すべての教育の基礎は感覚にあり!? | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

母がモンテッソーリ教師養成講座を受講し始めたころ、最も苦手意識を持っていたのが、「感覚教育」でした。「言語教育」「算数教育」は分かるけど、感覚の教育って一体…!?
 
耳慣れない言葉に、どう感覚教育を取り入れていくか。
いつも悩んでいた気がします。
 
そんな悩んでいた母とは対照的に、娘は感覚教具が好きでした。特に彼女のお気に入りだったのが『色板』。グラデーションを順序付けていく作業がお気に入りだった当時。今思うと、「大小、長短、軽重、明暗、濃淡」などといった概念を、教具と触れ合いながら、自分のモノにしていったそんな時期だったのだと思います。
 
ペアリング(対にする)、グレーディング(順番に並べる)、ソーティング(分類する)というこれらの作業を「知性の働き」と呼んだモンテッソーリ女史。今思うと、小学校以降の知的教育分野においても、これらが基礎となっていることを日々感じずにはいられません。
 
色板という具体物の出番はなくなっても、娘の日常のちょっとした場面に登場するこれらの行為(笑)。手先の巧緻性、目と手の協応動作など、幼児期に意識した部分が、小学生となっても引き継がれています。手先をコントロールしながら、美しいものを生み出すことが大好きな彼女。幼児期の十分な経験が、今の彼女の「好き」に繋げてくれています。
 
 
幼児期ほど、感覚に訴えて何かを学ぶという形は取らなくても、9歳となった今でも、感覚を通じて学ぶ基盤は彼女の中で生きている様子。
 
当時はよく分からなかった
 
「感覚教育はすべての教育の基礎である」
 
と云うモンテッソーリ女史の言葉の意味がやっとすとんと落ちるようになってきた、そんな時期です。
 

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