薬」になってしまうことを。
私は知らなかった。ベンゾを服用するまでは。