今日は娘と久しぶりのデート♡
いつまで経っても準備ができない母に待ちくたびれた彼女。
コートを着て、帽子をかぶったまま、お待ちです(笑)。
カフェでお茶をいただきながら、学校のこと、最近の新聞にあったこと、幼稚園時代のことなど。
色々な話をしました。
そんな中、こんなことを言う彼女。
「ママ、死ぬと亡くなるって言葉あるでしょ。亡くなるって言葉は、ちょっと語彙と感情の間に距離がある気がするの。この間、おじいちゃんのお友達が亡くなった時、おじいちゃんは、「亡くなった」って言葉じゃなくて「死んだ」って言葉を使ったじゃない?死ぬって言葉の方が、自分の感情に忠実な気がするんだけれど、どう思う?」
モンテッソーリ教育を学び始めたとき、「抽象に向かう」という表現を何度も聞きましたが、まさに9歳という年齢は抽象的な思考に向かい始めている時なのだと感じました。この時期の子どもは、大人には想像もつかないようなことを考えていると、日頃から驚かされることが多いのですが、それが顕著となってきた最近。
バイリンガル育児で育っている彼女は、特に母語においては、そのような自分の感情と言葉の結びつきについて、じっくりと考えるようなことがしばしばあります。英語や韓国語という言語が彼女の生活の中に入ってきているからこそ、母語を大事にする傾向にある娘。やはり、自分が自分自身でいられるのも、母語なのでしょう。
国語という教科の枠組みを超えた言語が、現在の彼女の敏感期なのかもしれません。
こんな時、どんな風にその敏感期を支えればいいんだろう。
考えることが、また一つリストに加わった母です^^;
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