子どもの観察ってどうやってする!? | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

今までこのブログでも何回か取り上げてきましたが、今日は「観察」について少し綴ってみようと思います。


モンテッソーリ教育を学習し始めたとき、最初に躓いたのは用語の特殊性でした。「敏感期」「観察」「正常化」などなど。どれも言葉としては何となく意味が分かるものの、果たしてこれがどういう意味合いで使われているのかよく分からない。当初の母は、モンテッソーリの著書を読んでも、関連書籍を読んでも正直よく分からない、そしてもっと言ってしまえば、教師養成講座で学習しても、それでもまだ何となく霧に包まれているそんな状態でした。

それもそのはず。やはり理論だけを学んでも、実際に子どもの姿と照らし合わせてみないと、何も見えてこないのです。でも、ここ何年かの間に、やっと何となく娘からその意味することを教えてもらっているような気がしています。

 

 

■観察って何から始めるの!?

 

 


まずモンテッソーリ教育の出発点と言っても過言ではない「観察」。果たしてどのように行えばよいのでしょう。母個人としてはこの「観察」についてもっとも分かりやすく述べてくださっていると感じるのは前回の記事 でもご紹介した松本静子先生のこちらの書籍です。

この書籍は第一部が「お父さま、お母さまへ」、そして第二部が「敬愛するモンテッソーリアンたちへ」となっており、特に第一部はモンテッソーリ教育を知らない方々にも非常に分かりやすく伝えてくださっています。

 

 

 

この書籍の第4章には「愛情をもって観察すると子どものことが見えてきます」とあります。愛情を持つと同時に、子どもに尊敬の心を持って観察すると、子どものことがとても良く見えてくると松本静子先生は仰います。そして、母が何よりも大事だと感じているのは、ただ見るだけではなく、何か傾向性がないかを意識しながら見ること。静子先生も書籍でも述べていらっしゃいますが、この部分を意識するのとしないのでは大分違うと感じています。まさに、観察とはプロセスなんですよね。1回きりで何かを分かろうとしても、全く分からない。けれども、何度も続けているうちに、自然と分かってくるようになる。そして最後は意識をしなくても、子どものことが非常によく分かるようになるといいます。もちろん、未熟な母はまだまだそんな域には達しておらず、今の娘を見ることだけで精一杯ですが、それでも以前よりは彼女が今何をしたがっているのか、何が上手くいかないのか、そんなことを少しだけ分かるようになってきた気がしています。
 
■最近の娘の観察結果

ちなみに我が家の5歳児が今最も興味があることは「ピアノを弾くこと」。といっても、残念ながら我が家には本物のピアノは存在せず、このおもちゃのピアノを寝ても覚めてもぽろんぽろん(笑)。
 
でも、最近こんなところから、言語教育にもちょっと繋がるようなことをしていました。「音楽」という漢字を教えて欲しいというところから、「音」を使った言葉を自分で探し出し、また漢字を聞いてくる。芋づる式に、漢字を覚えていっている様子です。こんな娘をそっと観察しながら、次回のおしごとは何を準備しようとムフフと怪しい笑みを浮かべながら、プランニングを始める母です(笑)。
 
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■それでも観察が分からなかった日々
 
「何をどう観察したらいいか分からないー!」と当時嘆く母に、教師養成講座のモンテッソーリアンの講師からいただいたアドバイスは1日10分しっかりと観察するということでした。おしごと時間は、ついつい母も写真を撮ることに気を取られたり、ノートに書くことに必死だったりと、本当の意味でも観察ができていなかった当初。「子どもの表情はどうか、ボディーランゲージはどうか、緊張した様子か、リラックスしているか、ステップは飛ばしていないか、気が散っていないか」などなど。観察を続けていると、何か上手くいかなくなったとき、どこに原因があったのか良く分かるようになってくるといいます。確かに、これは母も経験済み。なかなか出来なかったことが、どうして出来ないのか。その原因を探るのは、やはり観察しかなかった気がします。

「ほとんどの大人が子どもの成長や発達をお手伝いしたいと思っていますが、幼い子どもはなにが必要なのかを自分からは言ってくれません。では小学生になり、あるいは中学生、高校生になったとき、言ってくれるかというと、やはりそうではないのです。特に親が聞きたいことについて子どもは話してくれません。小さいときには表現力が限られているため、親が観察をして子どもを知るより他ないのですが、大きくなってもある意味では同じです。つまり、私たちは子どもをずっと見守っていく必要があるということです。」

前述の書籍の松本静子先生の一節です。いつも母の心の中にある言葉です。一見簡単なようで非常に難しい目の前の子どもの観察ですが、今日はどんな様子を見せてくれるのだろう・・・と日々楽しみにしている母がいます^^
 

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