こんばんは、もんてです。


私、人の死を話のネタにするのって、その人のことを、想いを侮辱しているようでもの凄く嫌いです。

今までもそのような事はしないようにしてきました。

でも今日、三浦春馬さんの訃報を聞いて
自身の経験と合わせて考えた時に
どうしてもこれから書くことを誰かに伝えたいと思いました。


まずは、三浦春馬さんへ。
お悔やみ申し上げます。


私は彼と会ったことも、話したこともなく、テレビに映っている時の性格しか知りません。

私自身も、とある、人に見られる職に就きたくて、養成所に通っていた時代がありましたが、やっぱり演技をしてる時も、ナレーションをしてる時も、ラジオMCをしている時も、どれも素の自分では無かったです。

彼が実際にどう思っていたかを推測することはしませんが、少なくとも私は、人に見られる職のプレッシャーはとてつもないものだと思っています。

素の自分を求められても(プライベートとの境を曖昧にさせられるけど)自分は誰に見られているのかを知らずに、一方的に相手が自分のことを知っている状態で素の自分をさらけ出すってとてもじゃないけどムリでした。


そして、私も人間関係の問題で1ヶ月間学校に行かなかったことがあります。いじめや喧嘩ではありません。

自己肯定感が低くて、いつも皆が見ている"私"は、なりたい自分なんです。明るくて気さくでサバサバしてる。でも、なにもかも気の合う友達なんて居るはずもなくて、友達の言動に違和感をおぼえる時もあります。そんな時に別の友達に相談すると、「(いつも明るくて気さくな)あのもんてが?大丈夫っしょー」という風に言われて、取り繕っている自分が素の自分を余計傷つけるんです。

勇気を出してチラリと見せた素の自分が、出した瞬間に傷つけられるんです。

普段の"私"を知る周りからの信頼や期待はきっと悪気がない。

でも、その言葉は全部、素の自分を傷つけてる。

そうして余計に素の自分を出すことが怖くなって、悩みが人に話せなくなる。

私はある日散々泣きじゃくった後、ふとベランダに足が向きました。

理性もありました。

ここから落ちたらどうなるのか。

あの、「大丈夫っしょー」と言っていた友達は、後悔するのだろうか。



そう思うと、ワクワクしました。



でも、私がここから飛び降りたって、誰かの話のネタになるだけかもしれない。

その友達だって、悪気もなく、「まさかと思いました。」とかインタビューで話すんじゃないのって。

そう思ったら急にバカバカしくなりました。

私が笑いながら「私が死んでも、自殺者の友達としてインタビュー受けるんじゃないよ」と言った時、笑っていたあの友達は、きっと寿命まで生きるんだろうなって。


じゃあ私はそれより生きてやろうと。


そこで前向きに考えられたから今生きています。


三浦さんがどんな気持ちで命を断ったのかはわかりません。

ただ、私と同じような気持ちを感じていたら...と思うと、私が彼の知り合いで、その「チラリ」に気づいてあげられていたらと強く思いました。

これから先、私も、この記事を読んで下さった方も、人生の中で色んな人に出会うと思いますが、もし、茶化しながらでも悩みを打ち明けられたら、真剣に聞いてあげてください。

笑わずに、ノリに乗っからずに。


そこでもし、「ノリ悪い」とか、「心配性だね」とか言われても、そこで気づけずに後悔するよりずっと良いです。

私は、そういう場面でノリが良い人よりも、真剣に話を聞いてくれる人の方が素敵だと思います。


だからどうか、お願いします。


今も私は、涙が止まりません。