昨日のニューヨーク・タイムズ紙。
“Facing the fact of my death”
この衝撃的なタイトルに目が止まりました。
「どうせいつか死ぬのなら生まれて来なければ良かった」という言葉で母親を悲しませたというライター。人間は、何のために生きるのか。こんな答えのない問いを教え子たちとディスカッションする時間こそが意味のあるのではないかという問いかけに、娘にも同じことを聞いてみました。
「人間は、何のために生きるのかな。」
全く考える素振りも見せず、即座にこう返す娘。
「ご褒美と修行を両方味わうためじゃない!?」
日々のいいことは、ご褒美。
そうでないことは、修行。
だから、どちらも必要だと言うのが小3の今の彼女の考えのようです。
46億年という地球史の中で、この時代にこのタイミングで生を受けたこと。
これには大きな意味があるのだと感じている娘。
早い段階で人間にはそれぞれ役割があるということを認識し出したのは、きっとコスミック教育があったからなのかもしれません。彼女の肯定感はこんな部分から来ているのでしょう。
「毎日をただ過ごすのではなく、有益に過ごしたい。」
たまたま同じ記事を読んでいた上司の言葉。
死について考えるのは、どこかタブーな感じがしていましたが、実は過去の自分と未来の自分を照らし合わせる価値ある時間だと実感しました。
ご褒美と修業。
この2つの言葉で今日もまた頑張れそうです。
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