怪獣ファンが1度は通り過ぎる試練の時・・・それが、「怪獣卒業期」です。ぼくは、それを、大体、小学4年生~5年生のころむかえました。テレ ビでは、「ウルトラマンエース」~「ウルトラマンタロウ」あたりを放映していたころでしょうか。映画では、「ゴジラ対ガイガン」以降かな・・・

 そのころになると「怪獣は卒業だよな」という流れが、ぼくの周り(学校内で)で起こってしまい、ぼくの両親も、いつまでも怪獣ではいけません的な雰囲気でし たね。いや、それが、健全な思春期を迎えるためには、必要な準備期間だったのかもしれません。でも、ぼくは、卒業、と言われ続けたにもかかわらず、横目で は怪獣映画を観ていたんです。去るものに対し未練たらたらな気持ちです。実際、隠れるように「ゴジラ対メカゴジラ」観にいきましたし。
 この頃の気運として、怪獣=子供が楽しむもの、という剥がしようのないレッテルがあり(いくら、初代「ゴジラ」が核の恐ろしさを問うた日本が産んだ最高のSF映画だったとしても)、いつまでも子供じゃいけない、自分の中でも怪獣を整理し なくちゃいけない、と感じていたのも事実です。むろん、そのころまで、なんとなく持ち続けていた怪獣人形や、怪獣映画の本などが他人に渡ってしまった り、捨てられたりもしました(それでも、どうしても忘れたくなかったのか、ぼろぼろになった「ゴジラ対ヘドラ」のパンフだけはずっと持ち続けていました)。

 怪獣を忘れていた高校時代は、まあ、それなりに楽しかったのですが、どうも、本来の自分じゃなかったようにも思えます。なんか、どこかで怪獣映 画をまた観たいものだ・・・と思い続けていたのも事実で(当時は、ビデオなんてなかったから、終わってしまったものは、めったに観ることができなかったの です。)、ある新聞記事に「ゴジラの復活」という映画が企画されているのを知り、胸が熱くなったのをいまでも鮮明に思い出します。
 
 やがて、時は流れ、東京で一人暮らしをはじめてしばらくして、どこからか、怪獣復活ムーブメントの臭いがプンプン臭ってきてるではありません か!映画学校の仲間と、自主上映「キングコング対ゴジラ」を観たときから、それを肌で感じることができました。それは、怪獣映画を、子供の映画という色眼 鏡で評価せずに、自分たちを育ててくれた文化として再評価してみようじゃないか、というものでありました。
 学園祭では、懐かしい特撮映画の上映会があったり、怪獣好きな仲間が集まって作ったという同人誌を買って読んだり、そして、ついに、84年にゴ ジラの復活!(新しいゴジラは、大人の鑑賞にも耐えられる、大作として公開されたのです。)また、新宿で定期的に行われた怪獣のイベントに参加、そこで会 う同年代の人たちは、まるで同窓生のような雰囲気でした。ま、ぼくと同じように思ってた人たちって、こんなにいたんだな、と涙が出るほどに嬉しく思ったも のです。

 怪獣ファンは、なぜ、怪獣に惹かれるのだろう?実は、ぼくもよくわかりません。かっこいいから、強いから、大きいから、不思議だから、そして、昔からいるから、なつかしいから、いろいろあります。その全てです。
ぼくは、ふと、怪獣のような恐竜と、人間は同時期に生きていたことがあるのではないか?とさえ思います。恐竜の土偶が出土したり(偽物という説ももちろん あるけど・・・)、恐竜の化石と人類の化石が同じ地層から出てきた、という話も聞いたことがあります。たぶん、人間は、彼らと暮らしていたのでは?そし て、彼らに怖れと共に憧れを抱いていたのではないか?その記憶が怪獣というキャラクターを産み出したのではないかと・・・おっと、ここからは話がズレてしまうので、ここらへんで・・・(^^)

 結論として、ぼく自身としては、怪獣は卒業できるものではなかった、というわけですね。毎年、留年しっぱなしです。卒業論文を書くためには、ま だまだ勉強が必要です。幸いにも、怪獣大学は、何年在籍してもいいそうなので安心ですが、授業料がけっこうかかるのが悩みの種です。
monsterzeroのブログ-ゴジラ対ヘドラ