今までこのブログでも何回か取り上げてきましたが、今日は「観察」について少し綴ってみようと思います。
モンテッソーリ教育を学習し始めたとき、
それもそのはず。やはり理論だけを学んでも、
■観察って何から始めるの!?
まずモンテッソーリ教育の出発点と言っても過言ではない「観察」
この書籍は第一部が「お父さま、お母さまへ」、そして第二部が「
この書籍の第4章には「愛情をもって観察すると子どものことが見えてきます」とあります。愛情を持つと同時に、子どもに尊敬の心を持って観察すると、子どものことがとても良く見えてくると松本静子先生は仰います。そして、母が何よりも大事だと感じているのは、ただ見るだけではなく、何か傾向性がないかを意識しながら見ること。静子先生も書籍でも述べていらっしゃいますが、この部分を意識するのとしないのでは大分違うと感じています。まさに、観察とはプロセスなんですよね。1回きりで何かを分かろうとしても、全く分からない。けれども、何度も続けているうちに、自然と分かってくるようになる。そして最後は意識をしなくても、子どものことが非常によく分かるようになるといいます。もちろん、未熟な母はまだまだそんな域には達しておらず、今の娘を見ることだけで精一杯ですが、それでも以前よりは彼女が今何をしたがっているのか、何が上手くいかないのか、そんなことを少しだけ分かるようになってきた気がしています。
■最近の娘の観察結果
ちなみに我が家の5歳児が今最も興味があることは「ピアノを弾くこと」。といっても、残念ながら我が家には本物のピアノは存在せず、このおもちゃのピアノを寝ても覚めてもぽろんぽろん(笑)。
ちなみに我が家の5歳児が今最も興味があることは「ピアノを弾くこと」。といっても、残念ながら我が家には本物のピアノは存在せず、このおもちゃのピアノを寝ても覚めてもぽろんぽろん(笑)。
でも、最近こんなところから、言語教育にもちょっと繋がるようなことをしていました。「音楽」という漢字を教えて欲しいというところから、「音」を使った言葉を自分で探し出し、また漢字を聞いてくる。芋づる式に、漢字を覚えていっている様子です。こんな娘をそっと観察しながら、次回のおしごとは何を準備しようとムフフと怪しい笑みを浮かべながら、プランニングを始める母です(笑)。
「何をどう観察したらいいか分からないー!」と当時嘆く母に、教師養成講座のモンテッソーリアンの講師からいただいたアドバイスは1日10分しっかりと観察するということでした。おしごと時間は、ついつい母も写真を撮ることに気を取られたり、ノートに書くことに必死だったりと、本当の意味でも観察ができていなかった当初。「子どもの表情はどうか、ボディーランゲージはどうか、緊張した様子か、リラックスしているか、ステップは飛ばしていないか、気が散っていないか」などなど。観察を続けていると、何か上手くいかなくなったとき、どこに原因があったのか良く分かるようになってくるといいます。確かに、これは母も経験済み。なかなか出来なかったことが、どうして出来ないのか。その原因を探るのは、やはり観察しかなかった気がします。
「ほとんどの大人が子どもの成長や発達をお手伝いしたいと思っていますが、幼い子どもはなにが必要なのかを自分からは言ってくれません。では小学生になり、あるいは中学生、高校生になったとき、言ってくれるかというと、やはりそうではないのです。特に親が聞きたいことについて子どもは話してくれません。小さいときには表現力が限られているため、親が観察をして子どもを知るより他ないのですが、大きくなってもある意味では同じです。つまり、私たちは子どもをずっと見守っていく必要があるということです。」
前述の書籍の松本静子先生の一節です。いつも母の心の中にある言葉です。一見簡単なようで非常に難しい目の前の子どもの観察ですが、今日はどんな様子を見せてくれるのだろう・・・と日々楽しみにしている母がいます^^
「ほとんどの大人が子どもの成長や発達をお手伝いしたいと思っていますが、幼い子どもはなにが必要なのかを自分からは言ってくれません。では小学生になり、あるいは中学生、高校生になったとき、言ってくれるかというと、やはりそうではないのです。特に親が聞きたいことについて子どもは話してくれません。小さいときには表現力が限られているため、親が観察をして子どもを知るより他ないのですが、大きくなってもある意味では同じです。つまり、私たちは子どもをずっと見守っていく必要があるということです。」
前述の書籍の松本静子先生の一節です。いつも母の心の中にある言葉です。一見簡単なようで非常に難しい目の前の子どもの観察ですが、今日はどんな様子を見せてくれるのだろう・・・と日々楽しみにしている母がいます^^