はい、marioです。
私はピアノを人前で演奏したり、このコラムでも解説をさせていただいていますが、
希望される方には、ピアノのレッスンを実施しています。
本日のテーマはですね、先生、講師、つまりピアノを教える立場の視点から、
生徒さんの楽譜に書き込みをすることが、いかなることなのか?
ということについてお話していきたいと思います。
結論から申し上げますと、
私は、生徒さんの楽譜に書き込みをすることは、ほとんどありません。
「ほとんど」というのは、生徒さんから書いてもらって良いですか?
と頼まれたときだけは、書き込みをします。
ただ、頼まれたとき以外で、書き込みをすることはありません。
なぜかと言いますと、
第一には、そもそも他人の物じゃん?私物ではないでしょう??
という理由です。
先生だからといって、勝手に書き込みをして良い理由にならないかな、
と私は思っています。
そしてもう一つ、こちらがメインの理由ですね。
書き込みを行うということは、将来的に、その書き込み縛られて演奏することになる。
ということです。
先生が書いたから(おっしゃったから)、そうやって弾かなければならない、
という刷り込み、思い込み、強迫観念を生み出してしまう可能性がある、ということですね。
この考え方は、
マリア・ジョアン・ピレシュというピアニストの、スーパーピアノレッスンを見た時に、
彼女が言っていたのですが、
昨日の演奏と今日の演奏は違う、今日の演奏と明日の演奏は違う、
同じように演奏することはない、それで良い。
書き込みがあることで、それに縛られて演奏することになる。
というところから来ています。
彼女は、楽譜に書き込みをしないそうです。
そもそも、
私たちピアノを教える立場の人間から、生徒さんに提示する解釈というのは、
数多く存在する中の、ほんの一例に過ぎません。
楽譜に色んなエディションが存在するのと同じように、絶対的なものではないはずです。
ピアニストの数だけ、その人なりの弾き方や表現が存在します。
しかし、
先生がこう書いた!それはその生徒さんの楽譜に残りますよね。
先生がそうおっしゃったのだから、そうやって演奏しなくてはいけない!と、
思い込んでしまう場合があります。
もちろん、上手く弾けないうちはそれでも良いかもしれませんが、
ある程度、上手く弾けるようになった時、
もっと良い解釈が見つかった、あるいは私の書いたことがしっくりこない、
先生はここは強く、ここは速く!と言って書き込みをしたけれど、
成長して、ある程度弾けるようになった生徒さんが、
でも、ここは少し弱く弾いたほうが良いのではないか、
少し間をとって演奏したほうが良いのではないか、等々、もしもそう思った時に、
でも、先生はああいう風におっしゃっていたし、、、と、
私の書いた書き込みが、生徒の演奏の妨げになる可能性はないだろうか??
ということです。
これは、先生と生徒との関係だけでなく、
親子関係だったり、家族関係などでも、かなり当てはまる部分があると思います。
お母さんがああ言ったから、お父さんがこうしてたから、
知らず知らず、自分もそうなっている、
でも、それが正しいかどうかなんて、わからないですよね?
親だって間違えますもの。
先生が言っていることだって、全てが正しいわけではないですよね?
でも、それが刷り込みとなって、大人になっても、あるいは、死ぬまでずっと、
頭の中に、そして心の中に、残ってしまいます。
一度、刷り込まれたものは、なかなか消すことが難しいのです。
教える、ということは、
ある程度は、その人に進んでいく道筋を示してあげることです。
絶対的なものではないにしろ、生徒さんは自分一人で進むことが難しいから、
私のレッスンにいらしているわけですから。
あなたは、こちらに進んでいくと、もっと良くなると思うよ!と言ってあげることです。
しかしながら、
それを目に見えるような形として残すことで、
逆に、その人の成長の妨げになることが、全く無いのかどうか??という、
その先の影響も、考えなくてはならないということです、教える立場であるならば。
もちろん、言葉ではしっかりと生徒さんにお伝えします。
お手本、デモンストレーションも必要であれば見せます。
私は、生徒さんが弾く曲は、必ず自分でも弾きます。
でないと、どこか難しくて弾きづらいのか、どうやって練習していったら克服できるのか等、
そもそも、教えることができませんよね??
自分でその曲の難しさを体感していないのに、教えるということ自体、出来ないと思います。
しかしながら、生徒さんが、
私と全く同じように弾けば良い!という問題でもないですよね。
ですので、
アドバイスは「書き込み」という形として、後に残るものにはしない、
ということです。
ただし、生徒さんが録音したい、動画に残したいという場合は、許可しています。
ピアノ・音楽というのは、あらかじめ決め打ちして演奏するもの、弾くものではありません。
ある種の即興性や、生き物のように、その人の息遣いがそのまま現れることこそ、
音楽です。
私が生徒さんに伝えた言葉、それはいったん受け止めてもらい、
できれば、最初はまる飲みしてほしいですが、
後になって、これは必要ないな~と思うものについては、迷わず捨てて構いません。
私は、ピアノの先生の最大目標は、
先生を超える生徒を生み出すことであると思っています。
当然ながら、私のコピーを生み出すことではないのです。
ただそれは、単純に技術的とか、テクニック、あるいはコンクールで賞を取るとか、
そういった限定的で、表面的なことではありません。
私が持っている、知識や技術、ピアノや音楽におけるすべての要素を、
後ろの世代や、まだ私が出会っていない様々な人たちへ、
様々な方向へ広めていける、繋いでいける人を生み出す、ということです。
これがピアノの先生、教える立場として、とても重要なことだと、
私は思います。
私がピアノを教えているのは、私と同じように弾く人を作り出すためではない。
だから、私は生徒さんの楽譜には、書き込みを極力しません。
もしその生徒さんが、将来的に自分一人の力で進めるようになったとき、
私が伝えたものの中で、要らないものをしっかり捨てられるように、私の言葉に縛られないように。
では、自分自身で書き込んだものはどうなのか?
これはこれでアリだと思います。
それは、自分の自身の意思で書いたものですから、自分でそう決めたことです。
やっぱり違っていたと思えば、自分で消すのもたやすいでしょう。
だから、私の言った言葉を、生徒さんが自分自身で書き込む分には、私は止めません。
自分で書いたものは消せますからね。
でも、他人から言われた(書き込まれた)ものを消すのは、意外と難しいと思います。
実際、私の楽譜には、指番号などは書き込んであります。
暗譜するのにも、指番号で覚えるのも、一つの手段ですしね。
私も、昔、学生時代だったときは、かなり書き込んでいました。
書き込まないと忘れてしまうこともありますしね。
でも今は、書き込みが必要であればしますが、ほとんどしなくなりましたね。
別に、毎回同じように弾かなくても良いのでは?
と思うようになったからです。
その一瞬一瞬、その時のベストの演奏をすれば良いだけであって、
絶対的な頂点は、そもそも存在しないからです。
芸術の桃源郷は、世界のどこにも存在しないのです。
自分自身の心の中だけに、存在するものです。
クレッシェンド一つとっても、そのかけかたは、人によっても違うし、場面によっても違います。
毎回同じようなニュアンスのクレッシェンドで良いものだろうか??とも思いますし、
かといって、絶対に毎回違うニュアンスで準備しなければならないのか?というのも、
そもそも無理をしていますから、演奏がとても不自然になりますよね。
あくまで、自然に音を出して音楽を作っていく。
それが最も重要なことではないでしょうか。
本日は、私が生徒さんの楽譜に書き込みをしない理由!でした。
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それでは、次回の更新もお楽しみに!