「人間は考える葦(あし)である」 | ヤマグチ コウイチロウ/山口康一郎/Yamaguchi Koichiro

「人間は考える葦(あし)である」

「人間は考える葦(あし)である」

という言葉を聞いた事がありますよね。

フランスの物理学者パスカルがパンセの中で書いた一文です。

「人間はひとくきの葦にすぎない。
 自然のなかで最も弱いものである。
 だが、人間は考える葦である。」

あまりにも有名ですよね。

人によっては葦を足だと思っている人もいたようですが植物の葦です。

そうだったのか?!今知ったという人あなたもそうだった?


そしてそのあとは次のように続きます。

「人を押しつぶすために
 宇宙全体が武装するには及ばない。

 蒸気や一滴の水でさえも、
 人から生命を奪うのは容易い。

 だが、たとえ宇宙が人を押しつぶしても、
 人は人から生命を奪うなにものよりも尊いだろう。

 人は自分がいつか死ぬことと、
 宇宙の優勢さをすでに知っているからである。

 宇宙は何も知らない。

 われわれの尊厳のすべては、
 考えることのなかにある。

 われわれはそこから
 立ち上がらなければならないのであって、

 われわれの満たすことのできない
 空間や時間からではない。

 だから、よく考えることを努めよう。
 ここに道徳の原理がある。

『人間は無力だ。しかし、人間は考えるという事が出来る。

人間は死ぬことも知っているし、宇宙がすごい事も知っている。

「考える」という作業がどんな障害にも立ち向かう力に変える。

それも人間の本質であり、尊厳とも呼ぶべきものである。

だから人間は思考しなければならない。

そしてそこに物事の原理がある。

そこから立ち上がっていかなければならないのだ。』

という事なんだろうと思います。

ところが、最近、便利になりすぎた世の中のせいで

「考える」ということをしない人が多いように思います。

努力しなくてもなんでも手に入るからです。

何でも人がしてくれるからです。何でも機械が代わってくれるからです。

・さらに余計なことを考えたくないから、引きこもったり、なるべく人と接さないようにする。

何も考えずに享楽的なテレビ番組ばかり見たり、友達と何も生産されない楽しいだけの時間を過ごす。

・人から嫌な事を言われないように気遣うことだけをして、毎日を過ごす。

・何でも「わからない」という言葉を簡単に口にする。

・すぐに「どうしたらいいのか」を聞く。

・知らないのに知ってる素振りをしてやり過ごす。

・他の人がしているかどうかをすぐ見る。していないと安心する。

結局「考える」という事をしていないのです。

「考える」事をせずにいるとはっきり言ってどんどん衰えていきます。

簡単に言えば馬鹿になるのです。

いや、バカかな?!ばかかな?アホといった方がいいのかな?どっちかな?

こんなつまらない事でも考えてしまうのが人間であると僕は信じます。

さて、「考えず」「何もしない」という怠惰な行為が人間の本質を曇らせ

堕落させることを、私たちはもっとよく理解しないといけないのではないでしょうか。

自分を律すること。自分に厳しくする事をしないといけないと思うのですがどうでしょうか?!

皆さんは、何か自分に厳しくしている事をしていますか?!

パスカルは人間についてこうも言っています。



 その手段がいかに異なっていようとも、みなこの目的に向かっている。

 意志は、この目的に向かってでなければ、一歩も前へ進まない。

 これはあらゆる人間の、みずから首をくくろうとする人に致るまでの、

 あらゆる行為の動機である」

「自ら首をくくろうととしている人に至るまで、

 <幸福になるための動機>だと言うのです。

 それは、「死ぬ方が幸せだ!」という判断があるからでしょう。

 死ぬ事が幸せかどうかは別にしても、考えるという事の中でも判断するという事もあります。

 特に現代の日本人は、その「判断する」事をしなくなっている人がいるますよね。   

 皆さんの中にも・・・。

「私だって考えてますよ」

と言う人がいますがそれって考えているんじゃなく<迷っているだけ>だと思うことが多いです。

その<迷っている事>を判断している最中だと考えているんだといっている人の方が圧倒的じゃないでしょうか?!

人から出された提案や自分に起こった状況をを自ら考えるのではなく

今までの自分の経験から得られた考えとただ単に迷っているだけ、

判断自体もせずに迷っているだけ・・・。

それを考えていると勘違いしている。


「判断する」事と二つあると思います。

判断する事に出会ったときに嫌な事だと感じたり、

直感的に「これだっ!」と感じるのは、本能で判断していることの方が多い気がします。

でも最終的には理性や知識を持ってすぐ飛びつかずに照らし合わせや確認をして結論を出さないといけないのですが

迷いが生じるとその結論が出ない。もしくは結論が出ているのにまだ何かあるんじゃないかという不安や心配で踏み出せない。

パスカルが言うところの怖い絶対的な存在としての宇宙のように感じて勇気が出せない。

今の方が楽、今で満足、わざわざ無理して失敗するよりも・・・。

何度もみんなに話していますが<今にとどまっている事の怖さを知らないという事>が何よりも僕は怖い。

それを無知というのです。物事を判断するためには知識が必要です。

その知識を得るためには、教えてもらうだけでなく考え出す事が一番必要です。

そしてそれによって判断し、行動しなければならないと思います。

僕はイソップ物語の先の事を知らずに死んでいくキリギリスのように死にたくありません。

でもアリのように楽しみもなく働いてばかりも嫌です。

だから先の事を知った上で楽しく暮らせる<アリギリス>になりたいというのですが、

今の現代日本全体は、<キリギリリ>になろうとしていると思います。

先の事も考えずに一所懸命働きその結果は滅ぶ道をまっしぐらにいっている。

僕は嫌です。キリギリリになるなんて・・・。

キリギリリにならない方法は、これしかありません。

「思考する。判断する。行動する。」


皆さんの頭脳はまだ充分ヒマそうにしてますよ。

キリギリスのように優雅な楽しみも欲しいし、冬になってもアリのように暖かいところで過ごしたいし、

かといって、感情や情緒もなく本能だけで生きていきたくないし・・・。

「そ、そうだ!  
  アリギリスになればいいんだ!
   頭を使って
    アリとキリギリスを両立させるしかない!」

「税金を払っても人に心から施しをしても
  まだ有り余るだけの余裕のある
   自分の楽しみを持てるアリギリスだあ!
   これしかない!そのためには、商売だあ!」

キリギリリという考えを持ったのは、この半年です。

皆さんは、キリギリリになっていませんかあ??!

ならないためには、

「いま考え、よく見極め、すぐ動く!」

しかないと思いませんか?


もう少し頭を働かせましょうよ!みんな頭を休ませ過ぎです。
それって放置しているのとなんら変わりがないですよね。

「物事を判断する」って本能で判断する事と理性の部分で
「すべての人間は幸福を求めている。これには例外がない。
違った!?良かったあ・・(~_~;)