世界中の秘境を旅し続けてる時に
『人間は結局は人間なんや』と気が付いた。

ネパールの山奥でも
中央アフリカの貧しい村でも
フィージーやニューギニアのような南の島でも
民家におじゃまさせてもらって
そこで暮らしてるうちに

俺のつたない英語で
コミュニケートできるようになって
相手の気持ちが段々分かるようになって
暮らしの形が理解できだしたら
どんな場所も、遠い異国の秘境の村でも
なんでもなくなってしまう。

友達の家に遊びに来てるような感じになってしまう。

確かに目の前には手つかずの大自然が広がって
電気も水道もない異次元のような景色だけど
そこで生きてる人間の心理は
大都会で暮らす俺らと何の違いもない。

透明でピュアな心の世界なだけに
人の心の動きがストレートに伝わってくる。


ある角度だけで見ると
まるでユートピアのようにも見えるその暮らしも
大自然に溶け込んで、

自然と共存してる雄々しいその姿も
現金収入のない貧しさに直面すると
途端に問題だらけの暮らしに変わってしまう。

ユートピアをみつけたような喜びが
その人達の現実を徐々に気付きだした途端
陰りが差し始めて
日本人の心を覆っている説明し難い心の陰りが
こんな世界の人達の中にもあることを知った。


お金があってもなくても
自然に生きようが
コンクリートに生きようが
全ての人を覆っているこの心の陰りの原因は
自然破壊や経済問題のように思えるけど
そう考えると何か事が大きすぎて
まるで他人ごとになって
解決できる感じが全くなくなってしまう。


それじゃあ、世の中の流れに自分の人生を託して
言いなりなる生き方になってしまう。

それは認知症や病気になる
最大の原因のような生き方な気がする。

たぶん俺らが今越えようとしてる事は
一人一人の心の中にある信念とか
考え方の問題なんやと思う。



やっとここまで書けた。。。
ここから先を語りたかってんけど
それを語るのにこんなに説明を書いてしまった。

というか、俺は一体これを誰に語ってるんやろ?
これを読んでるキミは誰や?


これから先の人生をこのままの延長ではなしに
根こそぎ変える、変わろうと決めて
歩きだしてるけど
イヤな俺や、情けない俺に出くわす度に
俺って何やねんと沸々と湧き上がる思いがある。

ごめん!長なりそうなんでこの続きは次回にします。
ほんまごめん。決して引っ張ろうと思ってる
わけじゃあないねんけど、エネルギーを溜め込んで
高揚感の中で書かないと書けない話なんで。。。。