モンテッソーリ・感覚教育「6歳児による幾何学立体のプレゼンテーション」 | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

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中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

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娘がこの「幾何学立体」に初めて触れたのは3歳の頃だったでしょうか。当時8ヶ月間だけお世話になった子どもの家。そこでの出会いが最初だったと思います。モンテッソーリ教育において感覚教育は非常に大切だと分かりつつも、なかなか家庭では上手く導くことが出来なかった我が家。触ったこともない感覚教具も当然まだまだ存在し、出番が少なかった教具も多数。このままきっと小学校へと上がってしまえば、もう二度と出番はないんだろうなぁなどと思いながら過ごしてきました。

けれども、ふと当時の記憶が蘇るのか、自分から触りたい衝動に駆られることがしばしばある様子。久しぶりに教具棚より持ち出した幾何学立体。どんな関わり方をするのか興味津々でそっと見ていると(そう、ここは黒子に徹するのが鉄則!)、なんとプレゼンテーションが始まりました。

まずはそれぞれの名称を伝え、これらの形は見方によって2つの形に属することを教えてくれました。

「これは円柱。上から見ると丸、横から見ると四角です。」

手際よくポンポンと進むプレゼンにちょっぴり驚く母。かつて自分が娘へと提示をしたときは、これほど簡潔明瞭だったであろうか。思わず考え込んでしまいました。

そして思い出したのは、モンテッソーリのこの言葉。

「意味のないことばで時間をむだにしないこと」
「ことばを大切にすること」


教師のことばは簡潔かつ真理のみを表すようにすべきという女史の教えが、6歳の娘の提示に見事なまでに示されていて驚きました。そして何よりも、今まで「感じる」ことで楽しんできたこれらの教具と、自らの言葉で関わっていく新たな手法に、6歳という年齢の成長を感じました。

ふと自分自身と娘の関わり方を振り返ると、おしごと云々に関わらず、日頃どれほど無意味な言葉を使っているのか。モンテッソーリの言葉を借りれば「不正確な物語を大雨のように降らせて子どもを抑圧する」というのは、まさに日々の自分の娘との関わり方そのものだと痛感。

年長になり確実に英語と向き合う時間が増えつつある娘ですが、その時間の中で、娘に根付いてきたものがあります。それは「言葉を大切にする」ということ。英語であろうと、日本語であろうと、自分の気持ちを言葉で表現することが増えつつある中で、特にライティングにおける言葉選びはかつての「洪水」のように溢れ出てくる気持ちをただ綴るだけでなく、どのようにすれば伝わるのか。そんなちょっとした意識が働き始めているようです。

こんな大切な時期だからこそ、自らの愚かな手法で娘を抑圧しないよう、もう一度しっかりと考えてみる必要があることを、今回のプレゼンから感じました^^;

提示をよく見せることばかりに気を取られ、本質が抜け落ちていることだらけの母。
修行は続きます(笑)。

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